775 / 1,268
第33話
(10)
しおりを挟む
賢吾の態度といい、一体なんなのかと、和彦が口を開きかけたそのとき、襖が開く。現れた人物を見て、和彦は驚きの声を上げた。
「三田村っ」
「――すみません。俺もいます」
三田村の後ろから、中嶋がひょっこりと顔を出す。もう一度驚いた和彦だが、同時に、この感覚には覚えがあった。何かと思えば、五月の連休中の出来事だ。あのときは、総和会が管理する別荘に連れて行かれ、そこに三田村がいて、あとから中嶋も登場したのだ。
用意周到だとか、最初から教えてくれればいいのにだとか、賢吾に対して言いたいことはあったが、とりあえず和彦は、機嫌は直ったとアピールするため、笑みをこぼした。
長嶺組の男たちが出かけるのを、物陰からこっそりと見送って、和彦はやっと肩から力を抜く。そして改めて、自分の傍らに立つ二人を見遣った。
「この三人で顔を合わせるのは、五月の連休以来だな」
和彦の言葉に、中嶋がにこやかな表情で頷く。
「先生の遊び相手といったら俺、とすっかり認知されたようで、嬉しいですよ」
「総和会で上を目指す君には、さほど名誉じゃないだろう」
「いえいえ。むしろ羨ましがられるぐらいで」
本気で言っているのだろうかと疑いかけた和彦だが、自分に注がれる優しい眼差しに気づき、照れ隠しもあり、こんなことを言っていた。
「大変だな、あんたも。ぼくに何かあるたびに、引っ張り出されて」
「組長のお心遣いだ。理由があったほうが、堂々と先生に会えるだろうと」
三田村が、賢吾たちが乗った車が走り去ったほうに視線を向けたので、つられて和彦も同じ方角を見る。
賢吾なら言いそうなことだと思いはしたが、だからといってあの男が優しいかというと、そうではない。傲慢なほどの余裕の上に成り立つ配慮は、優しさとは別物なのだ。
「――それでは先生、時間も惜しいですから、泳ぎに行きますか」
中嶋の提案に、和彦は目を丸くする。
「えっ」
「あれっ、泳ぐんじゃないんですか? せっかく海に来たのに。俺なんて、張り切ってあれこれ準備してきましたよ。水着の予備もあるので、安心してください」
和彦は困惑しながら三田村をうかがい見る。三田村はわずかに唇を緩めた。
「俺はこんな体で海に入ることはできないから、気にせず二人で泳げばいい。浜辺でのんびり眺めているから」
「眺めているって、その格好でか……」
いつものように三田村は、地味な色合いのスーツ姿で、当然足元は革靴だ。三田村の隣で中嶋が噴き出し、つられて和彦も顔を綻ばせる。
「これだけ人がいて何かあるはずもないから、ぼくに付きっきりでなくても大丈夫だ。せめて涼しい店に入って、冷たいものでも飲みながらゆっくりしていてくれ。そのほうがぼくも、気兼ねなく泳げる」
三田村は一瞬物言いたげな顔をしたが、中嶋を一瞥してから頷く。
「さて、話も決まったし、先生の荷物を取ってきて移動しますか」
そう提案した中嶋は車に荷物を置いているというので、和彦は三田村を伴って一旦部屋に戻ることにする。
エレベーターを待ちながら、斜め後ろの位置から三田村を見つめる。思いがけず一緒の時間を過ごせることになり、嬉しくないはずがない。反面、和彦の都合で、三田村ほどの男が呼び出される事態がたびたび起こることは、正直心苦しい。いまさらと言われようが。
そしてもう一つ、和彦を心苦しくさせることがあった。
三田村は、鷹津という男を意識している。和彦の奔放な人間関係に寛容さを示しながら、それでも鷹津は特別なのだ。和彦がその鷹津に、快感で惑乱していたとはいえ、オンナになると告げたと知ったら、優しい男は悲しむかもしれない。
もしかすると、そんな段階ですらなく、いよいよ和彦に呆れ、離れていくだろうか――。
想像して、ブルッと身震いする。自分勝手だが、どれだけの男に大事にされ、執着されようが、三田村を失いたくなかった。自分に注がれる優しい眼差しが必要なのだ。
何かを感じたのか、ふいに三田村が振り返る。
「先生?」
和彦は自然に笑いかけることに成功した。
「せめて、スーツ以外の着替えを持ってくればよかったのに」
「ワイシャツの替えなら、車にあるんだが……」
「滅多に見られないものだな、三田村のスーツ以外の姿は」
エレベーターに乗り込みながらのやり取りのあと、再び三田村の斜め後ろに立った和彦は、自虐的に心の中で呟く。
自分は性質の悪いオンナになってしまった、と。
そんな本性を三田村に知られたとしても、きっと開き直るのだ。許容したのはあんたなのだから、変わらず大事にしてくれと、悪びれもせず言い放つかもしれない。
「三田村っ」
「――すみません。俺もいます」
三田村の後ろから、中嶋がひょっこりと顔を出す。もう一度驚いた和彦だが、同時に、この感覚には覚えがあった。何かと思えば、五月の連休中の出来事だ。あのときは、総和会が管理する別荘に連れて行かれ、そこに三田村がいて、あとから中嶋も登場したのだ。
用意周到だとか、最初から教えてくれればいいのにだとか、賢吾に対して言いたいことはあったが、とりあえず和彦は、機嫌は直ったとアピールするため、笑みをこぼした。
長嶺組の男たちが出かけるのを、物陰からこっそりと見送って、和彦はやっと肩から力を抜く。そして改めて、自分の傍らに立つ二人を見遣った。
「この三人で顔を合わせるのは、五月の連休以来だな」
和彦の言葉に、中嶋がにこやかな表情で頷く。
「先生の遊び相手といったら俺、とすっかり認知されたようで、嬉しいですよ」
「総和会で上を目指す君には、さほど名誉じゃないだろう」
「いえいえ。むしろ羨ましがられるぐらいで」
本気で言っているのだろうかと疑いかけた和彦だが、自分に注がれる優しい眼差しに気づき、照れ隠しもあり、こんなことを言っていた。
「大変だな、あんたも。ぼくに何かあるたびに、引っ張り出されて」
「組長のお心遣いだ。理由があったほうが、堂々と先生に会えるだろうと」
三田村が、賢吾たちが乗った車が走り去ったほうに視線を向けたので、つられて和彦も同じ方角を見る。
賢吾なら言いそうなことだと思いはしたが、だからといってあの男が優しいかというと、そうではない。傲慢なほどの余裕の上に成り立つ配慮は、優しさとは別物なのだ。
「――それでは先生、時間も惜しいですから、泳ぎに行きますか」
中嶋の提案に、和彦は目を丸くする。
「えっ」
「あれっ、泳ぐんじゃないんですか? せっかく海に来たのに。俺なんて、張り切ってあれこれ準備してきましたよ。水着の予備もあるので、安心してください」
和彦は困惑しながら三田村をうかがい見る。三田村はわずかに唇を緩めた。
「俺はこんな体で海に入ることはできないから、気にせず二人で泳げばいい。浜辺でのんびり眺めているから」
「眺めているって、その格好でか……」
いつものように三田村は、地味な色合いのスーツ姿で、当然足元は革靴だ。三田村の隣で中嶋が噴き出し、つられて和彦も顔を綻ばせる。
「これだけ人がいて何かあるはずもないから、ぼくに付きっきりでなくても大丈夫だ。せめて涼しい店に入って、冷たいものでも飲みながらゆっくりしていてくれ。そのほうがぼくも、気兼ねなく泳げる」
三田村は一瞬物言いたげな顔をしたが、中嶋を一瞥してから頷く。
「さて、話も決まったし、先生の荷物を取ってきて移動しますか」
そう提案した中嶋は車に荷物を置いているというので、和彦は三田村を伴って一旦部屋に戻ることにする。
エレベーターを待ちながら、斜め後ろの位置から三田村を見つめる。思いがけず一緒の時間を過ごせることになり、嬉しくないはずがない。反面、和彦の都合で、三田村ほどの男が呼び出される事態がたびたび起こることは、正直心苦しい。いまさらと言われようが。
そしてもう一つ、和彦を心苦しくさせることがあった。
三田村は、鷹津という男を意識している。和彦の奔放な人間関係に寛容さを示しながら、それでも鷹津は特別なのだ。和彦がその鷹津に、快感で惑乱していたとはいえ、オンナになると告げたと知ったら、優しい男は悲しむかもしれない。
もしかすると、そんな段階ですらなく、いよいよ和彦に呆れ、離れていくだろうか――。
想像して、ブルッと身震いする。自分勝手だが、どれだけの男に大事にされ、執着されようが、三田村を失いたくなかった。自分に注がれる優しい眼差しが必要なのだ。
何かを感じたのか、ふいに三田村が振り返る。
「先生?」
和彦は自然に笑いかけることに成功した。
「せめて、スーツ以外の着替えを持ってくればよかったのに」
「ワイシャツの替えなら、車にあるんだが……」
「滅多に見られないものだな、三田村のスーツ以外の姿は」
エレベーターに乗り込みながらのやり取りのあと、再び三田村の斜め後ろに立った和彦は、自虐的に心の中で呟く。
自分は性質の悪いオンナになってしまった、と。
そんな本性を三田村に知られたとしても、きっと開き直るのだ。許容したのはあんたなのだから、変わらず大事にしてくれと、悪びれもせず言い放つかもしれない。
41
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる