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第31話
(22)
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「ええ、そういうクリニックもあると思います。規模によっては、医療機器を揃えるために、軽く億単位の金額がかかるでしょう」
「それは、魅力的な額だ」
守光の横顔にあるのは、怜悧な表情だった。和彦はその表情に見覚えがある。打算含みの話をするとき、賢吾もよく似た表情を見せるのだ。組の仕事について、賢吾はあまり深くは語らないが、それとなく和彦に匂わせるときがある。そんなとき和彦は、耳を塞ぎたい気持ちをぐっと堪え、なんでもない顔をして聞き流す。
自分は、決してきれいとは言えない組の金で生かされていると、頭では理解しているし、気持ちでも納得はしている。罪悪感と不安感を、苦い薬のように飲み下す術は身につけたつもりだ。
それでも、今和彦の隣にいるのは、十一の組で構成される組織の頂点に立つ男で、この先の会話を想像しただけで息が止まりそうになる。
「総和会は、十一の組同士の抗争の抑止と監視を目的として設立され、そこに、互助会としての側面も加えることで、組織として上手く機能している。力のある組が主導権を握り、組織を回す。どうしたって、多少力の劣る組は相応の発言力や影響力となるが、それでも総和会にいる理由の一つは、実にわかりやすい」
「恩恵があるからですね」
「十一の組から上納金を吸い上げたうえで、配分をしている。総和会として得た利益も加えて。組織としての関係が強固であればあるほど、総和会という名の集金マシーンは威力も増す。だが、集めるだけでは金は使えん。まっとうな商売をして集めた金ばかりではないからな。そこで、世間に流せる金として、洗う必要がある」
マネーロンダリング、と和彦は心の中で答える。あえて声に出す必要もなかった。知っていて当然とばかりに守光は頷いたからだ。
「方法については、あんたは知らなくていい。ただ、総和会が出資するクリニックには、多くのダミー会社が背後につくことを覚えておけばいい。あとは、専門の人間たちが上手くやってくれる。あんたはあくまで――医者だ。総和会の新しいビジネスの顔だ」
残酷だなと思った。守光にここまで話させたことで、和彦はもう完全に、断るという選択肢を失った。もとより守光は、和彦に否が応でも引き受けさせるつもりだったはずだ。それでも体裁としては、和彦に選択させるつもりではあったのだ。
飲み下すにはあまりに苦しすぎて、和彦はこう吐露していた。
「ぼくはっ……、あなたにとってただのオンナでいることは、できないのですか?」
守光の返答はさらに残酷だった。
「――できんよ。あんたは、わしにとって特別なオンナだ」
「そんな……」
「あんたが聞きたがった答えだ。特別だから、先日は養子の話もした。あれも本気だよ。佐伯家と縁を切りたいというなら、いくらでも手を貸そう」
守光が立ち止まり、片手が伸ばされる。一瞬、首を絞められるのではないかと本能的な怯えに駆られたが、もちろんそんなことがあるはずもなく、愛しげに頬を撫でられる。
込み上げてきた苦さは、なんとか飲み下した。そして和彦の胸に広がるのは、諦観と許容という感情だった。長嶺の男たちに大事にされるということは、狂おしいほどの激情と、今胸にある感情を繰り返し噛み締めることの繰り返しだ。
ただ、さすがに動揺してしまう。
和彦が微かに唇を震わせていることに気づいたのか、守光は穏やかに微笑みかけてきた。
「散歩でするには、生臭い話だったかな。――さあ、引き返そう、先生」
守光がこの場で返事を求めなかったことに内心安堵しながら、はい、と和彦は答えた。
外で昼食をとったあと、帰りの車中で和彦は一言も発しなかった。
口を開くとため息が出そうで、ずっと唇を引き結んでいる。機微に聡い守光は、そんな和彦に話しかけてくることもなく、あくまで自然に、手を握ってきた。そうされることが嫌ではない和彦は、黙って手を握り返す。
近づいてくる総和会本部の建物をぼんやりと眺めていると、ふいに車中の空気が変わった。肌に突き刺さるような緊迫感に、一体何事かとシートからわずかに身を起こす。すると、握られた手にぐっと力が込められた。
「心配いらんよ。任せておけばいい」
「えっ?」
守光の視線が前方に向けられ、つられて和彦も同じ方向を見る。
いつもは閑静な総和会本部の前に、明らかに異変が起こっていた。数人のスーツ姿の男たちが、殺気立った様子で一角に集まっている。誰かを取り囲んで話しているようだが、それにしては雰囲気がおかしい。
和彦はシートベルトを外すと、思わずシートから身を乗り出して、前方を食い入るように見つめる。男たちに囲まれている人物の顔は見えないが、後ろ姿に見覚えがあった。この瞬間、全身の毛が逆立ちそうになった。
「それは、魅力的な額だ」
守光の横顔にあるのは、怜悧な表情だった。和彦はその表情に見覚えがある。打算含みの話をするとき、賢吾もよく似た表情を見せるのだ。組の仕事について、賢吾はあまり深くは語らないが、それとなく和彦に匂わせるときがある。そんなとき和彦は、耳を塞ぎたい気持ちをぐっと堪え、なんでもない顔をして聞き流す。
自分は、決してきれいとは言えない組の金で生かされていると、頭では理解しているし、気持ちでも納得はしている。罪悪感と不安感を、苦い薬のように飲み下す術は身につけたつもりだ。
それでも、今和彦の隣にいるのは、十一の組で構成される組織の頂点に立つ男で、この先の会話を想像しただけで息が止まりそうになる。
「総和会は、十一の組同士の抗争の抑止と監視を目的として設立され、そこに、互助会としての側面も加えることで、組織として上手く機能している。力のある組が主導権を握り、組織を回す。どうしたって、多少力の劣る組は相応の発言力や影響力となるが、それでも総和会にいる理由の一つは、実にわかりやすい」
「恩恵があるからですね」
「十一の組から上納金を吸い上げたうえで、配分をしている。総和会として得た利益も加えて。組織としての関係が強固であればあるほど、総和会という名の集金マシーンは威力も増す。だが、集めるだけでは金は使えん。まっとうな商売をして集めた金ばかりではないからな。そこで、世間に流せる金として、洗う必要がある」
マネーロンダリング、と和彦は心の中で答える。あえて声に出す必要もなかった。知っていて当然とばかりに守光は頷いたからだ。
「方法については、あんたは知らなくていい。ただ、総和会が出資するクリニックには、多くのダミー会社が背後につくことを覚えておけばいい。あとは、専門の人間たちが上手くやってくれる。あんたはあくまで――医者だ。総和会の新しいビジネスの顔だ」
残酷だなと思った。守光にここまで話させたことで、和彦はもう完全に、断るという選択肢を失った。もとより守光は、和彦に否が応でも引き受けさせるつもりだったはずだ。それでも体裁としては、和彦に選択させるつもりではあったのだ。
飲み下すにはあまりに苦しすぎて、和彦はこう吐露していた。
「ぼくはっ……、あなたにとってただのオンナでいることは、できないのですか?」
守光の返答はさらに残酷だった。
「――できんよ。あんたは、わしにとって特別なオンナだ」
「そんな……」
「あんたが聞きたがった答えだ。特別だから、先日は養子の話もした。あれも本気だよ。佐伯家と縁を切りたいというなら、いくらでも手を貸そう」
守光が立ち止まり、片手が伸ばされる。一瞬、首を絞められるのではないかと本能的な怯えに駆られたが、もちろんそんなことがあるはずもなく、愛しげに頬を撫でられる。
込み上げてきた苦さは、なんとか飲み下した。そして和彦の胸に広がるのは、諦観と許容という感情だった。長嶺の男たちに大事にされるということは、狂おしいほどの激情と、今胸にある感情を繰り返し噛み締めることの繰り返しだ。
ただ、さすがに動揺してしまう。
和彦が微かに唇を震わせていることに気づいたのか、守光は穏やかに微笑みかけてきた。
「散歩でするには、生臭い話だったかな。――さあ、引き返そう、先生」
守光がこの場で返事を求めなかったことに内心安堵しながら、はい、と和彦は答えた。
外で昼食をとったあと、帰りの車中で和彦は一言も発しなかった。
口を開くとため息が出そうで、ずっと唇を引き結んでいる。機微に聡い守光は、そんな和彦に話しかけてくることもなく、あくまで自然に、手を握ってきた。そうされることが嫌ではない和彦は、黙って手を握り返す。
近づいてくる総和会本部の建物をぼんやりと眺めていると、ふいに車中の空気が変わった。肌に突き刺さるような緊迫感に、一体何事かとシートからわずかに身を起こす。すると、握られた手にぐっと力が込められた。
「心配いらんよ。任せておけばいい」
「えっ?」
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いつもは閑静な総和会本部の前に、明らかに異変が起こっていた。数人のスーツ姿の男たちが、殺気立った様子で一角に集まっている。誰かを取り囲んで話しているようだが、それにしては雰囲気がおかしい。
和彦はシートベルトを外すと、思わずシートから身を乗り出して、前方を食い入るように見つめる。男たちに囲まれている人物の顔は見えないが、後ろ姿に見覚えがあった。この瞬間、全身の毛が逆立ちそうになった。
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