血と束縛と

北川とも

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第29話

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 寝起きの気分は最悪だった。全身に倦怠感が残り、終始眠りが浅かったせいか、頭が重い。
「暑……」
 緩慢に寝返りを打った和彦は、思わず呟く。部屋の空気がいつもと違うと感じ、ここで、自分が今置かれている状況を思い出し、ひどく暗澹とした気持ちにもなる。
 汗のべたつく感触が不快で、ようやく体を起こしたところで、腰の辺りに残る鈍く重い感覚に気づいた。和彦にとってはある意味、馴染み深いともいえる感覚だ。
 なぜ、と思った次の瞬間に、体中の血が凍りつきそうになる。それは、強い羞恥と屈辱感によるせいだ。
 動揺を抑えながら、慎重に室内を見回す。カーテンの隙間から差し込んでくる陽射しのおかげで、電気をつけなくても室内は十分明るい。そこに、不穏な影は見当たらない。
 ぎこちなく緊張を解こうとした和彦だが、ある変化に気づき、顔を強張らせる。昨夜つけたままにしておいたテレビが、消えていた。リモコンは、ベッドから離れた場所に置かれたテーブルの上にある。
 悪夢などではなかったのだと、和彦は嫌でも現実を受け入れるしかなかった。
 ベッドに座り直して、自分の格好を見下ろす。昨夜ベッドに入ったときと同じ、Tシャツとスウェットパンツで、その上からガウンを着込んではいるのだが、違和感がある。わかりやすいのは、ガウンの紐の結び目だ。明らかに和彦が結んだものではない。
 和彦は大きく息を吐き出すと、乱れた髪に指を差し込む。そうやって、南郷に体を自由に扱われたという事実を受け止める。そうするしかなかった。
 昨日は兄の英俊と会って話したうえに、さらに衝撃的な出来事に見舞われて、和彦の頭は混乱していた。何から整理していけばいいのかすら、判断がつかない。ただ、猛然と腹が立ってきた。
 怒りの矛先は、当然南郷に向いている。
 何かに急かされるようにベッドから出た和彦は、ガウンを脱ぎ捨てると、部屋を出る。廊下には人気はなく、不気味なほど静まり返っていた。とりあえず、部屋の前で和彦を見張るという無粋なマネはしていなかったらしい。
 和彦は慌しく一階に下りる。長嶺組と連絡を取り、とにかくすぐに迎えを寄越してもらおうと思ったのだ。だが、玄関まで来て戸惑うことになる。昨日中嶋は、玄関の横に電話があると言っており、実際電話台はあるのだが、肝心の電話が見当たらない。
「――電話機の調子が悪いから、外した」
 前触れもなく背後から声をかけられ、ビクリと身を竦める。そんな自分の反応に忌々しさを感じながら和彦が振り返ると、ポロシャツ姿の南郷が立っていた。
「まあどうせ、電話のやり取りをする必要もないし、どうしても必要なら、車で少し山を下りれば携帯は繋がる。俺としては、ここでのんびり過ごしたいから、電話なんて繋がらないほうがありがたい」
「……帰って、なかったんですか」
 思わず和彦が洩らすと、歯を剥き出すようにして南郷は笑った。
「あんたは、とっとと消え失せろと思っているだろうが、生憎、そういうわけにはいかない。俺の事情がある」
「あなたの、事情って……」
「俺はあんたに無礼を働き、頭を下げることで許してもらえた。一応。――この件は俺の失点で、俺はそれを取り戻すために、今回あんたの護衛を買って出た。総和会としても、あんたと俺の不和は困るというわけだ。なんといってもあんたは、長嶺組長と総和会の繋がりを緊密にしてくれる、大事な存在だからな」
 勝手な、と思ったが、声に出すことはできなかった。南郷を睨みつけることもできず、ふいっと視線を逸らす。こんなことを言いながらこの男は、昨夜和彦の体を嬲り、さんざん好きに扱ったのだ。その生々しい光景が脳裏に蘇り、居たたまれない気持ちになる。
「簡単な朝メシだが、準備ができている。食ってくるといい」
「いえ、食欲がないんで――」
「散歩に出るから、しっかり腹に入れておいたほうがいいぞ」
 えっ、と声を洩らした和彦に、本気とも冗談ともつかない口調でさらに南郷が言った。
「なんなら俺が、食わせてやろうか?」
 和彦は返事をすることなく、足音も荒く食堂に向かった。


 建物から一歩外に出た和彦は、蒸し暑さに顔をしかめる。夜中に降っていた雨のせいもあってか異常なほど湿度が高く、気温以上に暑く感じられる。
 額に手をかざしながら空を見上げる。不安定な天候を表すように、灰色の雲が流れてはいるが、青空も覗いている。またにわか雨でも降り出すのではないかと思っていると、南郷に呼ばれた。
「先生、置いていくぞ」
 馴れ馴れしい――。心の中でそう呟いて和彦は、南郷に敵意を込めた視線を向ける。
「さっきから言ってますが、一人で行ってください。ぼくはシャワーを浴びたいんです」

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