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第32話
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御堂の視線が、ふっと和彦の顔に定まる。寸前までとは別人ではないかと思うほど、冴え冴えとした目をしていた。
「賢吾に唆されて、少しばかり嫌がらせをしたくなった」
「……誰に、ですか?」
「すぐにわかる。わたしと接触したことで、君も無関係ではなくなったから。あっ、こうして君をお茶に誘い出したのも、嫌がらせの一つなんだ」
御堂は口元に笑みは浮かんでいるものの、目はまったく笑っていなかった。腹の内は読めないが、御堂の感情は読み取れる気がした。
御堂の色素の薄い瞳にあるのは、冷たい怒りだ。触れた相手を凍らせて、砕いてしまうほど容赦のない。
和彦の怯えを感じ取ったのか、御堂はすぐにまた目元を和らげた。
「君からの質問に答えてばかりだから、今度はこちらから質問してもいいかな」
「ええ、ぼくに答えられることなら」
「長嶺会長の体調のことはわたしの耳にも入っているんだが、確か、大したことはなかったはずだ。なのに、君はどうしてまだ本部に?」
「どうしてでしょう……」
素直に答えたあとで、和彦はうろたえる。これではふざけていると取られかねないと考えたのだが、御堂はあごに指を当て、少し考える素振りを見せた。それから、納得したように頷いた。
「ああ、帰してもらえないのか」
御堂はきっと、和彦が守光のオンナであることも知っているはずだ。三世代の長嶺の男たちとの、爛れた――としか表現できない関係をどう感じているのか、問うてみたい気持ちはあるが、どんな気遣いを滲ませた言葉をかけられたところで、自分の立場を恥じ入ることは目に見えていた。
今の話を聞く限り、御堂は自分の力で総和会で居場所を得てきた人間だ。男たちから与えられた立場を甘受して、力に身を委ねているだけの自分とはあまりに違う。それを痛感したとき、和彦は御堂の存在に臆していた。
筋者の男に対して、初めて抱く感情だった。比較対象として、御堂に劣等感を抱いたといってもいい。
「――先生?」
御堂に呼ばれて我に返る。咄嗟に声が出せないでいると、気にしたふうもなく御堂はこんなことを言った。
「他の人間は〈先生〉と呼び慣れているようだけど、わたしはどうしても、今も診察してもらっている医者の顔が頭をちらつくんだ。だから君のことは、〈佐伯くん〉と呼んでいいかな」
「あっ、ええ、もちろんです。むしろ呼び捨てでもいいぐらいで……」
「それは遠慮しておく。わたしが君を、使い走りにでもしていると誤解されたら面倒だし」
「そんなこと――」
「君は、自分が周囲の男共からどれだけ大事にされているか、自覚したほうがいい」
にっこりと笑いかけてきた御堂につられ、和彦もぎこちない笑みで返す。
喫茶店を出ると、まだ戻りたくないという和彦の気持ちを汲み取ってくれたのか、御堂は二神に指示して、近辺を車で走ってくれる。ささやかなドライブだ。
気分転換というには濃厚な時間を過ごし、総和会本部の建物が見えてきたとき和彦は、ほっとしたような、少し残念なような気分を味わった。
駐車場に車が入り、御堂に丁寧に礼を述べて和彦だけが車を降りる。ここで、一人の男がこちらに向かってくるのに気づいた。
駐車場に敷かれたアスファルトから立ちのぼる陽炎を蹴散らす勢いでやってくるのは、南郷だ。
本能的な危機感から、ゾクリと寒気がする。和彦は車のドアに手をかけたまま、軽くよろめいていた。それに気づいた御堂が車中から声をかけてくる。
「佐伯くん?」
その御堂も南郷に気づいたらしく、すぐに車から降り、和彦の傍らに立った。
目の前に立った南郷は、珍しく怒気を露わにしていた。鋭い視線を向けた先は、御堂だ。
「――勝手に先生を連れ出して、どういうつもりだ、御堂」
自分に向けられたわけでもないのに、南郷の低く抑えた声を聞いて、和彦の身は竦む。一方、凄まれた御堂のほうは表情を動かしもせず、淡々と応じた。
「ずいぶんな言い方だな。〈佐伯くん〉が散歩に行きたいと言うから、護衛のために同行しただけだ」
本当かと問うように、南郷がこちらを見る。和彦が頷くと、忌々しげに舌打ちした南郷が、再び御堂と向き直った。
荒々しく凶暴な空気を振り撒きながらも、和彦の前では悠然として、言動も最低限紳士的に振る舞っている男にしては珍しく、余裕がなかった。
御堂はあえて挑発するように、南郷に冷ややかな笑みを向けた。
「長嶺会長のために、君が佐伯くんを大事にしているのはわかるが、こちらの事情も斟酌してほしいな、南郷。彼は、わたしの友人である長嶺組長にとっても、大事な人だ。つまりわたしにとっても、大事な人というわけだ」
南郷と御堂が視線を交わす。まるで、眼差しで切りつけ合っているような迫力に、完全に和彦は呑まれていた。同時に、総和会会長の側近である南郷と、ここまで対等に言い合える御堂とは何者なのか、改めて気になった。
いつの間にか御堂の秀麗な横顔に見入っていたが、ふいに南郷の手が肩にかかって我に返る。
「先生、こんな暑い場所にいつまでもいたら、体によくない。中に入ってくれ」
南郷の手にわずかに力が入る。ギリギリのところで激情を抑えているのだと察した和彦は、逆らえなかった。御堂に頭を下げてもう一度礼を言うと、南郷に促されるまま歩き出す。
「勝手に出歩かないでくれ。外に出るときは、吾川か、うちの隊の誰でもいいから声をかけてほしい。三階に、隊の詰め所があるのは知っているだろう」
建物に入ったところで南郷に言われ、内心では反発を覚えながらも、とりあえず頷いておく。和彦が逆らわなかったことで、南郷はようやくいつもの調子を取り戻し始めたのか、唇の端に鋭い笑みを浮かべた。
この南郷に、一瞬にして余裕を失わせた御堂とは何者なのか、どうしても気になる。
一緒にエレベーターに乗り込んだところで、たまらず和彦は南郷に尋ねた。
「南郷さん、御堂さんは一体、どういう人なんですか」
「一緒にいたのに、教えてもらわなかったのか」
「いろいろ話してはもらえましたが、総和会で何をしているかまでは……」
「――御堂秋慈は、第一遊撃隊の隊長だ」
思いがけないことを聞かされて、和彦は絶句する。南郷は心底不快そうに唇を歪めた。
「賢吾に唆されて、少しばかり嫌がらせをしたくなった」
「……誰に、ですか?」
「すぐにわかる。わたしと接触したことで、君も無関係ではなくなったから。あっ、こうして君をお茶に誘い出したのも、嫌がらせの一つなんだ」
御堂は口元に笑みは浮かんでいるものの、目はまったく笑っていなかった。腹の内は読めないが、御堂の感情は読み取れる気がした。
御堂の色素の薄い瞳にあるのは、冷たい怒りだ。触れた相手を凍らせて、砕いてしまうほど容赦のない。
和彦の怯えを感じ取ったのか、御堂はすぐにまた目元を和らげた。
「君からの質問に答えてばかりだから、今度はこちらから質問してもいいかな」
「ええ、ぼくに答えられることなら」
「長嶺会長の体調のことはわたしの耳にも入っているんだが、確か、大したことはなかったはずだ。なのに、君はどうしてまだ本部に?」
「どうしてでしょう……」
素直に答えたあとで、和彦はうろたえる。これではふざけていると取られかねないと考えたのだが、御堂はあごに指を当て、少し考える素振りを見せた。それから、納得したように頷いた。
「ああ、帰してもらえないのか」
御堂はきっと、和彦が守光のオンナであることも知っているはずだ。三世代の長嶺の男たちとの、爛れた――としか表現できない関係をどう感じているのか、問うてみたい気持ちはあるが、どんな気遣いを滲ませた言葉をかけられたところで、自分の立場を恥じ入ることは目に見えていた。
今の話を聞く限り、御堂は自分の力で総和会で居場所を得てきた人間だ。男たちから与えられた立場を甘受して、力に身を委ねているだけの自分とはあまりに違う。それを痛感したとき、和彦は御堂の存在に臆していた。
筋者の男に対して、初めて抱く感情だった。比較対象として、御堂に劣等感を抱いたといってもいい。
「――先生?」
御堂に呼ばれて我に返る。咄嗟に声が出せないでいると、気にしたふうもなく御堂はこんなことを言った。
「他の人間は〈先生〉と呼び慣れているようだけど、わたしはどうしても、今も診察してもらっている医者の顔が頭をちらつくんだ。だから君のことは、〈佐伯くん〉と呼んでいいかな」
「あっ、ええ、もちろんです。むしろ呼び捨てでもいいぐらいで……」
「それは遠慮しておく。わたしが君を、使い走りにでもしていると誤解されたら面倒だし」
「そんなこと――」
「君は、自分が周囲の男共からどれだけ大事にされているか、自覚したほうがいい」
にっこりと笑いかけてきた御堂につられ、和彦もぎこちない笑みで返す。
喫茶店を出ると、まだ戻りたくないという和彦の気持ちを汲み取ってくれたのか、御堂は二神に指示して、近辺を車で走ってくれる。ささやかなドライブだ。
気分転換というには濃厚な時間を過ごし、総和会本部の建物が見えてきたとき和彦は、ほっとしたような、少し残念なような気分を味わった。
駐車場に車が入り、御堂に丁寧に礼を述べて和彦だけが車を降りる。ここで、一人の男がこちらに向かってくるのに気づいた。
駐車場に敷かれたアスファルトから立ちのぼる陽炎を蹴散らす勢いでやってくるのは、南郷だ。
本能的な危機感から、ゾクリと寒気がする。和彦は車のドアに手をかけたまま、軽くよろめいていた。それに気づいた御堂が車中から声をかけてくる。
「佐伯くん?」
その御堂も南郷に気づいたらしく、すぐに車から降り、和彦の傍らに立った。
目の前に立った南郷は、珍しく怒気を露わにしていた。鋭い視線を向けた先は、御堂だ。
「――勝手に先生を連れ出して、どういうつもりだ、御堂」
自分に向けられたわけでもないのに、南郷の低く抑えた声を聞いて、和彦の身は竦む。一方、凄まれた御堂のほうは表情を動かしもせず、淡々と応じた。
「ずいぶんな言い方だな。〈佐伯くん〉が散歩に行きたいと言うから、護衛のために同行しただけだ」
本当かと問うように、南郷がこちらを見る。和彦が頷くと、忌々しげに舌打ちした南郷が、再び御堂と向き直った。
荒々しく凶暴な空気を振り撒きながらも、和彦の前では悠然として、言動も最低限紳士的に振る舞っている男にしては珍しく、余裕がなかった。
御堂はあえて挑発するように、南郷に冷ややかな笑みを向けた。
「長嶺会長のために、君が佐伯くんを大事にしているのはわかるが、こちらの事情も斟酌してほしいな、南郷。彼は、わたしの友人である長嶺組長にとっても、大事な人だ。つまりわたしにとっても、大事な人というわけだ」
南郷と御堂が視線を交わす。まるで、眼差しで切りつけ合っているような迫力に、完全に和彦は呑まれていた。同時に、総和会会長の側近である南郷と、ここまで対等に言い合える御堂とは何者なのか、改めて気になった。
いつの間にか御堂の秀麗な横顔に見入っていたが、ふいに南郷の手が肩にかかって我に返る。
「先生、こんな暑い場所にいつまでもいたら、体によくない。中に入ってくれ」
南郷の手にわずかに力が入る。ギリギリのところで激情を抑えているのだと察した和彦は、逆らえなかった。御堂に頭を下げてもう一度礼を言うと、南郷に促されるまま歩き出す。
「勝手に出歩かないでくれ。外に出るときは、吾川か、うちの隊の誰でもいいから声をかけてほしい。三階に、隊の詰め所があるのは知っているだろう」
建物に入ったところで南郷に言われ、内心では反発を覚えながらも、とりあえず頷いておく。和彦が逆らわなかったことで、南郷はようやくいつもの調子を取り戻し始めたのか、唇の端に鋭い笑みを浮かべた。
この南郷に、一瞬にして余裕を失わせた御堂とは何者なのか、どうしても気になる。
一緒にエレベーターに乗り込んだところで、たまらず和彦は南郷に尋ねた。
「南郷さん、御堂さんは一体、どういう人なんですか」
「一緒にいたのに、教えてもらわなかったのか」
「いろいろ話してはもらえましたが、総和会で何をしているかまでは……」
「――御堂秋慈は、第一遊撃隊の隊長だ」
思いがけないことを聞かされて、和彦は絶句する。南郷は心底不快そうに唇を歪めた。
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