血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
746 / 1,268
第32話

(11)

しおりを挟む



 文机に置いたノートパソコンに向き合い、持ち帰った仕事をしていた和彦はふと時間を確認する。そろそろ一息つこうと思ったが、その前に務めを果たさなければならない。
 客間を出た和彦は、サイドボードに仕舞ってある血圧計を抱えて、守光の部屋に行く。声をかけ、応じる声を受けて襖を開けると、守光もまだ仕事をしていた。
 畳の上に名簿らしきものが印刷された紙を広げ、それを眺めながら守光は電話で誰かと話している。出直そうかと思ったが、当の守光に手招きをされたので部屋に入った。
 守光が検査入院から戻ってきてから、朝と夜の二回、血圧を計るのが和彦の日課となっていた。これまでは吾川の担当だったそうだが、守光の体調をなるべく把握しておくためにも、ここに滞在している間は任せてもらうことにした。
 名簿を見ながら守光は、出席者の確認らしきことを電話の相手としているようだった。また会合があるのだろうかと、頭の片隅でそんなことを考えながら、守光の片腕を取って黙々と血圧を測る。
 守光の邪魔をしないつもりで、速やかに血圧計を片付けていた和彦だが、ふと顔を上げ、飾り棚の一番上に置かれた木箱に目を止める。きちんと紐が結ばれており、もしかすると箱書きが入っているような立派なものかもしれないと考えたとき、夕方、守光のもとに骨董を扱う人物が訪れていたことを思い出した。
 木箱の大きさからして、掛け軸を購入したのだろうか――。
 手を止め、木箱を見つめる和彦に気づいたのか、守光が声をかけてきた。
「何か気になるかね」
 慌てて隣を見ると、いつの間にか守光は電話を終えていた。
「あっ、いえ、箱が――」
「箱?」
 守光の視線が、飾り棚の上へと向けられる。
「ああ、あれか。古くからの友人が、骨董品以外に、いろいろと変わった品も扱っていてな。それで、頼んでおいたものが出来上がったというので、さっそく今日持ってきてもらった」
『出来上がった』という表現が引っかかったが、あえて確認するほどのことでもない。
 血圧を計り終えた和彦はすぐに客間に戻ってもよかったが、それではあまりに素っ気ない。守光が毎晩、自分との他愛ない会話を楽しんでいることを、なんとなくだが感じ取っていた。ただ、自分から話題を振るのは苦手だ。そんな和彦の気持ちを知ってか知らずか、畳の上の紙をまとめながら守光が言った。
「もうすぐ、ちょっとした行事があるから、今その出席者の確認作業をしているんだ」
「……その名簿ですか?」
「春の花見会のような大規模なものではないが、総和会にとっては欠かせない大事な行事だ。――今年は、あんたにも出席してもらおうかな」
 冗談めかした口調ながら、こちらを見る守光の目は真剣だった。このとき和彦の脳裏を過ったのは、守光から提案されている、総和会出資によるクリニックの経営の話だった。すでにもう逃げ場がない状態に追い込まれており、あとは和彦が頷くだけというところまできているが、守光はそこまではまだ求めてこない。
 あとほんのわずかだけ、強引に話を進めてしまえば、和彦は承諾するとわかっているはずなのに。
「そういえば、今日は地下で体を動かしたと言っていたが、使い心地はどうだったかね?」
 話題が変わったことに内心でほっとしながら、和彦は笑みをこぼす。
「立派ですね。スポーツジムに行かなくても、十分に体を動かせるマシンが揃っていて、プールまであるし。ぼくが行ったときは、人もあまりいませんでしたから、のびのびと過ごせました」
「ということは、あんたをここに閉じ込めても、運動不足にはしなくて済むということか」
 えっ、と声を洩らして和彦が目を丸くすると、守光は楽しげにこう言った。
「――冗談だよ」




 いくら体を動かしたところで、根本的な気分転換になるわけではないと、土曜日の昼下がりに和彦は痛感していた。
 平日は仕事で忙しいため、とりあえず体を動かしておけばストレスは発散できる。仕事がない土日については、これまでは、守光の体の状態を気にかけたり、総和会本部内での自分の身に置き方についてまだ戸惑っていたため、住居スペースで過ごしていても、不都合はなかったのだ。
 しかし、和彦自身、呆れるような順応性の高さが、ここにきて厄介な問題を引き起こしていた。
 鉄板で覆われて外の景色を見ることができない窓を眺め、重苦しいため息をつく。昼食をとり終え、未読の本に手を伸ばしたりしていたが、文章を目で追うには集中力が足りない。自分がこんなことをしたいわけではないと、和彦自身がよくわかっているせいだ。
 暇を持て余している和彦とは違い、守光は今日も忙しい。朝食は一緒にとったが、その後は予定が詰まっているということで、慌しく出かけていった。
 一人取り残され、正直気楽ではあるのだが、だからといってのびのびと過ごせるわけではない。
 客間の中をうろうろと歩き回った挙げ句、和彦は心を決めた。Tシャツの上からパーカーを羽織り、パンツのポケットに財布をねじ込む。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

男子寮のベットの軋む音

なる
BL
ある大学に男子寮が存在した。 そこでは、思春期の男達が住んでおり先輩と後輩からなる相部屋制度。 ある一室からは夜な夜なベットの軋む音が聞こえる。 女子禁制の禁断の場所。

灰かぶりの少年

うどん
BL
大きなお屋敷に仕える一人の少年。 とても美しい美貌の持ち主だが忌み嫌われ毎日被虐的な扱いをされるのであった・・・。

処理中です...