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第33話
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「だってさあ、俺、せっかくの夏なのに、夏らしいこと何もしてないんだよ? 去年もそれなりに忙しかったけど、今年ほどじゃなかった。だからせめて、こういうときぐらい、楽しむとまではいかなくても、ゆっくりしたいなあ、って」
「意地悪を言うつもりはないが、ゆっくりしたいなら、ぼくが行かなくてもできるだろ」
「――長嶺の男たちが一堂に会するのに、あんたがいなくてどうする」
突然、二人の会話に割って入ったのは、いつからそこにいたのか、開いた襖の傍らに立った守光だった。入っていいかと問われて頷くと、守光が二人の傍らに座る。このとき、畳んだ服の山にちらりと視線が向けられ、和彦はさりげなく自分の背後に隠す。
「すみません、片付けている途中だったもので……」
「この部屋も、ずいぶんあんたの私物が増えた。どうにかしないとな」
「クリニックが休みに入ったら、少しマンションに持ち帰ろうかと思っています」
「いや、そういうことではなくて――……、まあ、今はそのことはいい。法要のことだ」
守光にひたと見つめられ、和彦は背筋を伸ばす。すると守光が、淡い笑みをこぼした。
「堅苦しい話をするわけではないんだ。楽にしてくれないか、先生」
「あっ、はい……」
そう言われて、和彦は肩からわずかに力を抜く。
「先日、あんたが名簿を見たときに言っただろう。ちょっとした行事があると。それが、総和会が毎回執り行っている初代の法要だ。花見会は、世代を超えた交流会のような側面があるが、法要はあくまで内輪の集まり。花見会のように華やかな行事にはならん。形式にそって粛々と進むだけだ」
淡々とした口調でここまで話した守光が、次の瞬間、ニヤリと笑った。食えない笑い顔は、雰囲気が賢吾とよく似ている。
「総和会として大事なのは法要だが、長嶺組……長嶺の家にとって大事なのは、そのあとだ」
「あと、ですか?」
「宿を移して、ささやかに休養をとる。今は、わしや賢吾だけじゃなく、長嶺の男として千尋もがんばってくれたからな。家族旅行のようなものだ」
守光の穏やかな表現に、総和会や長嶺組という組織を知っている和彦としては、困惑するしかない。しかも、その『家族旅行』に、自分も同行するようなのだ。
「――……家族旅行、ですよね?」
「そうだ」
柔らかな声ながらそう言い切られると、もう何も言えない。長嶺の男が決めてしまったのなら、和彦は逆らうことはできないのだ。
決して嫌というわけではないが――。
ちらりと千尋に視線を向けると、にんまりと笑って返される。出かけられるのが楽しみで仕方ないという顔だ。
「……明後日出発なら、急いで準備をしないといけませんね」
ぽつりと和彦が洩らすと、守光は満足そうな顔をして立ち上がる。
「話は決まった。わしから賢吾に連絡しておこう」
そう言い置いて客間を出て行き、襖が閉まると同時に和彦は大きく息を吐き出す。ほんの何分か前の予感が的中したことに、いっそ清々しい気分になる。
そっと苦笑を洩らしかけたが、部屋にまだ千尋が残っていることを思い出した。
「お前は、今日は泊まっていくのか?」
和彦の問いかけに、千尋が首を横に振る。
「ううん。先生とじいちゃんと一緒にメシ食ったら、帰るよ。法要の打ち合わせや、準備もあるし」
「そうか」
数秒ほど、会話に不自然な間が空く。熱心に見つめてくる千尋の眼差しに不穏なものを感じた和彦は、あえて気づかないふりをして、背を向ける。
「バッグに着替えを詰め込まないと。……スーツは一着ぐらい持って行ったほうがいいのかな」
畳んだ服を手に取ろうとしたとき、突然背後から千尋に抱き締められた。勢いがよすぎたせいで、前のめりに倒れ込みそうになった和彦だが、ぐいっと引き戻される。
「こらっ……」
振り返ると、千尋の強い眼差しの直撃を受ける。何かが気になっている様子だ。和彦は軽く身を捩って座り直すと、千尋の顔を覗き込んだ。
「どうかしたのか?」
「んー、この部屋に入って、先生の顔を見た瞬間から気になってたんだけど――」
顔を寄せてきた千尋が、そっと唇を重ねてくる。ふざけているのかと思った和彦は、笑いながら押し退けようとしたが、次の千尋の言葉を聞いて顔を強張らせた。
「先生、なんか艶っぽい。全身から色気が漏れてて、エロい」
長嶺の男は本当に怖い。和彦が隠そうとしているものを、あっという間に本能で嗅ぎ取ってしまうのだ。
和彦は、鷹津とのやり取りも行為も、完璧に自分の中に押し込めているつもりだったが、そう思っていたのは自分だけだったのかもしれない。千尋が気づいたぐらいだ。守光など、クリニックから戻ってきた和彦を一目見て、何かがあったと確信した可能性もある。
「意地悪を言うつもりはないが、ゆっくりしたいなら、ぼくが行かなくてもできるだろ」
「――長嶺の男たちが一堂に会するのに、あんたがいなくてどうする」
突然、二人の会話に割って入ったのは、いつからそこにいたのか、開いた襖の傍らに立った守光だった。入っていいかと問われて頷くと、守光が二人の傍らに座る。このとき、畳んだ服の山にちらりと視線が向けられ、和彦はさりげなく自分の背後に隠す。
「すみません、片付けている途中だったもので……」
「この部屋も、ずいぶんあんたの私物が増えた。どうにかしないとな」
「クリニックが休みに入ったら、少しマンションに持ち帰ろうかと思っています」
「いや、そういうことではなくて――……、まあ、今はそのことはいい。法要のことだ」
守光にひたと見つめられ、和彦は背筋を伸ばす。すると守光が、淡い笑みをこぼした。
「堅苦しい話をするわけではないんだ。楽にしてくれないか、先生」
「あっ、はい……」
そう言われて、和彦は肩からわずかに力を抜く。
「先日、あんたが名簿を見たときに言っただろう。ちょっとした行事があると。それが、総和会が毎回執り行っている初代の法要だ。花見会は、世代を超えた交流会のような側面があるが、法要はあくまで内輪の集まり。花見会のように華やかな行事にはならん。形式にそって粛々と進むだけだ」
淡々とした口調でここまで話した守光が、次の瞬間、ニヤリと笑った。食えない笑い顔は、雰囲気が賢吾とよく似ている。
「総和会として大事なのは法要だが、長嶺組……長嶺の家にとって大事なのは、そのあとだ」
「あと、ですか?」
「宿を移して、ささやかに休養をとる。今は、わしや賢吾だけじゃなく、長嶺の男として千尋もがんばってくれたからな。家族旅行のようなものだ」
守光の穏やかな表現に、総和会や長嶺組という組織を知っている和彦としては、困惑するしかない。しかも、その『家族旅行』に、自分も同行するようなのだ。
「――……家族旅行、ですよね?」
「そうだ」
柔らかな声ながらそう言い切られると、もう何も言えない。長嶺の男が決めてしまったのなら、和彦は逆らうことはできないのだ。
決して嫌というわけではないが――。
ちらりと千尋に視線を向けると、にんまりと笑って返される。出かけられるのが楽しみで仕方ないという顔だ。
「……明後日出発なら、急いで準備をしないといけませんね」
ぽつりと和彦が洩らすと、守光は満足そうな顔をして立ち上がる。
「話は決まった。わしから賢吾に連絡しておこう」
そう言い置いて客間を出て行き、襖が閉まると同時に和彦は大きく息を吐き出す。ほんの何分か前の予感が的中したことに、いっそ清々しい気分になる。
そっと苦笑を洩らしかけたが、部屋にまだ千尋が残っていることを思い出した。
「お前は、今日は泊まっていくのか?」
和彦の問いかけに、千尋が首を横に振る。
「ううん。先生とじいちゃんと一緒にメシ食ったら、帰るよ。法要の打ち合わせや、準備もあるし」
「そうか」
数秒ほど、会話に不自然な間が空く。熱心に見つめてくる千尋の眼差しに不穏なものを感じた和彦は、あえて気づかないふりをして、背を向ける。
「バッグに着替えを詰め込まないと。……スーツは一着ぐらい持って行ったほうがいいのかな」
畳んだ服を手に取ろうとしたとき、突然背後から千尋に抱き締められた。勢いがよすぎたせいで、前のめりに倒れ込みそうになった和彦だが、ぐいっと引き戻される。
「こらっ……」
振り返ると、千尋の強い眼差しの直撃を受ける。何かが気になっている様子だ。和彦は軽く身を捩って座り直すと、千尋の顔を覗き込んだ。
「どうかしたのか?」
「んー、この部屋に入って、先生の顔を見た瞬間から気になってたんだけど――」
顔を寄せてきた千尋が、そっと唇を重ねてくる。ふざけているのかと思った和彦は、笑いながら押し退けようとしたが、次の千尋の言葉を聞いて顔を強張らせた。
「先生、なんか艶っぽい。全身から色気が漏れてて、エロい」
長嶺の男は本当に怖い。和彦が隠そうとしているものを、あっという間に本能で嗅ぎ取ってしまうのだ。
和彦は、鷹津とのやり取りも行為も、完璧に自分の中に押し込めているつもりだったが、そう思っていたのは自分だけだったのかもしれない。千尋が気づいたぐらいだ。守光など、クリニックから戻ってきた和彦を一目見て、何かがあったと確信した可能性もある。
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