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第31話
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守光の身の回りの世話をしている男が、賢吾の訪れを待っていた。守光の住居スペースに足を踏み入れると、外で待機している男たちの多さとは裏腹に、玄関には数足の靴が並んでいるだけだった。
不吉な予感に、和彦は玄関から動けなくなる。そんな和彦の肩を、賢吾が軽く叩いた。
「大丈夫か、先生」
顔を強張らせたまま頷いた和彦は、賢吾とともに守光の部屋に向かおうとして、廊下に立つ南郷に気づいた。二人に気づいた南郷が頭を下げ、恭しい仕種で守光の部屋を手で示す。賢吾は、会釈すらしなかった。どこか傲然とした態度で南郷の前を通り過ぎ、そんな賢吾のあとをついていきながら、和彦は視線を伏せつつ頭を下げる。
守光の部屋の襖は、開いたままだった。
おそるおそる部屋を覗き込んだ和彦の視界にまず飛び込んできたのは、畳の上にあぐらをかいて座った千尋だった。続いて、布団の上で身を起こした、守光が。
「なんだ、元気そうじゃねーか」
安堵したような、しかしわずかに怖い響きを帯びた声で賢吾が言う。元気そう、という表現はどうかと思うが、ひどい様子であることを覚悟していた和彦としては、守光の姿を見て、正直面喰らっていた。
浴衣の上から羽織りを肩にかけた守光は、背筋も伸びており、顔色も特に悪いということはない。つまり、普段と変わらないように見えたのだ。
賢吾がズカズカと部屋に上がり、千尋の隣にどかっと座り込む。
「――どうやら、皆に大げさに伝わったようだな」
ようやく守光が口を開き、賢吾と千尋を見たあと、廊下に立ち尽くしている和彦に視線を向けた。あっ、と声を洩らした和彦は、慌てて襖を閉めようとする。
「すみません、気がつかなくてっ。ぼくは外で待って――」
「何を言っている。あんたも早くここに」
守光に手招きをされ、救いを求めるように賢吾と千尋に見たが、やはり手招きされる。他人の自分がいていいのだろうかと思いながらも、三世代揃った長嶺の男たちの要求に逆らえるはずもない。和彦も部屋に入ると、静かに襖を閉めた。
「脈を測ってもらっていいかな、先生」
守光が片手を差し出してきたので、布団の傍らに座った和彦は、さっそく守光の手首に指先を当てて脈に触れる。腕時計で時間を見ながら脈拍を測っている間、誰も言葉を発しようとしなかった。自分の手元に視線が集中しているのを感じ、緊張のあまり和彦自身の脈がどうにかなりそうだ。
「……脈は落ち着いています。息苦しくはありませんか?」
「今は大丈夫。ありがとう」
ここでやっと賢吾が、和彦も知りたかった疑問を守光にぶつけた。
「それで、何があったんだ? よほど大事になっているのか、本部の外が、あんたの見舞いに来た連中で渋滞していたぞ」
あの車の列はそういうことだったのかと、表情に出さないまま和彦は納得する。
「見舞いというより、わしの死に顔を拝むつもりで来たのかもな」
「俺も正直、オヤジが倒れたと聞いたときは、そうなるかと覚悟したんだが……」
守光と賢吾が、それぞれ皮肉っぽい表情を浮かべる。一方の千尋は、どこか不貞腐れたように唇をへの字に曲げている。
「言っておくけど俺は、じいちゃんやオヤジと違って、人並みの心臓をしてるんだからな。さっさと俺を安心させてくれよ。あと、先生のことも。先生のほうが、病人みたいな顔色してるじゃん」
長嶺の男三人から同時に視線を向けられる。和彦は何も言えないまま顔を強張らせていると、守光が話を再開する。
「不整脈を起こして、苦しくなって玄関で動けなくなったんだ。これまでも、ときどきあったんだが、今回のように動けなくなるようなのは初めてでな。それで手を借りて、こうして休んでいるんだが、予定をキャンセルしたことが、大げさに伝わったようだ」
「あんたに心臓の持病なんてあったか? 血圧の数値も、いままではそう悪くはなかっただろ。しばらくは死にそうにもないって、総本部の中で陰口を叩かれているぐらいだ」
父子間の遠慮ないやり取りに免疫がない和彦は、賢吾の物言いにハラハラしてしまうが、当の守光は目を細めて笑っている。
「まあ、わしも年相応に、体にガタはきている。ただ、騒ぐほどのことでもない。総和会の運営には問題はないしな。今回も、わざわざ救急車を呼ぶほどのことではないからと、止めたんだ」
「……それで、外の騒ぎか? 面倒なもんだな、総和会の会長というのも」
「ますます、総和会が嫌いになったか?」
守光の言葉には、刃が隠されている。それを突き付けられたことがわかったのだろう。賢吾は露骨に顔をしかめたあと、吐き出すように言った。
不吉な予感に、和彦は玄関から動けなくなる。そんな和彦の肩を、賢吾が軽く叩いた。
「大丈夫か、先生」
顔を強張らせたまま頷いた和彦は、賢吾とともに守光の部屋に向かおうとして、廊下に立つ南郷に気づいた。二人に気づいた南郷が頭を下げ、恭しい仕種で守光の部屋を手で示す。賢吾は、会釈すらしなかった。どこか傲然とした態度で南郷の前を通り過ぎ、そんな賢吾のあとをついていきながら、和彦は視線を伏せつつ頭を下げる。
守光の部屋の襖は、開いたままだった。
おそるおそる部屋を覗き込んだ和彦の視界にまず飛び込んできたのは、畳の上にあぐらをかいて座った千尋だった。続いて、布団の上で身を起こした、守光が。
「なんだ、元気そうじゃねーか」
安堵したような、しかしわずかに怖い響きを帯びた声で賢吾が言う。元気そう、という表現はどうかと思うが、ひどい様子であることを覚悟していた和彦としては、守光の姿を見て、正直面喰らっていた。
浴衣の上から羽織りを肩にかけた守光は、背筋も伸びており、顔色も特に悪いということはない。つまり、普段と変わらないように見えたのだ。
賢吾がズカズカと部屋に上がり、千尋の隣にどかっと座り込む。
「――どうやら、皆に大げさに伝わったようだな」
ようやく守光が口を開き、賢吾と千尋を見たあと、廊下に立ち尽くしている和彦に視線を向けた。あっ、と声を洩らした和彦は、慌てて襖を閉めようとする。
「すみません、気がつかなくてっ。ぼくは外で待って――」
「何を言っている。あんたも早くここに」
守光に手招きをされ、救いを求めるように賢吾と千尋に見たが、やはり手招きされる。他人の自分がいていいのだろうかと思いながらも、三世代揃った長嶺の男たちの要求に逆らえるはずもない。和彦も部屋に入ると、静かに襖を閉めた。
「脈を測ってもらっていいかな、先生」
守光が片手を差し出してきたので、布団の傍らに座った和彦は、さっそく守光の手首に指先を当てて脈に触れる。腕時計で時間を見ながら脈拍を測っている間、誰も言葉を発しようとしなかった。自分の手元に視線が集中しているのを感じ、緊張のあまり和彦自身の脈がどうにかなりそうだ。
「……脈は落ち着いています。息苦しくはありませんか?」
「今は大丈夫。ありがとう」
ここでやっと賢吾が、和彦も知りたかった疑問を守光にぶつけた。
「それで、何があったんだ? よほど大事になっているのか、本部の外が、あんたの見舞いに来た連中で渋滞していたぞ」
あの車の列はそういうことだったのかと、表情に出さないまま和彦は納得する。
「見舞いというより、わしの死に顔を拝むつもりで来たのかもな」
「俺も正直、オヤジが倒れたと聞いたときは、そうなるかと覚悟したんだが……」
守光と賢吾が、それぞれ皮肉っぽい表情を浮かべる。一方の千尋は、どこか不貞腐れたように唇をへの字に曲げている。
「言っておくけど俺は、じいちゃんやオヤジと違って、人並みの心臓をしてるんだからな。さっさと俺を安心させてくれよ。あと、先生のことも。先生のほうが、病人みたいな顔色してるじゃん」
長嶺の男三人から同時に視線を向けられる。和彦は何も言えないまま顔を強張らせていると、守光が話を再開する。
「不整脈を起こして、苦しくなって玄関で動けなくなったんだ。これまでも、ときどきあったんだが、今回のように動けなくなるようなのは初めてでな。それで手を借りて、こうして休んでいるんだが、予定をキャンセルしたことが、大げさに伝わったようだ」
「あんたに心臓の持病なんてあったか? 血圧の数値も、いままではそう悪くはなかっただろ。しばらくは死にそうにもないって、総本部の中で陰口を叩かれているぐらいだ」
父子間の遠慮ないやり取りに免疫がない和彦は、賢吾の物言いにハラハラしてしまうが、当の守光は目を細めて笑っている。
「まあ、わしも年相応に、体にガタはきている。ただ、騒ぐほどのことでもない。総和会の運営には問題はないしな。今回も、わざわざ救急車を呼ぶほどのことではないからと、止めたんだ」
「……それで、外の騒ぎか? 面倒なもんだな、総和会の会長というのも」
「ますます、総和会が嫌いになったか?」
守光の言葉には、刃が隠されている。それを突き付けられたことがわかったのだろう。賢吾は露骨に顔をしかめたあと、吐き出すように言った。
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