血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
649 / 1,268
第28話

(20)

しおりを挟む




 普段の言動のせいですっかり忘れてしまいそうになるが、長嶺千尋の本質は決して、可愛い犬っころなどではない。
 したたかでありながら激しい気性を持つ〈何か〉だ。それは、祖父の守光のような老獪な化け狐かもしれないし、父親の賢吾のような冷酷な大蛇かもしれない。もしくは、まったく別の獣か――。
 クリニックを一歩出た和彦は、目の前に立つ千尋を一目見た瞬間、総毛立つような感覚に襲われた。明らかに千尋の様子が尋常ではなかったからだ。
 細身のスーツにナロータイという、オシャレな若手ビジネスマンのような格好は、恵まれた容姿を持つ千尋を、育ちのいい青年に見せる道具としては効果的だ。だが、まるで炎をまとったように、激しい怒りを全身に漲らせている今の千尋は、ジャケットの前を開き、ナロータイを緩めているだけなのに、筋者らしい凶暴さを感じさせる。
 こんな千尋に声をかけたくないが、まさか無視をするわけにもいかない。和彦はできるだけ、いつもの調子で声をかけた。
「お前、こんなところで何をしてるんだ……」
 千尋に歩み寄りながら、周囲に視線を向ける。通りを行き交う人たちが、この青年が長嶺組の跡目だとわかるとは思えない。しかしそれを抜きにしても、千尋の存在は人目を惹く。クリニックが入るビルの前で、目立ちたくなかった。
「先生を待ってた」
「それはわかるが……、せめて車で待つぐらいできるだろ。もし、お前の素性を知っている人間に見つかったらどうするんだ」
「いいよ。そのときは、そのときだ」
 低く抑えた声に、自暴自棄な響きを感じ取り、和彦は眉をひそめる。
「お前――」
「先生に話があるんだ」
 そう言って千尋に腕を掴まれたが、反射的に振り払う。カッとしたように睨みつけてきた千尋を、和彦は睨み返す。
「どうして、そんなに怒ってるんだ」
「……先生に心当たりはあるはずだよ」
「心当たりって……」
「来週、会うんだろ。あんなに怖がってた、自分の兄貴に」
 あっ、と声を洩らした和彦は、この瞬間、自分が大きな思い違いをしていたことに気づいた。
 和彦の反応を見て、千尋は不機嫌そうに唇を曲げる。
「俺のことなんて、すっかり忘れてたって顔だ」
「違うっ。そうじゃなくて――」
「話は、車の中で」
 短く言い放った千尋に再び腕を掴まれ、今度こそ否とは言わせない強引さで引っ張られる。いつにない千尋の迫力に圧され、和彦は従うしかなかった。
 駐車場に待機していたのは、千尋がいつも利用している車だった。どうやら和彦の護衛は帰らせてしまったようだ。大きくため息をついて、千尋に続いて車に乗り込む。
 車が発進するとすぐ、千尋は口を開いた。
「俺は、今日知った。それで組の人間に聞いて回ったら……、みんな知ってたんだ。それどころか、総和会も一枚噛んでるって。――俺だけ、先生に関する大事なことを教えてもらえてなかったわけだ」
 千尋の声音は不安定で、子供が拗ねているようだと思えば、今にも爆発しそうな強い苛立ちを滲ませ、聞いている和彦はハラハラしてくる。反射的に千尋の腕に手をかけると、反対にその手を握り締められた。
「俺になんて言う必要はないと思った?」
 千尋にズバリと言葉で切り込まれ、咄嗟に返事に詰まる。和彦は逡巡した挙げ句、正直に答えるしかなかった。
「……最初は、大げさにするつもりはなかったんだ。組長にさえ許可をもらえれば、それだけでいいと……。だけど、総和会にも報告することになって、ぼくの周囲にいる人間たちにも知らせていって――。お前には、組長か会長が知らせてくれると思っていたんだ」
「残念。俺に教えてくれたのは、組員の一人だ。つまり俺は、オヤジにもじいちゃんにも忘れられてたってことか」
「そうじゃないだろ。連絡の行き違い……、いや、ぼくのせいだな。慌しい中で、お前の存在を後回しにしていた」
 正確には、軽んじていたのかもしれない。そう、和彦は心の中で呟く。
 長嶺の男ではあるが、祖父や父親に比べて千尋は、組織や人に対しても影響力が限られている。二人が許可をしたのなら、千尋にあえて話す必要がないと、無意識のうちに和彦はそう判断していたのだ。もちろん、それだけではない。
「悪かった。ぼくの個人的なことで、お前を煩わせたくないという気持ちもあったんだ。……兄さんから電話がかかってきただけで、あれだけの醜態をお前に晒して、心配をかけたせいもあるし……」
「煩わせてるのは、俺たちのほうだろ。先生をさんざん、こっちの世界の理屈で振り回してるのに、何言ってるんだよ」
「千尋……」

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

朝起きたら幼なじみと番になってた。

オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。 隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた 思いつきの書き殴り オメガバースの設定をお借りしてます

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

処理中です...