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第31話
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「最初に話していたのは、賢吾だった。あんたのために、いい番犬をつけてやったと。次に話していたのが、南郷だ。あの刑事は、先生に狂っている性質の悪い犬だと、おもしろいことを言っていたが――、今日見て、納得した。確かに、刑事の肩書きを持ちながら、総和会本部の前で張り込むなど、正気の沙汰じゃない。しかもそれが、職務に駆り立てられてのものじゃなく、あんた個人のためだ」
守光の口ぶりからして、すべて南郷から伝わっているようだ。自分の口からの説明が省けるということは、しかし和彦には救いにならない。
「……ぼくが、マンションにも本宅にも姿を見せないため、心配したようです。普段は、用がなければ連絡も取り合うこともないので、正直、今日のような行動は予想外で……」
「仮にあの刑事が、うちの者に小突かれたと訴えたら、我々は何もできん。素直に取り調べを受けるしかないんだ。領分を弁えない者には、総和会の力など通用しない。当然、駆け引きもできない。そういう手合とは関わりを持たないのが一番だが、賢吾には賢吾の考えがあるんだろう。しかし、今は状況が変わっている。あんたは長嶺組組長だけではなく、総和会会長であるわしのオンナだ。わしの言うことにも従ってもらわないと困る」
守光の言うことは、理解できる。鷹津の存在に危惧を抱いて当然のことだ。視線を伏せて守光の話を聞いていた和彦だが、次に言われた内容に、ハッと守光の顔を見つめていた。
「――あの男を手放すんだ」
和彦は大きく目を見開く。
「手切れ金なら、こちらで用意するし、話もつけよう。あんたは何も心配せず、長嶺の男たちにとって善きオンナであり、ときには息抜きとして、安全な男たちと関係を持てばいい」
全身が熱くなったのは、羞恥からなのか、それ以外の感情からなのか、あえて和彦は考えなかった。
「それは――」
「あんたの番犬は、あんた恋しさに、さらに狂うだろう。それは、わしらだけでなく、何よりあんたにとって危険だ」
動揺と混乱によって、頭の中が真っ白になる。だが、長い時間ではなかった。石を投げ込まれた湖面が大きな波紋を広げたあと、何事もなかったように静けさを取り戻すように、和彦はすぐに冷静になる。いや、冷静という言葉では足りない。一瞬にして心を凍りつかせた。
守光の目をひたと見据え、和彦は囁くような声で告げた。
「――あの男は、ぼくに執着しています。今、手放すほうが、より危険です。もともと、長嶺組長……賢吾さんを憎んでいる男です。ぼくが追い払えば、確実に賢吾さんだけではなく、長嶺の男たちを逆恨みし、牙を剥くはずです。だからまだ、しばらくはこのままに。妙なまねをしないよう、ぼくが首輪をつけておきます」
本当は和彦には、自分が鷹津に執着されているという確信などなかった。賢吾を恨み、憎みながらも、長嶺組と繋がっていることで得る利益を計算したうえで、鷹津は、長嶺の男たちの〈オンナ〉である和彦を大事にしているのだと思っている。
互いに、情が芽生えつつあることは薄々感じてはいるが、それはひどく曖昧で脆いもので、確認し合った途端、砕け散ってしまいそうだ。だから、口にしない。触れもしない。繋がるのは体と利害だけ。鷹津との関係は、そういうものなのだ。
守光に見つめ返されながら和彦は、内心ではひどく怯えていた。今、目の前にいる総和会の頂点に立つ男は、表面上はあくまで端整で穏やかな人物だ。一方で背には、九本の尾を持つ禍々しい狐を背負っている。その狐がどれほど凶悪で凶暴、冷酷な生き物なのか和彦は知らない。守光は一度もうかがわせたことはないからだ。
それ故に、存在をうかがわせる守光の目を見るのは怖かった。いつ、恐ろしい狐と目が合ってしまうかと。
賢吾がそうであるように、長嶺の男は、背負った獣を身の内に飼っていると、和彦は信じていた。
あともう少しで気圧され、目を逸らしそうになったとき、ようやく守光が口を開いた。
「あんたの健気さは、性質が悪い。男を駆り立てて、さらに骨抜きにしていく。品がよくて優しげな見た目とは裏腹に、本当に悪いオンナだ……」
「健気なんて――」
「あの男も大事、この男も大事。さらには面子も守ってやりたい。気にかけるものが多くて大変だろう、先生。人によっては八方美人と悪し様に言うかもしれんが、そうでなくては、長嶺の男たちのオンナは務まらん。いや、あんたの場合、務めているという認識すらないか。性分だ。男たちに大事にされる、悪いオンナの性分」
守光は口元に鋭い笑みを刻んだ。
「わしは、あんたのそういうところも気に入っている。愛でて、大事にしてやりたい。今後のためにも。――刑事のことは、しばらく様子を見よう。あんたが上手く躾けてくれることを期待して」
守光の口ぶりからして、すべて南郷から伝わっているようだ。自分の口からの説明が省けるということは、しかし和彦には救いにならない。
「……ぼくが、マンションにも本宅にも姿を見せないため、心配したようです。普段は、用がなければ連絡も取り合うこともないので、正直、今日のような行動は予想外で……」
「仮にあの刑事が、うちの者に小突かれたと訴えたら、我々は何もできん。素直に取り調べを受けるしかないんだ。領分を弁えない者には、総和会の力など通用しない。当然、駆け引きもできない。そういう手合とは関わりを持たないのが一番だが、賢吾には賢吾の考えがあるんだろう。しかし、今は状況が変わっている。あんたは長嶺組組長だけではなく、総和会会長であるわしのオンナだ。わしの言うことにも従ってもらわないと困る」
守光の言うことは、理解できる。鷹津の存在に危惧を抱いて当然のことだ。視線を伏せて守光の話を聞いていた和彦だが、次に言われた内容に、ハッと守光の顔を見つめていた。
「――あの男を手放すんだ」
和彦は大きく目を見開く。
「手切れ金なら、こちらで用意するし、話もつけよう。あんたは何も心配せず、長嶺の男たちにとって善きオンナであり、ときには息抜きとして、安全な男たちと関係を持てばいい」
全身が熱くなったのは、羞恥からなのか、それ以外の感情からなのか、あえて和彦は考えなかった。
「それは――」
「あんたの番犬は、あんた恋しさに、さらに狂うだろう。それは、わしらだけでなく、何よりあんたにとって危険だ」
動揺と混乱によって、頭の中が真っ白になる。だが、長い時間ではなかった。石を投げ込まれた湖面が大きな波紋を広げたあと、何事もなかったように静けさを取り戻すように、和彦はすぐに冷静になる。いや、冷静という言葉では足りない。一瞬にして心を凍りつかせた。
守光の目をひたと見据え、和彦は囁くような声で告げた。
「――あの男は、ぼくに執着しています。今、手放すほうが、より危険です。もともと、長嶺組長……賢吾さんを憎んでいる男です。ぼくが追い払えば、確実に賢吾さんだけではなく、長嶺の男たちを逆恨みし、牙を剥くはずです。だからまだ、しばらくはこのままに。妙なまねをしないよう、ぼくが首輪をつけておきます」
本当は和彦には、自分が鷹津に執着されているという確信などなかった。賢吾を恨み、憎みながらも、長嶺組と繋がっていることで得る利益を計算したうえで、鷹津は、長嶺の男たちの〈オンナ〉である和彦を大事にしているのだと思っている。
互いに、情が芽生えつつあることは薄々感じてはいるが、それはひどく曖昧で脆いもので、確認し合った途端、砕け散ってしまいそうだ。だから、口にしない。触れもしない。繋がるのは体と利害だけ。鷹津との関係は、そういうものなのだ。
守光に見つめ返されながら和彦は、内心ではひどく怯えていた。今、目の前にいる総和会の頂点に立つ男は、表面上はあくまで端整で穏やかな人物だ。一方で背には、九本の尾を持つ禍々しい狐を背負っている。その狐がどれほど凶悪で凶暴、冷酷な生き物なのか和彦は知らない。守光は一度もうかがわせたことはないからだ。
それ故に、存在をうかがわせる守光の目を見るのは怖かった。いつ、恐ろしい狐と目が合ってしまうかと。
賢吾がそうであるように、長嶺の男は、背負った獣を身の内に飼っていると、和彦は信じていた。
あともう少しで気圧され、目を逸らしそうになったとき、ようやく守光が口を開いた。
「あんたの健気さは、性質が悪い。男を駆り立てて、さらに骨抜きにしていく。品がよくて優しげな見た目とは裏腹に、本当に悪いオンナだ……」
「健気なんて――」
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「わしは、あんたのそういうところも気に入っている。愛でて、大事にしてやりたい。今後のためにも。――刑事のことは、しばらく様子を見よう。あんたが上手く躾けてくれることを期待して」
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