血と束縛と

北川とも

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第30話

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 この家で過ごしながら、生活パターンの違いから、何かとすれ違うことの多い千尋だが、やはり何かを感じ取っているらしい。
 千尋が軽くため息をつき、畳を片手で叩く。和彦は座椅子から下り、畳の上に座り直すと、待ちかねていたように千尋が胸元に抱きついてきた。本当に行動が犬だなと思いながら、苦笑しつつも和彦は、千尋の頭に手を置いた。
「……先生がここにいるって、すげー実感できる」
「大げさだな。食事時には、けっこう顔を合わせていただろ」
「でも、ゆっくり話せてないじゃん。……俺、先生に知ってもらいたいこと、いっぱいあったんだ。先生が、自分の兄貴に会いに行くって知ったときは、ものすごく切羽詰ってたこととか。先生がもう二度と、俺――俺たちのところに戻ってこないんじゃないかって、本気で心配してたことも」
 殊勝なことを言う千尋が、先日自分に何をしたのか思い出し、和彦は複雑な心境になる。
 まるで体に呪詛でも刻みつけるように、千尋は守光とともに、和彦の体を貪り、嬲ってきたのだ。賢吾の執着心の強さを知っている和彦だが、千尋もまた、強い。若くて純粋で無謀な分、怖いとさえいえる。
 ただ、守光については、執着心と表現していいのだろうかと、判断がつきかねていた。
「それに、仮に無事に戻ってきても、先生が……、精神的に参って、別人みたいになってたらってこととかさ。俺、先生の様子を、ちょっとだけ観察してた。――大丈夫、だよね?」
 強い輝きを放つ目に、うかがうように見つめられて、和彦の胸は締め付けられる。長嶺の男の本質にあるのは、間違いなく傲慢さだ。同時に、毒のように強烈な甘さも併せ持っている。だから和彦は、簡単に翻弄されるのだ。
 千尋の引き締まった頬を撫でながら、柔らかな声で応じる。
「生憎だがぼくは、お前が思っているよりずっと、ふてぶてしいみたいだ。というより、ぼくが落ち込むことを許さないように、周りの男たちがかまってくれるからな」
「……何、先生。俺のことは放ったらかしのくせに、もうそんなに、いろんな男たちとは会ってたわけ?」
「変なことを想像するなよ。気遣ってもらっているという意味だ」
 どうだか、と言った千尋の唇を軽く抓ってやる。それでも千尋は機嫌よさそうに笑い声を洩らし、ますます強く和彦にしがみついてくる。その勢いに圧され、和彦は畳に手を突いていた。
「おい、あまりじゃれつくな。ぼくはもう横になるつもりだったんだ。お前もさっさと部屋に戻れ」
「えー、寝るにはまだ早い時間じゃん」
「いいんだ」
「――オヤジがいないから、つまらない?」
 子供っぽい言動を早々にかなぐり捨てた千尋が、挑発的な眼差しで、挑発的な言葉を放つ。返事に詰まった和彦は、千尋を軽く睨みつけてから、乱暴に髪を掻き乱してやる。
「つまらないって、なんだ。ぼくは、お前の父親に遊んでもらわないといけない子供じゃないんだからな」
「俺は、先生に遊んでもらいたい。――子供じゃないけど」
 ぐいっと千尋の顔が近づいてきて、唇に熱い息遣いが触れる。意図を察した和彦は視線をさまよわせ、千尋の顔を押し退けようとする。
「お前……、ここ、組長の部屋だぞ」
「いまさらだね、先生。先生と俺とオヤジの三人で、ここでセックスしたことあるだろ」
「それはっ……、主の組長がいたからだ。今は、お前とぼくの二人だ」
「先生って、変なところでお堅いなー。オヤジに気をつかってるんだ? でも将来、ここは俺の部屋になる。先生も、俺だけのものになる」
 千尋の声が怖い響きを帯びる。和彦を恫喝しようとしているのではなく、千尋自身の中にいる、物騒な〈生き物〉の蠢きを感じさせるものだ。和彦は千尋の目を覗き込む。
「……お前、何かあったのか?」
「先生、鋭い」
 甘えるように千尋が頬をすり寄せてくる。
「ふざけるな。一体――」
「教えてあげる。まだ、見せてあげることはできないけど」
 千尋の言葉にハッとする。和彦が目を見開くと、再び千尋が顔を寄せてきた。唇の端を軽く吸われ、和彦はこれ以上千尋を拒むことができなくなる。
「いいよね、先生……」
 甘えた声で千尋に囁かれ、和彦はこの言葉を絞り出すのが精一杯だった。
「隣の部屋に、布団を敷いてある」
 次の瞬間、いきなり立ち上がった千尋に腕を取られ、半ば引きずられるようにして隣の寝室に移動する。襖を開けると、二組の布団が敷いてあった。もちろん千尋のためではなく、いつ賢吾が帰宅してもいいようにと、組員が敷いたのだ。

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