657 / 1,268
第29話
(2)
しおりを挟む
「その挙げ句が、あのおぞましい画像か。ずいぶんいい趣味だな」
わずかに羞恥心を刺激されたが、懸命に押し殺す。左頬が熱を帯びてきているせいで、顔が熱くなったのかどうかすらわからなかった。
「ぼくは跡継ぎを期待されているわけでもないんだ。誰と寝ようが、かまわないはずだ。それに……大半の画像は回収したんじゃないのか? 圧力をかけるのは得意だろ、あの家は」
「皆、協力的だった。――しかし、画像は回収したとしても、大もとが手に入らないと、無駄なことだ。あれは、映像の一シーンを印刷したものだろ」
どこにある、と英俊の表情が問いかけてくる。
「映像のデータは……、もう存在しない」
本当は、存在していたところで無意味だ、と言うべきだろうが、説明が多くなるほど、英俊の追及は厳しくなり、また粗も出やすい。和彦は現在、複数の男と関係を持っており、いかがわしい映像など、撮ろうと思えばいくらでも撮れる状況にあるのだ。
弟が、男と関係を持つどころか、〈オンナ〉であると知ったとき、冷徹な兄はどんな顔するか――。
ささやかな嗜虐性が和彦の中で首をもたげようとしたが、そんな自分自身にゾクリとする。英俊に対してこんな感情を抱くのは初めてのことで、男たちの影響で自分が変化したような気になったのだ。あるいは、こちらが本性なのかもしれない。
「それを信用しろと?」
「できないなら、ぼくはそれでいい。それで、ぼくを遠ざけてくれるなら……」
英俊は眼鏡の中央を押し上げると、そっと目を細める。
「お前もしかして、それが目的で、あんなものをばら撒いて姿を隠したんじゃないだろうな」
「だとしたら?」
「――あてが外れて残念だったな」
和彦は露骨に不信感を表に出す。肉親に対して、情愛というような生ぬるい感情は最初から期待してはいなかったが、英俊の言葉から、やはり自分を捜していたのは、情以外の理由があると実感していた。
足を組んだ英俊は、怜悧な官僚そのものの横顔を見せながら、滔々と語る。
「破廉恥な不祥事を起こした直後に、お前はクリニックを電話一本で辞めて、完全に姿を消してしまった。こちらが事態に気づいて部屋を訪ねたときには、すでにもぬけの殻だった。実に見事な失踪だ。捜索願を出すのはこちらとしては不本意だから、一応探偵なんてものを雇ってはみたんだが、意外にあれは使えない。高い金を取ったくせに、お前が住んでいたマンションから出たあとを辿ることすらできなかった。反対に、意外なほど使えたのは――、お前の友人だ」
英俊が誰のことを指しているのか、すぐに察した。和彦はため息をつくと、低い声で応じる。
「澤村に、ずいぶん無理を言って迷惑をかけたらしいね」
「お前に繋がる唯一の人物だからな。もっとも途中からは、あからさまに嫌われた」
何がおかしかったのか、英俊は唇の端に笑みらしきものを浮かべる。優しさや親しみの欠片もない、人を突き放す残酷な表情だ。だが、よく似合う。
兄とよく似た顔立ちをしている自分も、無意識のうちにこんな顔をしているのかもしれないと思うと、和彦はひどく暗澹とした気持ちになる。
「そもそも最初は、強引な頼み事をするつもりはなかったんだ。父さんが方針を変えたのは、お前のほうから接触してきたからだ」
「ぼくから接触なんてっ……」
「しただろ。ホテルの披露宴会場で、〈勉強会〉の参加者に会ったと聞いた。偶然なんてことはありえない。あの日、あの時間帯、あの場所に出向けば、お前の顔を知っている人物に会うと知っていたはずだ」
「ぼくは知らなかったっ」
「ぼくは、か。だったら、誰が知っていたんだ?」
和彦は唇を引き結び、返事を避ける。
英俊から指摘された件については、賢吾は何もかも調べ上げたうえで、和彦をあの場に向かわせたのだろう。佐伯家の中での和彦の存在がどんなものであるか、賢吾は知りたかったはずだ。だから、和彦という餌で佐伯家が食いつくか、あんな形で確認したのだ。
そして今は、佐伯家が和彦に対して抱く情を推し量っているのかもしれない。家族の一人として大事にしているのか、それとも利用価値のある駒として見ているのか――。
誰よりもそれを見極めようとしているのは、間違いなく和彦自身だろう。
自分は昔から、家族に対して甘い人間ではなかったはずだと、和彦は胸の内で呟く。家族の中で自分の存在は異物なのだと、子供の頃から自覚し続けていた結果だ。
わずかに羞恥心を刺激されたが、懸命に押し殺す。左頬が熱を帯びてきているせいで、顔が熱くなったのかどうかすらわからなかった。
「ぼくは跡継ぎを期待されているわけでもないんだ。誰と寝ようが、かまわないはずだ。それに……大半の画像は回収したんじゃないのか? 圧力をかけるのは得意だろ、あの家は」
「皆、協力的だった。――しかし、画像は回収したとしても、大もとが手に入らないと、無駄なことだ。あれは、映像の一シーンを印刷したものだろ」
どこにある、と英俊の表情が問いかけてくる。
「映像のデータは……、もう存在しない」
本当は、存在していたところで無意味だ、と言うべきだろうが、説明が多くなるほど、英俊の追及は厳しくなり、また粗も出やすい。和彦は現在、複数の男と関係を持っており、いかがわしい映像など、撮ろうと思えばいくらでも撮れる状況にあるのだ。
弟が、男と関係を持つどころか、〈オンナ〉であると知ったとき、冷徹な兄はどんな顔するか――。
ささやかな嗜虐性が和彦の中で首をもたげようとしたが、そんな自分自身にゾクリとする。英俊に対してこんな感情を抱くのは初めてのことで、男たちの影響で自分が変化したような気になったのだ。あるいは、こちらが本性なのかもしれない。
「それを信用しろと?」
「できないなら、ぼくはそれでいい。それで、ぼくを遠ざけてくれるなら……」
英俊は眼鏡の中央を押し上げると、そっと目を細める。
「お前もしかして、それが目的で、あんなものをばら撒いて姿を隠したんじゃないだろうな」
「だとしたら?」
「――あてが外れて残念だったな」
和彦は露骨に不信感を表に出す。肉親に対して、情愛というような生ぬるい感情は最初から期待してはいなかったが、英俊の言葉から、やはり自分を捜していたのは、情以外の理由があると実感していた。
足を組んだ英俊は、怜悧な官僚そのものの横顔を見せながら、滔々と語る。
「破廉恥な不祥事を起こした直後に、お前はクリニックを電話一本で辞めて、完全に姿を消してしまった。こちらが事態に気づいて部屋を訪ねたときには、すでにもぬけの殻だった。実に見事な失踪だ。捜索願を出すのはこちらとしては不本意だから、一応探偵なんてものを雇ってはみたんだが、意外にあれは使えない。高い金を取ったくせに、お前が住んでいたマンションから出たあとを辿ることすらできなかった。反対に、意外なほど使えたのは――、お前の友人だ」
英俊が誰のことを指しているのか、すぐに察した。和彦はため息をつくと、低い声で応じる。
「澤村に、ずいぶん無理を言って迷惑をかけたらしいね」
「お前に繋がる唯一の人物だからな。もっとも途中からは、あからさまに嫌われた」
何がおかしかったのか、英俊は唇の端に笑みらしきものを浮かべる。優しさや親しみの欠片もない、人を突き放す残酷な表情だ。だが、よく似合う。
兄とよく似た顔立ちをしている自分も、無意識のうちにこんな顔をしているのかもしれないと思うと、和彦はひどく暗澹とした気持ちになる。
「そもそも最初は、強引な頼み事をするつもりはなかったんだ。父さんが方針を変えたのは、お前のほうから接触してきたからだ」
「ぼくから接触なんてっ……」
「しただろ。ホテルの披露宴会場で、〈勉強会〉の参加者に会ったと聞いた。偶然なんてことはありえない。あの日、あの時間帯、あの場所に出向けば、お前の顔を知っている人物に会うと知っていたはずだ」
「ぼくは知らなかったっ」
「ぼくは、か。だったら、誰が知っていたんだ?」
和彦は唇を引き結び、返事を避ける。
英俊から指摘された件については、賢吾は何もかも調べ上げたうえで、和彦をあの場に向かわせたのだろう。佐伯家の中での和彦の存在がどんなものであるか、賢吾は知りたかったはずだ。だから、和彦という餌で佐伯家が食いつくか、あんな形で確認したのだ。
そして今は、佐伯家が和彦に対して抱く情を推し量っているのかもしれない。家族の一人として大事にしているのか、それとも利用価値のある駒として見ているのか――。
誰よりもそれを見極めようとしているのは、間違いなく和彦自身だろう。
自分は昔から、家族に対して甘い人間ではなかったはずだと、和彦は胸の内で呟く。家族の中で自分の存在は異物なのだと、子供の頃から自覚し続けていた結果だ。
27
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる