768 / 1,267
第33話
(3)
しおりを挟む
それでも、鷹津とのことを知られるわけにはいかなかった。当然、自分から口にするはずもない。
保身のためもあるが、自分のせいで鷹津が何かを失うのは、やはり嫌なのだ。
「……何かあった?」
囁きながら千尋がもう一度唇を重ねてくる。和彦は、茶色の髪を優しく指で梳いた。
「何も、と言いたいところだが、ここにいると、いろいろあるから……」
千尋の眼差しがスッと鋭さを帯びる。その変化を目の当たりにして和彦はドキリとした。
「千尋?」
「先生から目を離すと、危ないんだよな。自覚なく、性質の悪い男を引き寄せて、骨抜きにするから。――もしかして最近は、自覚があったりして」
口調は冗談っぽくありながら、千尋の表情は真剣だった。こういうときの千尋は、厄介だ。次の行動が予測できず、とんでもない暴走をしそうなのだ。
和彦の奔放さに対して、嫉妬や独占欲とのつき合い方は上手いと話す千尋は、事実、年齢に見合わない寛大さを示しているといえる。一方で、何かの拍子に激しい感情を発露させることもあるのだ。そうやって千尋は、荒々しい感情のバランスを取っている。とても危うく。
それを受け止めることは、自分の役割であり、義務ですらあると和彦は考えていた。
「自覚があったら、ぼくを嫌いになるか?」
「悪いオンナ、っていう自覚か……。エロい響き」
バカ、と一言呟いた和彦は、千尋の頭を軽く小突く。すぐに手を引こうとしたが、その手を千尋に掴まれた。子供が甘えてくるように額と額を合わせてきたかと思うと、頬ずりをされ、首筋に顔が寄せられる。肌に触れる息遣いがくすぐったくて、和彦は小さく笑い声を洩らした。
「子犬にじゃれつかれているみたいだ」
「子犬?」
「……別に、可愛いという意味で言ったんじゃないからな」
和彦が念を押すと、千尋が唇を尖らせる。あざといほど子供っぽい仕種だが、和彦には効果的だと、千尋はよくわかっているのだろう。
「悪いオンナの周りには、食えない大人の男ばかりだからね。――こういうのも新鮮だろ?」
間近から強い眼差しを向けられ、一瞬怯みかけた和彦だが、すぐに気を取り直す。千尋の両頬をてのひらで挟み込むようにして優しく撫でた。
「お前は、食えない大人の男になったのか?」
千尋は考える素振りを見せたものの、すぐにニヤリと笑いかけてくる。
「先生にこうして可愛がってもらえる特権は、まだ手放したくないな」
「別に、可愛がってはない……」
「でも俺のこと、可愛いと思ってるだろ?」
「……そういうことをヌケヌケと口にできる奴は、可愛くない」
大げさに抗議の声を上げた千尋がしがみついてきて、今度こそ和彦は後ろへと倒れ込む。畳んだ服があっただけではなく、千尋が咄嗟に頭を庇ってくれたおかげで痛くはなかったが、そんなことは関係ないと、和彦は声を潜めて怒る。
「お前は少し加減しろっ」
「してる――、というより、する」
耳元に注ぎ込まれた千尋の言葉は、熱かった。察するものがあって和彦は体を強張らせつつ、襖の向こうの様子をうかがう。すでに夕食の準備が始まっているかもしれない。
「こら、お前、夕飯を食べたら帰るんだろ。おとなしくしてろ」
「おとなしく、甘えてるだけ」
屁理屈ばかり言うなと、千尋の肩を殴りつける。クスクスと笑い声を洩らしながら千尋が、耳に唇を押し当てながら、和彦が着ているシャツの下に手を忍ばせてきた。
いとしげに脇腹を撫でられ、和彦は息を詰める。これ以上大胆な行為に出るようなら、本気で髪を引っ張ってやろうと思ったが、どうやら千尋は本当に、甘えるだけのつもりらしい。
きつく抱き締めてきて、満足げに吐息を洩らす千尋の様子をうかがっているうちに、身構えているのもバカらしくなってくる。和彦は体から力を抜くと、千尋の背に両腕を回した。自分はやはり、千尋に甘すぎるなと思いながら。
自宅マンションにようやく戻ることができた和彦は、本部から持ち帰った服や本を片付け、迷った挙げ句、ささやかな旅仕度を整えた。
長嶺の三世代の男たちが揃った旅がどういうものになるか、さっぱり想像がつかない。法要がメインであるし、宿を替えて一泊ずつ滞在するということで、なかなか慌しいものになりそうだ。それでも千尋は海で遊ぶと言い張っているので、それに振り回される自分の姿が今から目に浮かぶ。
念のためバッグに水着も詰め込んだ和彦は、ゆっくりする間もなく部屋をあとにする。当然外では、総和会の護衛の車が待機していた。
保身のためもあるが、自分のせいで鷹津が何かを失うのは、やはり嫌なのだ。
「……何かあった?」
囁きながら千尋がもう一度唇を重ねてくる。和彦は、茶色の髪を優しく指で梳いた。
「何も、と言いたいところだが、ここにいると、いろいろあるから……」
千尋の眼差しがスッと鋭さを帯びる。その変化を目の当たりにして和彦はドキリとした。
「千尋?」
「先生から目を離すと、危ないんだよな。自覚なく、性質の悪い男を引き寄せて、骨抜きにするから。――もしかして最近は、自覚があったりして」
口調は冗談っぽくありながら、千尋の表情は真剣だった。こういうときの千尋は、厄介だ。次の行動が予測できず、とんでもない暴走をしそうなのだ。
和彦の奔放さに対して、嫉妬や独占欲とのつき合い方は上手いと話す千尋は、事実、年齢に見合わない寛大さを示しているといえる。一方で、何かの拍子に激しい感情を発露させることもあるのだ。そうやって千尋は、荒々しい感情のバランスを取っている。とても危うく。
それを受け止めることは、自分の役割であり、義務ですらあると和彦は考えていた。
「自覚があったら、ぼくを嫌いになるか?」
「悪いオンナ、っていう自覚か……。エロい響き」
バカ、と一言呟いた和彦は、千尋の頭を軽く小突く。すぐに手を引こうとしたが、その手を千尋に掴まれた。子供が甘えてくるように額と額を合わせてきたかと思うと、頬ずりをされ、首筋に顔が寄せられる。肌に触れる息遣いがくすぐったくて、和彦は小さく笑い声を洩らした。
「子犬にじゃれつかれているみたいだ」
「子犬?」
「……別に、可愛いという意味で言ったんじゃないからな」
和彦が念を押すと、千尋が唇を尖らせる。あざといほど子供っぽい仕種だが、和彦には効果的だと、千尋はよくわかっているのだろう。
「悪いオンナの周りには、食えない大人の男ばかりだからね。――こういうのも新鮮だろ?」
間近から強い眼差しを向けられ、一瞬怯みかけた和彦だが、すぐに気を取り直す。千尋の両頬をてのひらで挟み込むようにして優しく撫でた。
「お前は、食えない大人の男になったのか?」
千尋は考える素振りを見せたものの、すぐにニヤリと笑いかけてくる。
「先生にこうして可愛がってもらえる特権は、まだ手放したくないな」
「別に、可愛がってはない……」
「でも俺のこと、可愛いと思ってるだろ?」
「……そういうことをヌケヌケと口にできる奴は、可愛くない」
大げさに抗議の声を上げた千尋がしがみついてきて、今度こそ和彦は後ろへと倒れ込む。畳んだ服があっただけではなく、千尋が咄嗟に頭を庇ってくれたおかげで痛くはなかったが、そんなことは関係ないと、和彦は声を潜めて怒る。
「お前は少し加減しろっ」
「してる――、というより、する」
耳元に注ぎ込まれた千尋の言葉は、熱かった。察するものがあって和彦は体を強張らせつつ、襖の向こうの様子をうかがう。すでに夕食の準備が始まっているかもしれない。
「こら、お前、夕飯を食べたら帰るんだろ。おとなしくしてろ」
「おとなしく、甘えてるだけ」
屁理屈ばかり言うなと、千尋の肩を殴りつける。クスクスと笑い声を洩らしながら千尋が、耳に唇を押し当てながら、和彦が着ているシャツの下に手を忍ばせてきた。
いとしげに脇腹を撫でられ、和彦は息を詰める。これ以上大胆な行為に出るようなら、本気で髪を引っ張ってやろうと思ったが、どうやら千尋は本当に、甘えるだけのつもりらしい。
きつく抱き締めてきて、満足げに吐息を洩らす千尋の様子をうかがっているうちに、身構えているのもバカらしくなってくる。和彦は体から力を抜くと、千尋の背に両腕を回した。自分はやはり、千尋に甘すぎるなと思いながら。
自宅マンションにようやく戻ることができた和彦は、本部から持ち帰った服や本を片付け、迷った挙げ句、ささやかな旅仕度を整えた。
長嶺の三世代の男たちが揃った旅がどういうものになるか、さっぱり想像がつかない。法要がメインであるし、宿を替えて一泊ずつ滞在するということで、なかなか慌しいものになりそうだ。それでも千尋は海で遊ぶと言い張っているので、それに振り回される自分の姿が今から目に浮かぶ。
念のためバッグに水着も詰め込んだ和彦は、ゆっくりする間もなく部屋をあとにする。当然外では、総和会の護衛の車が待機していた。
38
お気に入りに追加
1,359
あなたにおすすめの小説
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
ヤクザと捨て子
幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子
ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。
ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。
目が覚めたら囲まれてました
るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。
燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。
そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。
チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。
不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で!
独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。
公爵家の五男坊はあきらめない
三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。
生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。
冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。
負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。
「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」
都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。
知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。
生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。
あきらめたら待つのは死のみ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる