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第28話
(17)
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和彦は後部座席のシートで身を固くしていたが、助手席に座る組員は平然と、携帯電話で誰かと連絡を取り合っていた。
おそるおそる背後を振り返ると、この数日で見慣れてしまった総和会の車はついてきていない。
「相手もムキになって追いかけてはこなかったようですね」
「……まあ、向こうにしても、本気で誰かがぼくに接触するとは思ってないんだろう。あくまで、ぼくに見せ付けるのが目的だったんじゃないか」
そんな会話を交わしているうちに、鷹津に指定された場所に到着する。飲み屋の多い一角で、人だけではなく、タクシーで混雑している。路地に入り込むと、抜け出すのに苦労しそうだと思い、和彦だけ車を降りる。
「帰りは鷹津に送らせるから、今日はもうぼくについてなくていい。あと、車を撒いたことで何か言われたら、ぼくの指示だったと言ってくれ」
「大丈夫ですよ。先生はご心配なく」
その言葉に送られて和彦は、にぎわう路地へと入る。鷹津には、とにかく路地を歩いていろと言われたのだが、その意味はすぐにわかった。
「――今夜は、誰も連れてないのか」
前触れもなく、背後から声をかけられる。聞き覚えのある声に振り返ると、黒のソリッドシャツにジーンズという定番の格好をした鷹津がいた。いつの間に、と和彦は目を丸くする。すると鷹津は、ニヤリと笑った。
「お前を誘拐するのは、簡単そうだな。護衛がついてなかったら、無防備そのものだ」
「……仮にも刑事が、物騒なことを言うな。それより、実家の話って?」
和彦の問いかけは、あっさり無視された。先に歩き始めた鷹津の背を睨みつけた和彦だが、往来で問い詰めるわけにもいかず、仕方なくあとを追いかける。
鷹津は人気のない細い路地へと入り、その突き当たりにあるこじんまりとした古い店の前で立ち止まる。
「ここだ」
素っ気なく言って鷹津は店に入り、ため息をついて和彦もあとに続く。
店に一歩足を踏み入れると、なんとも食欲をそそる匂いが鼻先を掠めた。あちこちのテーブルから煙が立ち上り、そこに、肉の焼ける音も加わり、反射的に和彦の腹が鳴る。肉が食べたいと自覚はしていなかったが、こうして店に連れてこられると、肉以外の選択肢はなかったように思える。
店の奥のテーブルについた鷹津は、油で汚れた壁にかかったメニューを見上げ、何品か注文する。最後に和彦が、冷たい緑茶を付け加えた。
「あんたいつも、こういう店で食事しているのか?」
他のテーブルが楽しげに食事をしている中、鷹津と向き合って沈黙していると間がもたないため、和彦は他愛ない疑問をぶつける。鷹津の反応は鈍かった。すぐには返事をせず、ただ和彦を見つめてくるのだ。
鷹津特有の、ドロドロとした感情の澱が透けて見える目は、なぜか妙な力強さを漲らせている。思わず鷹津の目を覗き込みたい衝動に駆られた和彦だが、今は、そちらの好奇心は抑えておく。
「……想像つかないな。あんたが、同僚と楽しく飲み食いしている姿は」
「これでも警官時代は、それなりに外面は取り繕ってたんだぜ」
「でも、その当時から、悪徳警官だったんだろ」
「なんだ。俺の過去に興味があるか?」
和彦が言い返そうとしたところで、肉の並んだ皿が一気に運ばれてきた。
網に次々と肉をのせていく和彦に、あくまで世間話でもするような口調で、鷹津が本題に入った。
「――お前の父親が、ある企業の創業者と頻繁に会っているそうだ。誰でも知ってる大企業ってやつだ。表向き、経営からは退いているが、影響力はいまだに絶大だ。お前の父親自身が今まさに、業界は違えど、同じような道を歩もうとしていると、俺は記憶しているんだが」
和彦が苦虫を噛み潰した顔をしてみせると、満足したように頷き、鷹津は話を続ける。
「官庁の中だけのお山の大将というタイプじゃないようだな。お前の父親は。調べれば調べるほど、驚くような人脈と繋がっていく」
「どちらかと言うと、人脈を求める人間が、父と繋がりたがるんだ。……そうなるよう、いろいろと動いてはいるだろうけど」
焼けた肉を、鷹津が和彦の皿に放り込んでくる。子供ではないのだからと、つい淡い苦笑を洩らした和彦だが、素直に肉を口に運ぶ。
「で、それのどこがおもしろい話なんだ。父の身近にいる人間なら、誰でも知っていることだ」
「そう慌てるな。俺がおもしろいと思ったのは、ここからだ。――その創業者に、二十代後半の孫娘がいる。お嬢様大学を出たあとに、海外留学を経て、祖父が創った企業に入社。今は重役秘書をしている。で、その娘が、花嫁修業目的のお嬢様に人気の教室に通い始めた。これまでも、家の勧めで何度か見合いをしている娘だが、いよいよ祖父の眼鏡に適う男が現れたか、と噂になっているそうだ」
おそるおそる背後を振り返ると、この数日で見慣れてしまった総和会の車はついてきていない。
「相手もムキになって追いかけてはこなかったようですね」
「……まあ、向こうにしても、本気で誰かがぼくに接触するとは思ってないんだろう。あくまで、ぼくに見せ付けるのが目的だったんじゃないか」
そんな会話を交わしているうちに、鷹津に指定された場所に到着する。飲み屋の多い一角で、人だけではなく、タクシーで混雑している。路地に入り込むと、抜け出すのに苦労しそうだと思い、和彦だけ車を降りる。
「帰りは鷹津に送らせるから、今日はもうぼくについてなくていい。あと、車を撒いたことで何か言われたら、ぼくの指示だったと言ってくれ」
「大丈夫ですよ。先生はご心配なく」
その言葉に送られて和彦は、にぎわう路地へと入る。鷹津には、とにかく路地を歩いていろと言われたのだが、その意味はすぐにわかった。
「――今夜は、誰も連れてないのか」
前触れもなく、背後から声をかけられる。聞き覚えのある声に振り返ると、黒のソリッドシャツにジーンズという定番の格好をした鷹津がいた。いつの間に、と和彦は目を丸くする。すると鷹津は、ニヤリと笑った。
「お前を誘拐するのは、簡単そうだな。護衛がついてなかったら、無防備そのものだ」
「……仮にも刑事が、物騒なことを言うな。それより、実家の話って?」
和彦の問いかけは、あっさり無視された。先に歩き始めた鷹津の背を睨みつけた和彦だが、往来で問い詰めるわけにもいかず、仕方なくあとを追いかける。
鷹津は人気のない細い路地へと入り、その突き当たりにあるこじんまりとした古い店の前で立ち止まる。
「ここだ」
素っ気なく言って鷹津は店に入り、ため息をついて和彦もあとに続く。
店に一歩足を踏み入れると、なんとも食欲をそそる匂いが鼻先を掠めた。あちこちのテーブルから煙が立ち上り、そこに、肉の焼ける音も加わり、反射的に和彦の腹が鳴る。肉が食べたいと自覚はしていなかったが、こうして店に連れてこられると、肉以外の選択肢はなかったように思える。
店の奥のテーブルについた鷹津は、油で汚れた壁にかかったメニューを見上げ、何品か注文する。最後に和彦が、冷たい緑茶を付け加えた。
「あんたいつも、こういう店で食事しているのか?」
他のテーブルが楽しげに食事をしている中、鷹津と向き合って沈黙していると間がもたないため、和彦は他愛ない疑問をぶつける。鷹津の反応は鈍かった。すぐには返事をせず、ただ和彦を見つめてくるのだ。
鷹津特有の、ドロドロとした感情の澱が透けて見える目は、なぜか妙な力強さを漲らせている。思わず鷹津の目を覗き込みたい衝動に駆られた和彦だが、今は、そちらの好奇心は抑えておく。
「……想像つかないな。あんたが、同僚と楽しく飲み食いしている姿は」
「これでも警官時代は、それなりに外面は取り繕ってたんだぜ」
「でも、その当時から、悪徳警官だったんだろ」
「なんだ。俺の過去に興味があるか?」
和彦が言い返そうとしたところで、肉の並んだ皿が一気に運ばれてきた。
網に次々と肉をのせていく和彦に、あくまで世間話でもするような口調で、鷹津が本題に入った。
「――お前の父親が、ある企業の創業者と頻繁に会っているそうだ。誰でも知ってる大企業ってやつだ。表向き、経営からは退いているが、影響力はいまだに絶大だ。お前の父親自身が今まさに、業界は違えど、同じような道を歩もうとしていると、俺は記憶しているんだが」
和彦が苦虫を噛み潰した顔をしてみせると、満足したように頷き、鷹津は話を続ける。
「官庁の中だけのお山の大将というタイプじゃないようだな。お前の父親は。調べれば調べるほど、驚くような人脈と繋がっていく」
「どちらかと言うと、人脈を求める人間が、父と繋がりたがるんだ。……そうなるよう、いろいろと動いてはいるだろうけど」
焼けた肉を、鷹津が和彦の皿に放り込んでくる。子供ではないのだからと、つい淡い苦笑を洩らした和彦だが、素直に肉を口に運ぶ。
「で、それのどこがおもしろい話なんだ。父の身近にいる人間なら、誰でも知っていることだ」
「そう慌てるな。俺がおもしろいと思ったのは、ここからだ。――その創業者に、二十代後半の孫娘がいる。お嬢様大学を出たあとに、海外留学を経て、祖父が創った企業に入社。今は重役秘書をしている。で、その娘が、花嫁修業目的のお嬢様に人気の教室に通い始めた。これまでも、家の勧めで何度か見合いをしている娘だが、いよいよ祖父の眼鏡に適う男が現れたか、と噂になっているそうだ」
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