血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
755 / 1,268
第32話

(20)

しおりを挟む
 ゆったりとシートに座っている賢吾の姿を認め、車に乗り込んだ姿勢のまま和彦は固まる。
「どうして――」
「ドアを閉めて、シートベルトをしろ、先生」
 笑いを含んだ声で賢吾に言われ、素直に従う。賢吾が乗っているのだから当然だが、前に座っているのは長嶺組の組員たちだった。総和会の送迎にいまだに慣れない和彦としては、何日ぶりかのほっとできる感覚だ。
 いくらか期待を込めて、賢吾を見遣る。
「もしかして――」
「夜までという約束で、総和会から先生を〈借りた〉んだ。少しつき合ってくれ」
 こちらが尋ねたかったことを先回りしたように、賢吾が言う。和彦は落胆を隠しきれなかった。
「……そうか」
 夕食でも一緒にとるつもりなのだろうかと思い、あえて行き先は尋ねなかった。
 車が発進し、薄闇の気配が感じられる街並みを眺めていた和彦だが、次第に隣の男のことが気になってくる。珍しく、話しかけてこないなと思ったのだ。
 何かが、いつもと違う。
 和彦はドアのほうにわずかに体を寄せ、警戒しつつ賢吾をうかがい見る。賢吾は、唇をわずかに緩めていた。しかし、何も言わない。
 明るい繁華街を通り抜けて車が進んだ先は、独特の雰囲気がある一角だった。人気がないわけではないが、にぎわっていると表現するのはためらわれる。どんな店が並んでいるかは、出ている看板で一目瞭然だ。
「降りるぞ、先生」
 賢吾に声をかけられ、和彦は目を見開く。
「ここで?」
「風俗街なんて、お上品な先生は滅多にくることはないだろう。社会勉強だ」
 賢吾に体を押され、仕方なく和彦は車を降り、賢吾もあとに続く。
 否応なくいかがわしい看板が視界に飛び込んでくる。つい物珍しさからまじまじと見つめてしまうが、どういう店なのかわかると、途端に目のやり場に困る。
「――ここはうちのシマじゃないから、下手に組の者は連れて歩けねーんだ」
 落ち着かない和彦と肩を並べて歩きながら、賢吾がそんなことを言い出す。護衛の重要性をそれなりに理解している和彦はぎょっとする。
「それ……、危ないんじゃないのか」
「まあ、何かあっても大丈夫だろ。一応、話は通してあるしな」
「一応って……」
「心配しなくていい。それもこれも、先生の勉強のためだ」
 こんな場所で何を学べというのかと、ささやかな反発心から足を止めたが、賢吾に背を押されてすぐにまた歩き出す。
 夏らしい気温の高さと、どこからともなく吐き出されるエアコンの熱風が、一緒くたになって通行人に襲いかかってくるようだった。ときおり鼻先を掠める甘ったるい匂いは、通りすぎた女性がつけている香水だろう。それに酒と煙草の匂い。他の匂いは――よくわからない。
 賢吾に腕を掴まれ、路地へと入ってさらに数分ほど歩く。角を曲がって現れたのは、古い木造の建物が密集して建ち並んだ小路だった。
 こんなところにも住宅地があるのだと思ったが、それも一瞬だ。申し訳程度の小さな看板が出ているところがあり、玄関先には薄ぼんやりと電気もついている。どうやら飲み屋ではないようだ。どの建物もあまりに静かすぎる。
「ここがにぎわうのは、もっと遅い時間だ。さすがにそんな時間に、男二人だけで歩くわけにはいかないからな」
 囁くような声で賢吾が言い、倣って和彦も小声で尋ねる。
「どういう場所なんだ。さっきまでの通りとは、雰囲気がまったく違う」
「俺と先生は、合法と非合法の境を跨いできたんだ。堂々と明るいネオンを照らしている店は、風営法の許可を取ってある。法律が許す範囲で、男を癒す行為ができるんだ。だがな、ヤクザがシマにしているのは、相応の理由がある。この一帯は――」
 人気はほとんどないというのに、辺りをはばかるように賢吾が耳元に顔を寄せてきた。
「いわゆる連れ込み宿ってやつが並んでる。女を連れ込む場合もあるが、宿に女が待機しているところもある。仕切っているのは、ヤクザだ。皮肉だが、ヤクザが規律を作って、守らせている。そうやって秩序を保ち、女の安全を守っている。その女に体を売らせているのも――ヤクザなんだがな」
 説明を聞いて、この小路の薄暗さと、なんの商売をしているかわからない小さな看板の意味を理解した。
 これが社会勉強なのだろうかと、和彦は何も言えず、ただ賢吾を見つめる。和彦が何を考えたのかわかったらしく、賢吾は薄い笑みを浮かべた。
「今のは単なる基礎知識だが、先生が関わることはないから、別に覚えなくてもいいぞ」
「なら……」
 賢吾がある建物――宿を指さした。
「ここだ。いいか、先生。この宿に入ったら、何が起きても声は出すな。ただ、黙って見ていろ」
「……何が、あるんだ」
「怖いものだ。だが絶対に、目が離せなくなる」

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

朝起きたら幼なじみと番になってた。

オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。 隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた 思いつきの書き殴り オメガバースの設定をお借りしてます

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...