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第28話
(21)
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千尋の口調がいくらか和らいだのを感じ、和彦は緊張を解こうとしたが、甘かった。シートから身を乗り出した千尋が強い光を放つ目で見据えてきながら、恫喝するようにこう囁いてきたのだ。
「だから――、俺たち以外の奴が、先生を振り回すのは許さない。特に、先生を怯えさせるような奴は」
「誰のことを、言ってるんだ」
「とぼけないでよ。先生、電話越しでも、あんなに自分の兄貴のことを怖がってただろ。その理由をオヤジは教えてくれなかったけど、でもなんとなく、あのときの先生を見たら、察したよ。……どうして、先生にひどいことしてた奴に会う必要がある? 何かあったらどうするんだよ」
「そうならないよう、気をつけるつもりだ」
ダメだ、と言うように千尋が緩く首を振る。千尋がときどき発揮する頑迷さを、和彦はよく知っている。子供じみており、突拍子もない行動に出るのだ。だからこそ、ここで対応を誤り、千尋を暴走させるわけにはいかない。
賢吾に連絡して説得してもらおうかと思っていると、和彦の困惑を読み取ったように、千尋がこう言った。
「オヤジに相談するつもりなら、残念。今日は泊まりで会合に出かけていて、電話も繋がらない。まあ、オヤジが何言ったところで、俺は意見を変えるつもりはないけど」
「意見って……?」
「――先生を、どこにも行かせない」
長嶺の男――というより、千尋の情は強い。改めてそのことを痛感しながら、和彦は懸命に頭を働かせる。和彦としても、家族恋しさで英俊に会うわけではないのだ。ただ、こちらの言い分を伝え、佐伯家の事情を把握しておきたいだけだ。
「無理だ。ぼくはもう決めたし、いろいろと人に動いてもらっている」
「先生の初めての男にも?」
その物言いが癇に障り、千尋を睨みつける。
「ああ。段取りをつけてもらった。……来週、兄さんと会う」
カッとしたように千尋が口を開きかけたが、すぐに何かに思い当たったように思案顔となる。その隙に和彦は、掴まれたままだった手をそっと抜き取る。それを咎めるでもなく、千尋は自分の携帯電話を取り出してどこかにかける。
砕けた調子で千尋が名乗り、少しの間沈黙したのは、電話を取り次いでもらっているためだろう。
一体どこにかけているのか、という和彦の疑問は、千尋が次に発した言葉で氷解した。
「あっ、じいちゃん――」
総和会本部のエントランスホールに足を踏み入れた和彦は、男たちの姿を見かけて、無意識に身を固くする。敵意のこもった視線を一斉に向けられるのでは、と思ったのだが、予想に反して男たちは、恭しく頭を下げた。
〈手打ち式〉で南郷に土下座をさせたことで、自分は総和会の人間たちにとって敵になったのではないかと恐れていたのだが、どうやら、あまり喜ばしいことではないが、南郷が言っていた通りの事態になったらしい。
関わった者たちに思惑はあるにせよ、和彦が南郷を従わせたという事実によって、総和会から一目置かれる存在になったのだ。それはひどく、和彦にとっては気が重くなる現実だ。
次に総和会本部を訪れるとき、自分はどれだけの覚悟を必要とするのだろうかと、漠然と想像していたのだが、千尋の突拍子のない行動のせいで、覚悟どころか、身構える余裕すら与えられなかった。突然現れた嵐にさらわれたようなものだ。
数メートル先を歩いていた千尋が、自動ドアの前で立ち止まり、こちらを振り返る。和彦は思わず恨みがましい視線を向けたが、涼しい顔で受け流された。総和会のテリトリーに入った途端、長嶺組の跡目として、総和会会長の孫としての存在感が、より強くなったようだ。自身はなんの力も持たない青年としては、総和会という組織の重さに耐えるため、何かしらの支えを欲するのかもしれない。
こうすることで、誰も千尋には逆らえないし、軽んじることもできない。千尋は、自分という存在の利用の仕方をよく心得ているともいえる。卑屈になるどころか、堂々と胸を張っているのだ。
エレベーターに二人で乗り込むと、守光の住居がある四階へと上がる。いつものように人気はなく、静かだった。
千尋に腕を取られて守光の部屋に向かう。孫だからこその遠慮のなさを発揮してリビングまで入っていき、そこに守光の姿がないと知ると、千尋は声を張り上げた。
「じいちゃん、来たよっ。先生も一緒」
少しの間を置いて、悠然とした様子で和服姿の守光が姿を現す。和彦は慌てて頭を下げた。
「こんな時間に申し訳ありません」
「かまわんよ。ここには、本宅と同じように気軽に訪ねてもらいたいと思っていたところだ。千尋のようにな」
薄い笑みを浮かべた守光に、千尋がきつい眼差しを向ける。守光は、そんな千尋の頭を軽く撫でた。
「だから――、俺たち以外の奴が、先生を振り回すのは許さない。特に、先生を怯えさせるような奴は」
「誰のことを、言ってるんだ」
「とぼけないでよ。先生、電話越しでも、あんなに自分の兄貴のことを怖がってただろ。その理由をオヤジは教えてくれなかったけど、でもなんとなく、あのときの先生を見たら、察したよ。……どうして、先生にひどいことしてた奴に会う必要がある? 何かあったらどうするんだよ」
「そうならないよう、気をつけるつもりだ」
ダメだ、と言うように千尋が緩く首を振る。千尋がときどき発揮する頑迷さを、和彦はよく知っている。子供じみており、突拍子もない行動に出るのだ。だからこそ、ここで対応を誤り、千尋を暴走させるわけにはいかない。
賢吾に連絡して説得してもらおうかと思っていると、和彦の困惑を読み取ったように、千尋がこう言った。
「オヤジに相談するつもりなら、残念。今日は泊まりで会合に出かけていて、電話も繋がらない。まあ、オヤジが何言ったところで、俺は意見を変えるつもりはないけど」
「意見って……?」
「――先生を、どこにも行かせない」
長嶺の男――というより、千尋の情は強い。改めてそのことを痛感しながら、和彦は懸命に頭を働かせる。和彦としても、家族恋しさで英俊に会うわけではないのだ。ただ、こちらの言い分を伝え、佐伯家の事情を把握しておきたいだけだ。
「無理だ。ぼくはもう決めたし、いろいろと人に動いてもらっている」
「先生の初めての男にも?」
その物言いが癇に障り、千尋を睨みつける。
「ああ。段取りをつけてもらった。……来週、兄さんと会う」
カッとしたように千尋が口を開きかけたが、すぐに何かに思い当たったように思案顔となる。その隙に和彦は、掴まれたままだった手をそっと抜き取る。それを咎めるでもなく、千尋は自分の携帯電話を取り出してどこかにかける。
砕けた調子で千尋が名乗り、少しの間沈黙したのは、電話を取り次いでもらっているためだろう。
一体どこにかけているのか、という和彦の疑問は、千尋が次に発した言葉で氷解した。
「あっ、じいちゃん――」
総和会本部のエントランスホールに足を踏み入れた和彦は、男たちの姿を見かけて、無意識に身を固くする。敵意のこもった視線を一斉に向けられるのでは、と思ったのだが、予想に反して男たちは、恭しく頭を下げた。
〈手打ち式〉で南郷に土下座をさせたことで、自分は総和会の人間たちにとって敵になったのではないかと恐れていたのだが、どうやら、あまり喜ばしいことではないが、南郷が言っていた通りの事態になったらしい。
関わった者たちに思惑はあるにせよ、和彦が南郷を従わせたという事実によって、総和会から一目置かれる存在になったのだ。それはひどく、和彦にとっては気が重くなる現実だ。
次に総和会本部を訪れるとき、自分はどれだけの覚悟を必要とするのだろうかと、漠然と想像していたのだが、千尋の突拍子のない行動のせいで、覚悟どころか、身構える余裕すら与えられなかった。突然現れた嵐にさらわれたようなものだ。
数メートル先を歩いていた千尋が、自動ドアの前で立ち止まり、こちらを振り返る。和彦は思わず恨みがましい視線を向けたが、涼しい顔で受け流された。総和会のテリトリーに入った途端、長嶺組の跡目として、総和会会長の孫としての存在感が、より強くなったようだ。自身はなんの力も持たない青年としては、総和会という組織の重さに耐えるため、何かしらの支えを欲するのかもしれない。
こうすることで、誰も千尋には逆らえないし、軽んじることもできない。千尋は、自分という存在の利用の仕方をよく心得ているともいえる。卑屈になるどころか、堂々と胸を張っているのだ。
エレベーターに二人で乗り込むと、守光の住居がある四階へと上がる。いつものように人気はなく、静かだった。
千尋に腕を取られて守光の部屋に向かう。孫だからこその遠慮のなさを発揮してリビングまで入っていき、そこに守光の姿がないと知ると、千尋は声を張り上げた。
「じいちゃん、来たよっ。先生も一緒」
少しの間を置いて、悠然とした様子で和服姿の守光が姿を現す。和彦は慌てて頭を下げた。
「こんな時間に申し訳ありません」
「かまわんよ。ここには、本宅と同じように気軽に訪ねてもらいたいと思っていたところだ。千尋のようにな」
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