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第33話
(1)
しおりを挟む畳んだ自分の服を抱え、和彦は小さく唸り声を洩らす。守光から与えられている客間は、すっかりもう和彦の自室という様相だ。
自宅マンションから必要に応じて服などを持ってきてもらっているためだが、客人らしく、遠慮しつつ部屋を使っているつもりだったのだ。なのに昨日、これを使ってくださいと、とうとう衣類用の収納ケースが客間に運び込まれてしまった。
勘繰りたくはないが、『和彦のために』と言いながら、これから本格的に家具が配置されていくのではないかと、つい身構えてしまう。
「……少し、マンションに持って帰ろうかな……」
せっかくクリニックが休みになるのだし、と声に出さずに続ける。
世間はいよいよ、盆休みに突入する。多忙な生活を送っている和彦としては、堂々とクリニックを閉められる行事は歓迎したいところだが、ゆっくりできると素直に喜べるほど能天気ではない。これまでの経験で、休日を自由に過ごせた試しがないのだ。
明日から約一週間、クリニックを閉めることになるが、どれぐらい休日として過ごせるだろうかと、すでにもう戦々恐々としている。
できることならマンションに戻り、のんびりと寛ぎたいところだが、そういう希望すら、まだ守光に切り出せないでいた。
一人になりたいと思いつつ、一人になるのが少し怖いという気持ちも和彦にはあった。
数日前の鷹津との狂おしい行為を思い返した途端、胸の奥が妖しくざわつく。鷹津の腕の中で肉欲の獣に成り果てたときの高揚感は忘れ難い。同時に、鷹津の強引さに屈服させられた自身の浅ましさを、痛感もさせられる。
鷹津との間にあったことを誰かに知られたらと考えると、寒気がする。賢吾にもさんざん指摘されてきたが、和彦は隠し事には向かない性格だ。特に、特別な関係を持つ男のことについては。
長嶺の男は怖い――と、心の中でひっそりと呟いたとき、客間の外で騒々しい足音が聞こえてくる。和彦が知る限り、こんなににぎやかな気配を立てる人間は一人しかいない。ぎょっとすると同時に襖が開き、慌しく千尋が飛び込んできた。
「――先生、海に行こうっ」
夏休みを待ちわびていた小学生かと思いつつ、和彦は胸元に手をやる。驚きすぎて、心臓の鼓動が痛いほど速くなっているのだ。
目の前に座った千尋が、まるで主人の反応を待つ人懐こい犬のような眼差しで見つめてくる。なんとか動揺を鎮めた和彦は、抑えた声音で問いかけた。
「今からか?」
「違う、違う、明後日から出かけるんだよ」
どちらにしても急な話だ。事態がよく呑み込めなくて眉をひそめると、和彦の戸惑いを察してくれたらしく、千尋は目を輝かせながら、弾んだ口調で説明を始めた。
「総和会の初代会長の法要があるんだ。でっかい寺で執り行うんだけど、今回は俺、オヤジに同行して出席することが決まってさ。で、法要のあとも行事があって、宿を取ることになってる」
「……宿の近くに、海があるのか?」
「すぐ側。前の法要のときは、オヤジやじいちゃんが法要に行って、ガキだった俺はそれを待っている間、泳いでたんだ」
へえ、と声を洩らした和彦だが、すぐにあることに気づいて指摘する。
「泳ぐって、子供の頃ならともかく、お前は今は、ダメだろ」
最初は意味がわからない様子で小首を傾げていた千尋だが、十秒ほどかけて、自分の体の状態を思い出したようだ。愕然とした表情で洩らした。
「あっ、俺、刺青……」
「大事なことを忘れるな。まだ入れている最中に、塩水になんて浸かったら大変だぞ。怪我しているのと同じ状態なんだからな」
心底残念そうな顔をしている千尋を見ていると、可哀想にはなってくるが、何もかも覚悟して刺青を入れているのであれば、海水浴ができないことぐらい、大した問題にはならないはずだ。
和彦は、千尋の頬を手荒く撫でてやる。
「そう、がっかりするな。この先、海に行く機会はあるだろうし、泳げなくても、足をつけるぐらいはできるだろ。ほら、砂浜で砂遊びもできるぞ」
「……先生、つき合ってくれる?」
甘ったれの男らしい眼差しと口調でねだられて、嫌とは言えない。和彦は苦笑を浮かべて頷く。
「それぐらいならつき合うが、総和会の大事な行事じゃないのか? 遊びに行くわけじゃないと、眉をひそめる人もいるんじゃ――」
「それは大丈夫っ」
ぐいっと身を乗り出してきた千尋の顔が眼前に迫る。反射的に仰け反りそうになったが、しっかりと両手を握られる。
「保養も兼ねて、家族や愛人――恋人を連れて来て、行事のあとに宿でゆっくりする人もいるって話だし。とにかく、法要をしっかり執り行なえれば、問題ないんだよ」
「お前、必死だな……」
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