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第29話
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守光に対する賢吾の言動を見ている限り、南郷が言ったようなことはありえないと思うのだが、賢吾ほどの男なら和彦を欺くのは容易だと、これまでの経験で骨身に染みてもいる。
急に、賢吾と部屋で二人きりになることが怖くなり、和彦は慌てて布団に潜り込む。そのまま身を固くしていると、しばらく経ってから、引き戸がゆっくりと開く音がした。
「――先生、寝たのか?」
低く囁くような声がかけられたが、体を横にして背を向けた格好となっている和彦は、顔が見えない位置なのをいいことに、返事をしなかった。賢吾はそれ以上声をかけてこず、隣で寝る準備をしている気配がする。
それを背で感じていた和彦だが、このまま眠ることはできそうにないため、一度深呼吸をしてから口を開いた。
「……今回のことで、ぼくの存在を面倒だと思わなかったか?」
背後で動く気配が止まり、和彦は反射的に身を竦める。数秒の間を置いて聞こえてきたのは、低く抑えた笑い声だった。
「先生は、優しすぎるな。もっと傲慢になったらどうだ。人生をめちゃくちゃにしたヤクザ共は、自分のために少しぐらい苦労したほうがいいと。そう思ったところで――いや、それでもまだまだ優しいし、甘いな」
和彦は寝返りを打つと、隣の布団の上で胡坐をかいている浴衣姿の賢吾を見上げる。
「別れ際に兄さんから、父さんの伝言を聞かされた。顔を見せに帰ってこい、と……。この言葉を聞いたとき、ものすごく嫌な感覚がした。ぼくの父親は、何があっても、自分の思う通りに息子を従わせるつもりだと」
「まさか、父親とも会う必要があるなんて、言うんじゃねーだろうな」
賢吾が大仰に片方の眉を動かして言った言葉に、和彦は目を丸くしたあと、苦笑を洩らす。
「少なくとも……、今は必要ない。兄さんと会って、よくわかった。ぼくの要望は、受け入れられない。あの人たちの野心のために自分の身を差し出せるほど、ぼくは優しくも甘くもない」
「先生の話を聞いていると、つくづく思う。世の中、いろんな家族の形があるもんだってな」
賢吾が布団を軽く叩いたので、意味を察した和彦は起き上がる。片腕を掴まれて引き寄せられ、賢吾の胸元にもたれかかった。手荒く後ろ髪を撫でられて、和彦はおずおずと賢吾を見上げる。大蛇の化身のような男は、和彦が心の内に何を抱え込んでいるか、とっくに見抜いていたようだった。こう、問いかけてきた。
「――隠れ家で、怖い目に遭わなかったか? 熊なんかが出るらしいが、先生にとっては、そっちの獣より、人間のほうが怖かったんじゃねーか」
誤魔化すこともできず、和彦は賢吾の肩に額を押し当て、呻くように答えた。
「怖かった……」
南郷の腕の逞しさや、肌の熱さ、汗と精の匂いが蘇り、眩暈がする。ただ、怖かっただけではない。あの男は、和彦に快感も与えてきたのだ。
大きな手に背をさすられ、それだけで微かな疼きを覚えた和彦は、賢吾にしがみつく。
「……手荒なことは、されなかった。ただ、ぼくが抵抗できなかっただけだ」
「あの男は、大事なオンナの扱い方を心得ている。大事な〈オヤジさん〉のオンナだからな」
名を出さなくても、賢吾にはしっかりと伝わっている。賢吾の手が頬にかかり、顔を上げさせられそうになったが、和彦は小さく首を横に振って拒む。事態を把握した賢吾がどんな顔をしているか、冷静に見られそうになかった。すでに頭も心も、ここまで起こった出来事を受け止めるのに、ギリギリの状態だ。
そんな和彦に、賢吾が冗談交じりで言った。
「ようやく二人きりになれたというのに、キスをさせてくれねーのか、先生」
再び促され、仕方なく顔を上げる。賢吾が顔を寄せてきて、和彦は、大蛇が潜む両目を間近から覗き込むことになる。冷酷で容赦がないくせに、狂おしいほど和彦を求め、執着してくる生き物を、恐れながらも、どうしようもなく欲してしまう。
この男から引き離されなくてよかったと、心の底から実感していた。
賢吾に唇の端をそっと吸われ、声にならない声を洩らす。そんな自分に気づいた和彦はうろたえ、羞恥するが、もう一度唇の端を吸われると、自分から唇を寄せていた。
しっとりと唇を重ね、柔らかく互いの唇を吸い合う。その間に、賢吾の手によって浴衣の帯を解かれ、前を開かれる。和彦も同じく、賢吾が着ている浴衣の帯を解いていた。湯上がりの名残を残している熱い肌を忙しくまさぐり、何より求めてやまない、背の大蛇に触れる。
「先生は本当に、〈こいつ〉が好きだな。俺が妬けるほどだ」
舐めるか、と問われ、和彦は頷く。賢吾はすぐに浴衣を脱ぎ、和彦は背後に回り込んだ。
急に、賢吾と部屋で二人きりになることが怖くなり、和彦は慌てて布団に潜り込む。そのまま身を固くしていると、しばらく経ってから、引き戸がゆっくりと開く音がした。
「――先生、寝たのか?」
低く囁くような声がかけられたが、体を横にして背を向けた格好となっている和彦は、顔が見えない位置なのをいいことに、返事をしなかった。賢吾はそれ以上声をかけてこず、隣で寝る準備をしている気配がする。
それを背で感じていた和彦だが、このまま眠ることはできそうにないため、一度深呼吸をしてから口を開いた。
「……今回のことで、ぼくの存在を面倒だと思わなかったか?」
背後で動く気配が止まり、和彦は反射的に身を竦める。数秒の間を置いて聞こえてきたのは、低く抑えた笑い声だった。
「先生は、優しすぎるな。もっと傲慢になったらどうだ。人生をめちゃくちゃにしたヤクザ共は、自分のために少しぐらい苦労したほうがいいと。そう思ったところで――いや、それでもまだまだ優しいし、甘いな」
和彦は寝返りを打つと、隣の布団の上で胡坐をかいている浴衣姿の賢吾を見上げる。
「別れ際に兄さんから、父さんの伝言を聞かされた。顔を見せに帰ってこい、と……。この言葉を聞いたとき、ものすごく嫌な感覚がした。ぼくの父親は、何があっても、自分の思う通りに息子を従わせるつもりだと」
「まさか、父親とも会う必要があるなんて、言うんじゃねーだろうな」
賢吾が大仰に片方の眉を動かして言った言葉に、和彦は目を丸くしたあと、苦笑を洩らす。
「少なくとも……、今は必要ない。兄さんと会って、よくわかった。ぼくの要望は、受け入れられない。あの人たちの野心のために自分の身を差し出せるほど、ぼくは優しくも甘くもない」
「先生の話を聞いていると、つくづく思う。世の中、いろんな家族の形があるもんだってな」
賢吾が布団を軽く叩いたので、意味を察した和彦は起き上がる。片腕を掴まれて引き寄せられ、賢吾の胸元にもたれかかった。手荒く後ろ髪を撫でられて、和彦はおずおずと賢吾を見上げる。大蛇の化身のような男は、和彦が心の内に何を抱え込んでいるか、とっくに見抜いていたようだった。こう、問いかけてきた。
「――隠れ家で、怖い目に遭わなかったか? 熊なんかが出るらしいが、先生にとっては、そっちの獣より、人間のほうが怖かったんじゃねーか」
誤魔化すこともできず、和彦は賢吾の肩に額を押し当て、呻くように答えた。
「怖かった……」
南郷の腕の逞しさや、肌の熱さ、汗と精の匂いが蘇り、眩暈がする。ただ、怖かっただけではない。あの男は、和彦に快感も与えてきたのだ。
大きな手に背をさすられ、それだけで微かな疼きを覚えた和彦は、賢吾にしがみつく。
「……手荒なことは、されなかった。ただ、ぼくが抵抗できなかっただけだ」
「あの男は、大事なオンナの扱い方を心得ている。大事な〈オヤジさん〉のオンナだからな」
名を出さなくても、賢吾にはしっかりと伝わっている。賢吾の手が頬にかかり、顔を上げさせられそうになったが、和彦は小さく首を横に振って拒む。事態を把握した賢吾がどんな顔をしているか、冷静に見られそうになかった。すでに頭も心も、ここまで起こった出来事を受け止めるのに、ギリギリの状態だ。
そんな和彦に、賢吾が冗談交じりで言った。
「ようやく二人きりになれたというのに、キスをさせてくれねーのか、先生」
再び促され、仕方なく顔を上げる。賢吾が顔を寄せてきて、和彦は、大蛇が潜む両目を間近から覗き込むことになる。冷酷で容赦がないくせに、狂おしいほど和彦を求め、執着してくる生き物を、恐れながらも、どうしようもなく欲してしまう。
この男から引き離されなくてよかったと、心の底から実感していた。
賢吾に唇の端をそっと吸われ、声にならない声を洩らす。そんな自分に気づいた和彦はうろたえ、羞恥するが、もう一度唇の端を吸われると、自分から唇を寄せていた。
しっとりと唇を重ね、柔らかく互いの唇を吸い合う。その間に、賢吾の手によって浴衣の帯を解かれ、前を開かれる。和彦も同じく、賢吾が着ている浴衣の帯を解いていた。湯上がりの名残を残している熱い肌を忙しくまさぐり、何より求めてやまない、背の大蛇に触れる。
「先生は本当に、〈こいつ〉が好きだな。俺が妬けるほどだ」
舐めるか、と問われ、和彦は頷く。賢吾はすぐに浴衣を脱ぎ、和彦は背後に回り込んだ。
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