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第28話
(16)
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中嶋から意味ありげな視線を投げかけられたが、和彦は露骨に無視する。タイミングよく、数人のグループがジャグジーにやってきたため、入れ替わる形で和彦は立ち上がる。あとを追うように中嶋もジャグジーを出ようとしたので、すかさず和彦はこう言った。
「せっかく筋肉が解れたんだから、そのままプールで泳いできたらどうだ。ぼくはもう、たっぷり体を動かしたから、先に帰るけど」
更衣室までついて来るなという和彦の牽制がわかったらしく、中嶋は苦笑を浮かべる。
「俺が、先生の一人の時間を邪魔したから、怒ってますね」
「ぼくが怒っていると言ったところで、君は怖くもなんともないだろ」
「いえいえ。先生に嫌われたらどうしようかと、内心ドキドキしてますよ」
「――……本当に、秦に口ぶりが似てきたな」
そう言って和彦は軽く手をあげると、更衣室に向かう。さすがの中嶋も、今度ばかりは追いかけてはこなかった。
ジムを出た和彦は、湿気を含んだ風に頬を撫でられ、思わず空を見上げる。闇に覆われているせいばかりではなく、厚い雲も出ているのか、星はおろか、月の姿すら見ることができない。
そろそろ梅雨入りだろうかと、その時季特有の鬱陶しさを想像してため息をつく。それをきっかけに、一時遠ざけていた現実が肩にのしかかってきた。オーバーワーク気味に体を動かして気分転換をしたところで、抱えた状況は何も変わっていないのだ。
もう一度ため息をついて、ジムの駐車場がある方向を一瞥する。待機している長嶺組の車に乗り込むと、当然のように、総和会の車も背後からついてくるのだろう。さきほど中嶋と話した内容もあって、心底うんざりしてくる。
少しの間、一人で外の空気を堪能しようかと、間が差したようにそんなことを考える。魅力的な企みではあったが、数十秒ほどその場に立ち尽くしていた和彦は、結局、駐車場に向かっていた。長嶺組の男たちに迷惑をかけるのは、本意ではない。
和彦が駐車場に入ってすぐに、待機していた長嶺組の組員の一人が車から降り、出迎えてくれる。総和会の車は、駐車場の外に停まっていた。
「――……気分転換をして外に出てきた途端に、もう気分が塞ぎ込みそうだ……」
バッグを手渡しながらの和彦のぼやきを聞いて、組員は苦笑を洩らす。立場上、素直に賛同するわけにはいかないのだろう。
「帰りは、個室のある店で夕食にしますか?」
「あー、どうしようかな。どこでもいいから、手っ取り早く済ませたい気持ちも――」
ここで和彦の携帯電話が鳴る。表示された名を見て、思わず複雑な反応を示していた。電話は、鷹津からだった。
気疲れがさらに蓄積されそうで、一瞬無視したい衝動に駆られたが、先日、自分が鷹津に頼んだことを思い出し、断念した。
『今、どこにいる』
開口一番の鷹津の不躾な問いかけに、いまさらムッとしたりはしない。
「……ジムを出たところだ。これから食事をして帰ろうかと思っていた」
『ちょうどよかった。俺もメシはまだだ』
「だから?」
『仕方ねーから、奢ってやる』
「今のやり取りで、どうしてあんたと、顔を突き合わせて食事することになるんだ」
イライラとして口調を荒らげたところで、さらりと鷹津が言った。
『お前の実家について、おもしろい話を仕入れた』
鼓膜に注ぎ込まれた言葉が、毒を含んだ好奇心となって体に行き渡る。
鷹津の発言を疑ったりはしない。この男はよくも悪くも、和彦が与える〈餌〉への欲望に正直だ。一度のウソで和彦の信頼を失うような愚かなマネはしない。
「わかった。――どうすればいいんだ」
鷹津の指示を受けてから、電話を切る。車に乗り込んだ和彦はさっそく、これから鷹津と会うことと、指示の内容を告げる。そして、総和会の車を引き連れて行きたくないとも話すと、和彦の真意を正確に汲み取ってくれたらしい。ハンドルを握った組員が、どこか楽しげな様子でこう答えた。
「そういうことなら、任せてください。この時間帯、どこも道は混んでますからね。やむをえず、前を走る車を見失うこともあるでしょう。連中は、勝手にうちの車について回っているだけで、こっちは、仲良く連れ立って走れと指示を受けているわけじゃないですから」
予想外の展開になってきたと思いながら和彦は、慌ててシートベルトを締める。ただ、数分前まで塞ぎ込みそうだった気分は、いくらか持ち直していた。
もちろん、鷹津のおかげだと言うつもりはなく――。
長嶺組の車は、ジムの駐車場を出た瞬間から、本気で総和会の車を撒きにかかる。普段とは比較にならない乱暴な運転で車の列に割って入り、それを繰り返して裏道に入ったかと思うと、スピードを上げる。
「せっかく筋肉が解れたんだから、そのままプールで泳いできたらどうだ。ぼくはもう、たっぷり体を動かしたから、先に帰るけど」
更衣室までついて来るなという和彦の牽制がわかったらしく、中嶋は苦笑を浮かべる。
「俺が、先生の一人の時間を邪魔したから、怒ってますね」
「ぼくが怒っていると言ったところで、君は怖くもなんともないだろ」
「いえいえ。先生に嫌われたらどうしようかと、内心ドキドキしてますよ」
「――……本当に、秦に口ぶりが似てきたな」
そう言って和彦は軽く手をあげると、更衣室に向かう。さすがの中嶋も、今度ばかりは追いかけてはこなかった。
ジムを出た和彦は、湿気を含んだ風に頬を撫でられ、思わず空を見上げる。闇に覆われているせいばかりではなく、厚い雲も出ているのか、星はおろか、月の姿すら見ることができない。
そろそろ梅雨入りだろうかと、その時季特有の鬱陶しさを想像してため息をつく。それをきっかけに、一時遠ざけていた現実が肩にのしかかってきた。オーバーワーク気味に体を動かして気分転換をしたところで、抱えた状況は何も変わっていないのだ。
もう一度ため息をついて、ジムの駐車場がある方向を一瞥する。待機している長嶺組の車に乗り込むと、当然のように、総和会の車も背後からついてくるのだろう。さきほど中嶋と話した内容もあって、心底うんざりしてくる。
少しの間、一人で外の空気を堪能しようかと、間が差したようにそんなことを考える。魅力的な企みではあったが、数十秒ほどその場に立ち尽くしていた和彦は、結局、駐車場に向かっていた。長嶺組の男たちに迷惑をかけるのは、本意ではない。
和彦が駐車場に入ってすぐに、待機していた長嶺組の組員の一人が車から降り、出迎えてくれる。総和会の車は、駐車場の外に停まっていた。
「――……気分転換をして外に出てきた途端に、もう気分が塞ぎ込みそうだ……」
バッグを手渡しながらの和彦のぼやきを聞いて、組員は苦笑を洩らす。立場上、素直に賛同するわけにはいかないのだろう。
「帰りは、個室のある店で夕食にしますか?」
「あー、どうしようかな。どこでもいいから、手っ取り早く済ませたい気持ちも――」
ここで和彦の携帯電話が鳴る。表示された名を見て、思わず複雑な反応を示していた。電話は、鷹津からだった。
気疲れがさらに蓄積されそうで、一瞬無視したい衝動に駆られたが、先日、自分が鷹津に頼んだことを思い出し、断念した。
『今、どこにいる』
開口一番の鷹津の不躾な問いかけに、いまさらムッとしたりはしない。
「……ジムを出たところだ。これから食事をして帰ろうかと思っていた」
『ちょうどよかった。俺もメシはまだだ』
「だから?」
『仕方ねーから、奢ってやる』
「今のやり取りで、どうしてあんたと、顔を突き合わせて食事することになるんだ」
イライラとして口調を荒らげたところで、さらりと鷹津が言った。
『お前の実家について、おもしろい話を仕入れた』
鼓膜に注ぎ込まれた言葉が、毒を含んだ好奇心となって体に行き渡る。
鷹津の発言を疑ったりはしない。この男はよくも悪くも、和彦が与える〈餌〉への欲望に正直だ。一度のウソで和彦の信頼を失うような愚かなマネはしない。
「わかった。――どうすればいいんだ」
鷹津の指示を受けてから、電話を切る。車に乗り込んだ和彦はさっそく、これから鷹津と会うことと、指示の内容を告げる。そして、総和会の車を引き連れて行きたくないとも話すと、和彦の真意を正確に汲み取ってくれたらしい。ハンドルを握った組員が、どこか楽しげな様子でこう答えた。
「そういうことなら、任せてください。この時間帯、どこも道は混んでますからね。やむをえず、前を走る車を見失うこともあるでしょう。連中は、勝手にうちの車について回っているだけで、こっちは、仲良く連れ立って走れと指示を受けているわけじゃないですから」
予想外の展開になってきたと思いながら和彦は、慌ててシートベルトを締める。ただ、数分前まで塞ぎ込みそうだった気分は、いくらか持ち直していた。
もちろん、鷹津のおかげだと言うつもりはなく――。
長嶺組の車は、ジムの駐車場を出た瞬間から、本気で総和会の車を撒きにかかる。普段とは比較にならない乱暴な運転で車の列に割って入り、それを繰り返して裏道に入ったかと思うと、スピードを上げる。
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