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第32話
(12)
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住居スペースを出てエレベーターに乗り込むまでの間、誰にも出会わなかった。このまま一階まで向かおうかとも思ったが、すぐに考え直す。総和会本部の人の出入りのチェックの厳重さを思い出したのだ。あくまで和彦は、守光や、護衛と行動をともにしているおかげで、特別扱いを受けているだけだ。
一人で行動するとなると、面倒なことになるのは目に見えている。だからといって引き返す気にもなれない。
ただ、近所を散歩したいだけなのに――。
とりあえず二階にいる誰かに、建物の外に出たい旨を告げて反応をうかがうしかないだろう。そこで悪戦苦闘する自分の姿を想像して、和彦はため息をつく。
二階に着いたエレベーターの扉が開き、足元に視線を落としたまま降りた次の瞬間、横からの衝撃を受けて体が大きくよろめく。
「うわっ」
危うく床に倒れ込みそうになったが、すかさず腕を掴まれて体を支えられる。
「すまない。大丈夫か」
「いえ、こちらこそ、よく見ていなかったもので――」
なんとか体勢を持ち直し、顔を上げる。傍らに立っていたのは、四十代前半のスーツ姿の男だった。全体に鋭い雰囲気が漂う顔立ちの中、目元の険しさは特に際立っているが、それでいて物腰は非常に丁寧だ。
きれいに撫でつけられた男の髪型になんとなく見覚えがあり、和彦はついまじまじと見つめてしまう。すると男が、少し困ったような顔で笑った。一瞬、鋭さが薄れる。
「――でかい図体の男が、戦車みたいにドカドカと歩くな、二神。怪我でもさせたらどうするんだ」
凛とした声が和彦の耳に届く。その声に反応するように、男は掴んでいた和彦の腕を離すと同時に素早い動きで身を引いた。
まず和彦の目に飛び込んできたのは、屈強そうな体をダークグレーのスーツで包んだ男たちの壁だった。その間から、すらりとした長身の男が姿を現す。他の男たちの堅苦しい格好とは対照的な白のワイシャツ姿で、凛とした声の主だと、直感でわかった。まさに声に相応しい外見をしていたからだ。
目を丸くする和彦のもとに、足音を立てない印象的な歩き方で男がやってくる。年齢不詳、という言葉が頭に浮かんだが、それは、息を呑むほど秀麗な顔立ちを際立たせる魅力の一つだと感じた。色素の薄い瞳は思慮深さを、笑みを形づくる唇は人当たりの柔らかさを感じさせる。
容易に人を惹きつける外見は、二十代だと言われても信じてしまいそうだが、髪には白いものが目立つ。守光のような見事な白髪というわけではなく、黒髪と絶妙に入り混じり、灰色がかって見えるのだ。そのため、顔立ちの若々しさとの違いが際立ち、結果として、年齢の判断がつかない。
一度会えば絶対に忘れられない外見と雰囲気の持ち主だった。たとえ視界の隅にちらりと入っただけでも、視線が吸い寄せられる存在感を放っている。
こんな人物が総和会本部にいたのかと、瞬きすらせず見つめる和彦に、男はまずこう声をかけてきた。
「ようやく会えた。――先生」
不思議なほど親しみが込められた言葉に、まず和彦は戸惑う。
「あの……?」
「ああ、失礼。わたしは君をよく知っているけど、君はわたしをまったく知らないんだった。賢吾から聞かされていたから、すっかり顔馴染みのつもりでいた」
男の口から出た『賢吾』という単語の響きは、和彦の鼓膜と心に小さな刺激を生み出した。
「機会があれば会わせてもらおうと思っていたのに、まさかこんなに早く会えるとは……。これも、縁があるということかな」
わずかに首を傾げて男がじっと見つめてくる。瞳の色合いのせいで優しげな印象を受ける眼差しだった。この総和会本部にいて、緊張や威嚇、頑なさや冷徹さといったものを両目に宿していない人間は珍しい。あくまで自然体に見える。
一体何者なのだろうか――。
警戒とまではいかないが、率直な疑問が顔に出たらしく、男は一層眼差しを和らげた。
「すまない。一人で話して、戸惑わせてしまった。わたしは、御堂秋慈。こんな場所にいて言うのもなんだが、怪しい者じゃない」
名乗ってもらいはしたが、〈何者〉という疑問は解消されない。一体どういう立場でここにいるのか、まったくわからないからだ。何かしら肩書きを持っていることは疑いようもないだろう。総和会本部内で、これだけの男たちを引き連れて歩ける者は限られている。
ただ、和彦が知っている光景とは様子が違う。肩で風を切る、という表現があるが、部下たちに囲まれている者の歩き方はまさにそれだ。手にしている力に酔っているにせよ、虚勢にせよ、他者を従わせているという力関係が生々しいほど伝わってくるのだ。
一人で行動するとなると、面倒なことになるのは目に見えている。だからといって引き返す気にもなれない。
ただ、近所を散歩したいだけなのに――。
とりあえず二階にいる誰かに、建物の外に出たい旨を告げて反応をうかがうしかないだろう。そこで悪戦苦闘する自分の姿を想像して、和彦はため息をつく。
二階に着いたエレベーターの扉が開き、足元に視線を落としたまま降りた次の瞬間、横からの衝撃を受けて体が大きくよろめく。
「うわっ」
危うく床に倒れ込みそうになったが、すかさず腕を掴まれて体を支えられる。
「すまない。大丈夫か」
「いえ、こちらこそ、よく見ていなかったもので――」
なんとか体勢を持ち直し、顔を上げる。傍らに立っていたのは、四十代前半のスーツ姿の男だった。全体に鋭い雰囲気が漂う顔立ちの中、目元の険しさは特に際立っているが、それでいて物腰は非常に丁寧だ。
きれいに撫でつけられた男の髪型になんとなく見覚えがあり、和彦はついまじまじと見つめてしまう。すると男が、少し困ったような顔で笑った。一瞬、鋭さが薄れる。
「――でかい図体の男が、戦車みたいにドカドカと歩くな、二神。怪我でもさせたらどうするんだ」
凛とした声が和彦の耳に届く。その声に反応するように、男は掴んでいた和彦の腕を離すと同時に素早い動きで身を引いた。
まず和彦の目に飛び込んできたのは、屈強そうな体をダークグレーのスーツで包んだ男たちの壁だった。その間から、すらりとした長身の男が姿を現す。他の男たちの堅苦しい格好とは対照的な白のワイシャツ姿で、凛とした声の主だと、直感でわかった。まさに声に相応しい外見をしていたからだ。
目を丸くする和彦のもとに、足音を立てない印象的な歩き方で男がやってくる。年齢不詳、という言葉が頭に浮かんだが、それは、息を呑むほど秀麗な顔立ちを際立たせる魅力の一つだと感じた。色素の薄い瞳は思慮深さを、笑みを形づくる唇は人当たりの柔らかさを感じさせる。
容易に人を惹きつける外見は、二十代だと言われても信じてしまいそうだが、髪には白いものが目立つ。守光のような見事な白髪というわけではなく、黒髪と絶妙に入り混じり、灰色がかって見えるのだ。そのため、顔立ちの若々しさとの違いが際立ち、結果として、年齢の判断がつかない。
一度会えば絶対に忘れられない外見と雰囲気の持ち主だった。たとえ視界の隅にちらりと入っただけでも、視線が吸い寄せられる存在感を放っている。
こんな人物が総和会本部にいたのかと、瞬きすらせず見つめる和彦に、男はまずこう声をかけてきた。
「ようやく会えた。――先生」
不思議なほど親しみが込められた言葉に、まず和彦は戸惑う。
「あの……?」
「ああ、失礼。わたしは君をよく知っているけど、君はわたしをまったく知らないんだった。賢吾から聞かされていたから、すっかり顔馴染みのつもりでいた」
男の口から出た『賢吾』という単語の響きは、和彦の鼓膜と心に小さな刺激を生み出した。
「機会があれば会わせてもらおうと思っていたのに、まさかこんなに早く会えるとは……。これも、縁があるということかな」
わずかに首を傾げて男がじっと見つめてくる。瞳の色合いのせいで優しげな印象を受ける眼差しだった。この総和会本部にいて、緊張や威嚇、頑なさや冷徹さといったものを両目に宿していない人間は珍しい。あくまで自然体に見える。
一体何者なのだろうか――。
警戒とまではいかないが、率直な疑問が顔に出たらしく、男は一層眼差しを和らげた。
「すまない。一人で話して、戸惑わせてしまった。わたしは、御堂秋慈。こんな場所にいて言うのもなんだが、怪しい者じゃない」
名乗ってもらいはしたが、〈何者〉という疑問は解消されない。一体どういう立場でここにいるのか、まったくわからないからだ。何かしら肩書きを持っていることは疑いようもないだろう。総和会本部内で、これだけの男たちを引き連れて歩ける者は限られている。
ただ、和彦が知っている光景とは様子が違う。肩で風を切る、という表現があるが、部下たちに囲まれている者の歩き方はまさにそれだ。手にしている力に酔っているにせよ、虚勢にせよ、他者を従わせているという力関係が生々しいほど伝わってくるのだ。
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