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第31話
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「心配して駆け付けた息子を、焚きつけるようなことを言うな。あんたがどう言おうが、周囲の人間の目には、あんたは『倒れた』ように映ったんだ。病人らしく、さっさと病院で診てもらえ」
「ああ、病院は明日行く。いい機会だから、検査入院の予約を入れた」
「悠長だな。今晩また何かあったらどうする気だ」
「そのために、先生にも来てもらった」
守光がゆっくりとこちらを見たので、和彦は目を丸くする。
「えっ……」
「この家で、わしに付き添ってもらいたい」
言葉より先に、和彦は首を横に振っていた。
「無理ですっ、ぼくに付き添いなんて……。怪我の処置ならできますが、心臓については完全に専門外です。迂闊にぼくが手を出して、かえって処置が遅れるようなことになったら――」
そんな最悪の事態がリアルに想像できて、自分の顔から血の気が失せていくのがわかる。さすがの賢吾も多少険しい顔で取り成してくれようとする。
「おい、先生に無茶を言うな。医者が必要だというなら、明日と言わず、今からさっさと病院に行け」
「何もこの場で、わしの胸を切り開いてくれと言っているわけじゃない。体調の変化を見守ってほしいだけだ。顔色を見て、脈拍と血圧を測り、医者として気になるところがあれば、触診してもらって……。とりあえず明日の朝まで、わしの様子に気を配ってほしい」
「でも……」
「あんたに負担をかけるつもりはないが、だが、長嶺の男たちが面倒を見ている医者が、わしの大事に側についているという〈形〉は必要だろう。あんたは、わしの――オンナでもある」
口調は柔らかながら守光の説明には、ささやかな反論など跳ね返してしまう堅固さがあった。和彦は何も言えなくなり、賢吾も唇を引き結ぶ。千尋は、この状況では傍観者であることを決め込んだように、三人のやり取りを真剣な面持ちで眺めている。
「ここに来たとき、他の者たちの様子を見ただろう。わしを心配してくれる者たちは大勢いるが、腹に抱えた思惑はさまざまだ。純粋に心配してくれる者もいるだろうが、損得勘定のみの者もいる。わしが弱ったとみるや、即座に動き出すだろう。だからこそ、わしの詳細な容態は、この階にいる者の中でも、ごく限られた者にしか知らせん。容態が重かろうが、軽かろうが」
ここで守光が一旦息を継ぐ。苦しくなったのだろうかと、反射的に身を乗り出した和彦は、守光の息遣いを確かめようとする。守光は、大丈夫だと首を横に振り、口元に笑みを湛えた。このとき、自分の反応を試されたのだと知り、知らず知らずのうちに頬が熱くなる。
「賢吾も千尋も長嶺組という組織の人間である以上、〈弱った〉総和会会長の側に付き添えば、勘繰る人間は必ずいる。なかなか、難しいところだ。対面を取り繕うということは」
「……ぼくの存在は、都合がいいということですね。長嶺組とも総和会とも深い関わりはあるけど、どちらの組織の人間でもない」
「それだけではない。あんたは何より、信頼されている。どちらの組織からも。賢吾と千尋のオンナとしても、医者としても」
「――つまり、そんな先生を引きずって帰るとなったら、俺は、人非人扱いということだな」
皮肉っぽい口調で呟いた賢吾が、ヒヤリとするような目で守光を一瞥する。それに対して守光は、あくまで穏やかな表情で返す。
「こんなときぐらい、気弱になった年寄りのわがままだと思ってくれないか」
「わがまま? 俺には恫喝にしか聞こえねーがな」
わかりにくいが、これが賢吾の承諾の返事だったらしい。二人揃って和彦を見て、異口同音に尋ねてくる。かまわないか、と。
和彦には頷く以外の選択肢はなく、さすがの千尋も呆れたような顔をして言った。
「俺だって、じいちゃんとオヤジからこう言われたら、断れねーよ」
話がまとまると、守光の体調も考え、三人は一旦部屋の外に出る。南郷は相変わらず、廊下に立っていた。
和彦は微妙に立ち位置を変え、南郷の姿が視界に入らないよう、賢吾の陰に入る。
「すまないな、先生。マンションに戻ってやっと落ち着いたってところだったのに、今度はこっちの騒ぎに巻き込んじまったな」
賢吾ほどの男であっても、守光が決めたことに逆らえない。長嶺組組長としての立場もあるだろうが、体調がどう悪いのかはっきりしない父親を相手に、きついことも言えないのだろう。そして和彦は、自分以上にさまざまな事情の板挟みになっている男に、心細さや不安を訴えることはできなかった。
「会長の体のことなんだから、騒ぎに巻き込まれたとは思ってない。ぼくがオロオロしているのは、自分が医者として未熟だと自覚しているからだ。ぼくがついていて、会長に何かあったら――……」
「ああ、病院は明日行く。いい機会だから、検査入院の予約を入れた」
「悠長だな。今晩また何かあったらどうする気だ」
「そのために、先生にも来てもらった」
守光がゆっくりとこちらを見たので、和彦は目を丸くする。
「えっ……」
「この家で、わしに付き添ってもらいたい」
言葉より先に、和彦は首を横に振っていた。
「無理ですっ、ぼくに付き添いなんて……。怪我の処置ならできますが、心臓については完全に専門外です。迂闊にぼくが手を出して、かえって処置が遅れるようなことになったら――」
そんな最悪の事態がリアルに想像できて、自分の顔から血の気が失せていくのがわかる。さすがの賢吾も多少険しい顔で取り成してくれようとする。
「おい、先生に無茶を言うな。医者が必要だというなら、明日と言わず、今からさっさと病院に行け」
「何もこの場で、わしの胸を切り開いてくれと言っているわけじゃない。体調の変化を見守ってほしいだけだ。顔色を見て、脈拍と血圧を測り、医者として気になるところがあれば、触診してもらって……。とりあえず明日の朝まで、わしの様子に気を配ってほしい」
「でも……」
「あんたに負担をかけるつもりはないが、だが、長嶺の男たちが面倒を見ている医者が、わしの大事に側についているという〈形〉は必要だろう。あんたは、わしの――オンナでもある」
口調は柔らかながら守光の説明には、ささやかな反論など跳ね返してしまう堅固さがあった。和彦は何も言えなくなり、賢吾も唇を引き結ぶ。千尋は、この状況では傍観者であることを決め込んだように、三人のやり取りを真剣な面持ちで眺めている。
「ここに来たとき、他の者たちの様子を見ただろう。わしを心配してくれる者たちは大勢いるが、腹に抱えた思惑はさまざまだ。純粋に心配してくれる者もいるだろうが、損得勘定のみの者もいる。わしが弱ったとみるや、即座に動き出すだろう。だからこそ、わしの詳細な容態は、この階にいる者の中でも、ごく限られた者にしか知らせん。容態が重かろうが、軽かろうが」
ここで守光が一旦息を継ぐ。苦しくなったのだろうかと、反射的に身を乗り出した和彦は、守光の息遣いを確かめようとする。守光は、大丈夫だと首を横に振り、口元に笑みを湛えた。このとき、自分の反応を試されたのだと知り、知らず知らずのうちに頬が熱くなる。
「賢吾も千尋も長嶺組という組織の人間である以上、〈弱った〉総和会会長の側に付き添えば、勘繰る人間は必ずいる。なかなか、難しいところだ。対面を取り繕うということは」
「……ぼくの存在は、都合がいいということですね。長嶺組とも総和会とも深い関わりはあるけど、どちらの組織の人間でもない」
「それだけではない。あんたは何より、信頼されている。どちらの組織からも。賢吾と千尋のオンナとしても、医者としても」
「――つまり、そんな先生を引きずって帰るとなったら、俺は、人非人扱いということだな」
皮肉っぽい口調で呟いた賢吾が、ヒヤリとするような目で守光を一瞥する。それに対して守光は、あくまで穏やかな表情で返す。
「こんなときぐらい、気弱になった年寄りのわがままだと思ってくれないか」
「わがまま? 俺には恫喝にしか聞こえねーがな」
わかりにくいが、これが賢吾の承諾の返事だったらしい。二人揃って和彦を見て、異口同音に尋ねてくる。かまわないか、と。
和彦には頷く以外の選択肢はなく、さすがの千尋も呆れたような顔をして言った。
「俺だって、じいちゃんとオヤジからこう言われたら、断れねーよ」
話がまとまると、守光の体調も考え、三人は一旦部屋の外に出る。南郷は相変わらず、廊下に立っていた。
和彦は微妙に立ち位置を変え、南郷の姿が視界に入らないよう、賢吾の陰に入る。
「すまないな、先生。マンションに戻ってやっと落ち着いたってところだったのに、今度はこっちの騒ぎに巻き込んじまったな」
賢吾ほどの男であっても、守光が決めたことに逆らえない。長嶺組組長としての立場もあるだろうが、体調がどう悪いのかはっきりしない父親を相手に、きついことも言えないのだろう。そして和彦は、自分以上にさまざまな事情の板挟みになっている男に、心細さや不安を訴えることはできなかった。
「会長の体のことなんだから、騒ぎに巻き込まれたとは思ってない。ぼくがオロオロしているのは、自分が医者として未熟だと自覚しているからだ。ぼくがついていて、会長に何かあったら――……」
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