血と束縛と

北川とも

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第31話

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 これまで、室内にいても、まるで自らの存在を消しているかのように振る舞っていた吾川が、ここにきて突然、和彦と言葉を交わすようになったのは、やはり理由があるのだろう。当然、総和会本部内を案内すると申し出てきたことも。
〈あれ〉のせいだろうか、と和彦は心の中で呟く。
 守光のオンナであることは、あくまで和彦と守光の私的な繋がりだ。いままでは、この理屈が優先されていた。だが現在、総和会出資によるクリニック経営を和彦に任せたいという話が持ち上がっている。これを引き受ければ、和彦は総和会という組織とも堅固に繋がる。総和会会長という絶対的な存在の後ろ盾を得たうえで、確たる肩書きを持つのだ。
 総和会に属する男たちは、嫌でも和彦を値踏みすることになるはずだ。組織内の力のピラミッドの中で、和彦はどこに位置することになるか。そのうえで、どう接し、扱えばいいのかと。
 地下についてエレベーターを降りると、いつだったか千尋が言っていた通り、ジムもプールもあった。本格的なスポーツジムとまではいかないが、それでも、十分に体を動かせる広さがあり、マシーンも種類が揃っている。実際、トレーニングルームでは、Tシャツ姿で体を動かしている男たちの姿がある。
 普通のスポーツジムと違うのは、Tシャツから伸びた腕に、堂々と刺青が彫られている点だろう。刺青を見たぐらいでは、すでに驚かなくなっている自分に、和彦は密かに苦笑を洩らす。
「今はどこの施設も厳しいですからね。体に墨を入れていると。肌を晒して思う存分体を動かせる場所は限られます」
 和彦が視線を向ける先に気づいたのか、吾川が抑えた声で言う。
「ここは、二十四時間いつでも使えます。先生もご自由にお使いください」
「……ありがとうございます」
 吾川の言葉に、和彦はある予言めいたものを感じ取っていた。深読みと呼べる類のものかもしれないが、ただ、確信はあるのだ。
 水飛沫が上がっているプールに漫然と視線を向けていると、傍らに立った吾川がさりげなく腕時計を見る。そして、こう切り出した。
「そろそろ夕食をご用意しましょうか」
「えっ、ああ、はい……」
 吾川に促されて四階に戻った和彦は、守光の住居のドアを開けて驚く。部屋を出たときにはなかった三足の靴が並んでいた。
 慌てて部屋に上がると、普段、守光の護衛を務めている男たちの姿があった。和彦の姿を見て頷き、守光の部屋を手で示される。中を覗き込むと、すでに床が延べられており、傍らには、すでに着替えを済ませた守光が立っていた。平素と変わらない姿にほっとしていると、守光がこちらに気づき、薄い笑みを向けてくる。
「心配をかけたな、先生」
「いえ……。お疲れになったでしょう」
「たっぷり老人扱いされたおかげで、むしろ、ゆっくりさせてもらった。ただ、性分だろうな。ああいう時間の過ごし方は、一日で飽きる」
 守光はすぐに横になる気はないようで、上着を羽織ると、和彦を伴ってダイニングへと移動する。イスに腰掛けると、一人の男から大判の封筒を手渡された。
「これは……」
「血液検査の結果だ。それ以外の検査の結果は、来週聞きに行くことになっている。心電図検査のほうは、特に異常はなかったが、しばらく様子を見て何かあるようなら、今度はカテーテルを入れることになるだろう」
 和彦は封筒から検査結果を取り出し、目を通す。日々多忙に過ごし、人と会うことも多く、外食や飲酒を避けられない生活を送る守光だが、血液検査の数値を見る限り、特に問題はないようだった。
「ストレスや過労が原因ではないかと言われたよ」
 守光の言葉に、和彦は顔を上げる。
「そうだとしても、こればかりはわしの努力で減らせるものでもない。ひたすら耐えて、慣れるだけだ」
「……過酷、ですね」
「わしは、そういう家に生まれついたから、人より順応性はあるだろうし、覚悟もできている。人によっては、あんたの生活のほうが過酷だと言うだろうな」
「ぼくは――」
 話しかけた和彦だが、あとの言葉が続かなかった。そんな和彦を見つめながら、守光は目を細めた。優しい表情にも見えるが、目には鋭い光が浮かんでいるようにも見える。
 昨夜から今朝にかけて、この空間で自分と南郷とのあった出来事を、すべて見透かされているように思えた。しかし、守光自身は何もうかがわせない。
「さあ、夕飯にしよう」
 そう提案され、和彦はぎこちなく頷いた。

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