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第29話
(23)
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「面倒や迷惑っていうなら、それはこっちの台詞だ、先生。俺たちはとっくに、先生に面倒も迷惑もかけ通しだ。いや、そんな言葉じゃ足りない。先生の順風満帆な人生を奪ったんだからな。寝首を掻かれても、文句は言えない」
「……そんなこと、ぼくにできるはずがないと、思ってるんだろ」
和彦がきつい視線を向けると、予想に反して賢吾は表情を引き締め、自分の首筋に片手をかけた。
「やりたいなら、やっていいぞ。組の跡目はもういるからな。こっちの古狐が睨みを効かせている間は、うちの組にちょっかいを出す輩もいないだろうし、千尋でもなんとかなるだろう」
賢吾が本気で言っているわけではないとわかってはいるが、冗談にしても毒気が強すぎる。さきほどから黙っている守光が、さすがに苦笑を浮かべていた。
「自分の父親の前で、よくそんなことが言えるな」
「――さすがのあんたも困るか? 俺がいなくなると」
こう言ったときの賢吾の声には冷たい刃が潜んでいるようで、聞いていた和彦が驚いてしまう。一体何事かと思い、父子を凝視する。守光は、穏やかな口調で応じた。
「困る、困らないという話ではないだろう。息子を失うということは。それにお前は、長嶺組の大黒柱だ。折れることはもちろん、亀裂一本、入ることは許されん。その点では、千尋は柱どころか、ただの若木だ。すんなり伸びて美しいし、しなやかではあるが、弱い。あれはこれからもっと、わしとお前とで鍛えてやる必要がある」
「長嶺組に大事があれば、それは、総和会に細い亀裂が一本入りかねない、ということか」
「亀裂一本とは、控えめな表現だな。巨体が傾ぎかねんと、わしは考える」
「巨体とは、何を指しているんだ。総和会か、それとも――」
賢吾が意味ありげな視線を、守光に向ける。守光は堂々とその視線を受け、笑った。守光のこの余裕は一体どこからくるものなのだろうかと、和彦は考えていた。賢吾を育ててきた父親としてのものなのか、巨大な組織の頂点に立つ者としてのものか。
無意識のうちに息を詰め、二人のやり取りを見つめていた和彦に気づいたのだろう。ふいに賢吾がこちらを見て、わずかに表情を和らげた。
「びっくりさせたな、先生。気にするな。俺とオヤジは、昔からこうだ。二人揃って理屈っぽいからな。こうやって言い合うせいで、総和会会長と長嶺組長は不仲なんて噂がたびたび流れるんだ。だから、外で控えていた連中も、ピリピリしていただろう? 先生のことで殴り合いでも始めるとでも思っているのかもな」
「ぼくのことって……」
「――もうしばらく佐伯家の動きを警戒して、あんたをうちで預かりたいという話を、電話で賢吾にしたんだ。すると、連絡もなくここに押しかけてきてな。そのときの賢吾の剣幕を見て、うちの者たちがいろいろと気を回していたようだ」
また賢吾から引き離されるのかと、愕然とした和彦は、そう感じた自分自身に奇妙な気持ちを抱く。これまで、この世界で頼れるのは賢吾と長嶺組だという現実を受け入れてきたつもりではあったが、それは、そうせざるを得ない状況があってのことだとも考えていた。
しかし今、咄嗟に感じた心細さは明らかに、信頼に裏打ちされた感情だ。
うろたえる和彦に対して、賢吾が静かに問うてくる。
「どうする、先生? 不安だというなら、俺は無理強いはしない」
一緒に帰るぞ、という言葉を望んでしまうのは、わがままなのだろうか――。
和彦は、軽い失望感を表に出すことなく、懸命に自分の考えを口にした。
「……実家は、探偵を雇ってまで、ぼくを捜したと言っていた。だけど、前に住んでいたマンションを出てからの動きを追えなかったそうだ。長嶺組が上手く対処してくれたからだ。今回は、長嶺組だけじゃなく、総和会も動いてくれたから……、もう大丈夫だと思う。早く、落ち着きたい」
賢吾は何も言わない代わりに、どうだ、と言いたげな表情で守光を見遣った。
守光は短く息を吐き出したあと、柔らかく笑んだ。
「ここは、落ち着かんかね」
思いがけない一言に、和彦は激しく動揺し、救いを求めるように賢吾を見る。賢吾は忌々しげに唇を歪めた。
「自分のわがままが通らないからって、先生をからかうな、オヤジ。困ってるじゃねーか」
「お前は、先生の口から、自分の希望通りの答えが聞けて、満足そうだな」
「俺が言ったところで、聞きやしないだろ。あんまりわがままが過ぎると、若い者から嫌われるぞ」
そう言いながら、賢吾の口元が緩む。和彦はようやく、自分が抱いた失望感が単なる勘違いだったことを知る。賢吾は、和彦が帰りたがると確信していたのだ。
「話はこれだけだ。さっさと先生を休ませてやりたいから、帰るぞ」
「……そんなこと、ぼくにできるはずがないと、思ってるんだろ」
和彦がきつい視線を向けると、予想に反して賢吾は表情を引き締め、自分の首筋に片手をかけた。
「やりたいなら、やっていいぞ。組の跡目はもういるからな。こっちの古狐が睨みを効かせている間は、うちの組にちょっかいを出す輩もいないだろうし、千尋でもなんとかなるだろう」
賢吾が本気で言っているわけではないとわかってはいるが、冗談にしても毒気が強すぎる。さきほどから黙っている守光が、さすがに苦笑を浮かべていた。
「自分の父親の前で、よくそんなことが言えるな」
「――さすがのあんたも困るか? 俺がいなくなると」
こう言ったときの賢吾の声には冷たい刃が潜んでいるようで、聞いていた和彦が驚いてしまう。一体何事かと思い、父子を凝視する。守光は、穏やかな口調で応じた。
「困る、困らないという話ではないだろう。息子を失うということは。それにお前は、長嶺組の大黒柱だ。折れることはもちろん、亀裂一本、入ることは許されん。その点では、千尋は柱どころか、ただの若木だ。すんなり伸びて美しいし、しなやかではあるが、弱い。あれはこれからもっと、わしとお前とで鍛えてやる必要がある」
「長嶺組に大事があれば、それは、総和会に細い亀裂が一本入りかねない、ということか」
「亀裂一本とは、控えめな表現だな。巨体が傾ぎかねんと、わしは考える」
「巨体とは、何を指しているんだ。総和会か、それとも――」
賢吾が意味ありげな視線を、守光に向ける。守光は堂々とその視線を受け、笑った。守光のこの余裕は一体どこからくるものなのだろうかと、和彦は考えていた。賢吾を育ててきた父親としてのものなのか、巨大な組織の頂点に立つ者としてのものか。
無意識のうちに息を詰め、二人のやり取りを見つめていた和彦に気づいたのだろう。ふいに賢吾がこちらを見て、わずかに表情を和らげた。
「びっくりさせたな、先生。気にするな。俺とオヤジは、昔からこうだ。二人揃って理屈っぽいからな。こうやって言い合うせいで、総和会会長と長嶺組長は不仲なんて噂がたびたび流れるんだ。だから、外で控えていた連中も、ピリピリしていただろう? 先生のことで殴り合いでも始めるとでも思っているのかもな」
「ぼくのことって……」
「――もうしばらく佐伯家の動きを警戒して、あんたをうちで預かりたいという話を、電話で賢吾にしたんだ。すると、連絡もなくここに押しかけてきてな。そのときの賢吾の剣幕を見て、うちの者たちがいろいろと気を回していたようだ」
また賢吾から引き離されるのかと、愕然とした和彦は、そう感じた自分自身に奇妙な気持ちを抱く。これまで、この世界で頼れるのは賢吾と長嶺組だという現実を受け入れてきたつもりではあったが、それは、そうせざるを得ない状況があってのことだとも考えていた。
しかし今、咄嗟に感じた心細さは明らかに、信頼に裏打ちされた感情だ。
うろたえる和彦に対して、賢吾が静かに問うてくる。
「どうする、先生? 不安だというなら、俺は無理強いはしない」
一緒に帰るぞ、という言葉を望んでしまうのは、わがままなのだろうか――。
和彦は、軽い失望感を表に出すことなく、懸命に自分の考えを口にした。
「……実家は、探偵を雇ってまで、ぼくを捜したと言っていた。だけど、前に住んでいたマンションを出てからの動きを追えなかったそうだ。長嶺組が上手く対処してくれたからだ。今回は、長嶺組だけじゃなく、総和会も動いてくれたから……、もう大丈夫だと思う。早く、落ち着きたい」
賢吾は何も言わない代わりに、どうだ、と言いたげな表情で守光を見遣った。
守光は短く息を吐き出したあと、柔らかく笑んだ。
「ここは、落ち着かんかね」
思いがけない一言に、和彦は激しく動揺し、救いを求めるように賢吾を見る。賢吾は忌々しげに唇を歪めた。
「自分のわがままが通らないからって、先生をからかうな、オヤジ。困ってるじゃねーか」
「お前は、先生の口から、自分の希望通りの答えが聞けて、満足そうだな」
「俺が言ったところで、聞きやしないだろ。あんまりわがままが過ぎると、若い者から嫌われるぞ」
そう言いながら、賢吾の口元が緩む。和彦はようやく、自分が抱いた失望感が単なる勘違いだったことを知る。賢吾は、和彦が帰りたがると確信していたのだ。
「話はこれだけだ。さっさと先生を休ませてやりたいから、帰るぞ」
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