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第28話
(15)
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護衛といいながら、精神的圧迫感を与えてくるだけではないかと、毒を吐きたい気持ちをギリギリで抑え、ジムに入ってやっとほっとしたところだったのだ。
和彦はさりげなく、中嶋の横顔を一瞥する。抜かりない、と心の中で呟いていた。
「……何も、ジムの中まで追いかけてこなくていいだろ。こんな場所で、誰が何をできるって言うんだ」
和彦は大げさに周囲を見回す動作をする。平日の夜のジムは、仕事を終えて訪れる〈真っ当な〉勤め人たちが多いのだ。
「何より、一歩外に出れば、怖い男たちが待機している」
「先生の護衛という名目で、互いの組織が牽制し合っているようですね」
「もしかすると、嫌がらせかもしれない」
皮肉っぽい口調で和彦が洩らすと、中嶋は不思議そうな顔をしたが、それも数秒のことだ。すぐに察したように、声を上げた。
「ああ、先日の〈あれ〉ですか」
「君の言う〈あれ〉が何を指しているのか、ぼくにはわからないんだが」
素っ気なく言い置いて、和彦は立ち上がる。
「先生?」
「ジャグジーに入る」
「だったら、俺も」
遠慮してくれないかと、眼差しで訴えてみたが、清々しいほどに気づかれなかった。もしかすると、わざと無視されたのかもしれないが。
使うなと強制する権限が和彦にあるはずもなく、仕方なく、中嶋と連れ立ってジャグジーに向かった。
「――ちょっとした噂になっていますよ」
少し待ってジャグジーに二人きりになったところで、中嶋がさらりと切り出す。全身を包む泡の心地良さにリラックスしかけていた和彦だが、慌てて我に返る。
「何がだ」
「〈あれ〉――、先生が、南郷さんを土下座させた件」
両手で髪を掻き上げた中嶋が、流し目を寄越してくる。濡れ髪のせいもあって妙に艶やかに見えるが、同時に、中嶋の中に息づく鋭さも垣間見える。和彦から何かしらの情報を引き出そうとしているのだ。
和彦はうんざりしながら応じた。
「どうせ、理不尽な理由で南郷さんに土下座をさせたとか、そんな話になっているんだろ……」
「総和会の人間は、興味津々ですよ。南郷さんは、会長の顔を立てて頭を下げたんだろうけど、先生の後ろにいる、長嶺組長の圧力に屈したというのもあるんじゃないかと言われてますが、純粋に、先生の機嫌取りのためじゃないか、と言っている人間もいます」
中嶋の話を聞きながら和彦は、バーベルを持ち上げて疲労している腕を、ゆっくりと動かす。何かしていないと、感情が素直に顔に出てしまいそうなのだ。
「南郷さんがウソをついて先生を連れ出した件は、俺もちょっとヤバイかなとは思ったんですが、まさか、ここまで大事になるとは、正直予想外でしたよ。――先生の発想じゃないですよね。手打ちとして、相手に土下座を求めるのって」
「当たり前だ。……ああでもしないと、影響が少ない形でケリがつかなかったんだ。ぼくがいいと言ったところで、それで納得しない男たちがいた」
「大物たちの寵愛を受けるのも、大変そうですね」
「……君、おもしろがってるだろ」
返事のつもりか、中嶋はニヤリと笑う。それに和彦は、ため息で返した。
「変わり種の君はともかく、第二遊撃隊の中はどうだ? 気が立っている人間がいるんじゃないか。自分たちのリーダーが、よりによってぼくなんかに土下座したんだから」
「うちの隊は、南郷さんがすべて、というところですから。南郷さんが納得して頭を下げたのなら、自分たちが気分を害することすら、おこがましい――」
「なんだか……、狂信じみてるな」
「率直な意見ですね。南郷さんは、ただ会長の権力を傘に着て、総和会の中で地位を固めてきたわけじゃない。スマートさから程遠い外見と言動をしてますが、だからこそ、泥臭い生き方をしてきた人間には好かれる。いや、崇拝されると言ったほうがいいかな」
中嶋は言外に、自分は崇拝しているわけではないと言っているようだ。恵まれた外見を活かしてホストをしていた青年は、ヤクザになって借金を背負ったりと災難に見舞われはしたものの、早いうちに組の中で頭角を現し、推薦されて総和会に入った。そして、さらなる野心を満たすために、南郷が率いる第二遊撃隊に入ったのだ。
本人が口にしないだけで、さまざまな苦労はあっただろうが、それでも、少なくとも泥臭い生き方とは縁遠かったはずだ。つまり客観的に、そして冷静に、南郷を見られる男だ。
和彦がじっと見つめると、視線に気づいた中嶋に言われた。
「先生は、この世界の誰よりも、泥臭い生き方とは対極にいる人ですよね。そんな先生が、南郷さんをどんなふうに見ているのか、気になる――と聞くまでもないですね。先生は、南郷さんが苦手でしょう。いろいろとあったようですし」
和彦はさりげなく、中嶋の横顔を一瞥する。抜かりない、と心の中で呟いていた。
「……何も、ジムの中まで追いかけてこなくていいだろ。こんな場所で、誰が何をできるって言うんだ」
和彦は大げさに周囲を見回す動作をする。平日の夜のジムは、仕事を終えて訪れる〈真っ当な〉勤め人たちが多いのだ。
「何より、一歩外に出れば、怖い男たちが待機している」
「先生の護衛という名目で、互いの組織が牽制し合っているようですね」
「もしかすると、嫌がらせかもしれない」
皮肉っぽい口調で和彦が洩らすと、中嶋は不思議そうな顔をしたが、それも数秒のことだ。すぐに察したように、声を上げた。
「ああ、先日の〈あれ〉ですか」
「君の言う〈あれ〉が何を指しているのか、ぼくにはわからないんだが」
素っ気なく言い置いて、和彦は立ち上がる。
「先生?」
「ジャグジーに入る」
「だったら、俺も」
遠慮してくれないかと、眼差しで訴えてみたが、清々しいほどに気づかれなかった。もしかすると、わざと無視されたのかもしれないが。
使うなと強制する権限が和彦にあるはずもなく、仕方なく、中嶋と連れ立ってジャグジーに向かった。
「――ちょっとした噂になっていますよ」
少し待ってジャグジーに二人きりになったところで、中嶋がさらりと切り出す。全身を包む泡の心地良さにリラックスしかけていた和彦だが、慌てて我に返る。
「何がだ」
「〈あれ〉――、先生が、南郷さんを土下座させた件」
両手で髪を掻き上げた中嶋が、流し目を寄越してくる。濡れ髪のせいもあって妙に艶やかに見えるが、同時に、中嶋の中に息づく鋭さも垣間見える。和彦から何かしらの情報を引き出そうとしているのだ。
和彦はうんざりしながら応じた。
「どうせ、理不尽な理由で南郷さんに土下座をさせたとか、そんな話になっているんだろ……」
「総和会の人間は、興味津々ですよ。南郷さんは、会長の顔を立てて頭を下げたんだろうけど、先生の後ろにいる、長嶺組長の圧力に屈したというのもあるんじゃないかと言われてますが、純粋に、先生の機嫌取りのためじゃないか、と言っている人間もいます」
中嶋の話を聞きながら和彦は、バーベルを持ち上げて疲労している腕を、ゆっくりと動かす。何かしていないと、感情が素直に顔に出てしまいそうなのだ。
「南郷さんがウソをついて先生を連れ出した件は、俺もちょっとヤバイかなとは思ったんですが、まさか、ここまで大事になるとは、正直予想外でしたよ。――先生の発想じゃないですよね。手打ちとして、相手に土下座を求めるのって」
「当たり前だ。……ああでもしないと、影響が少ない形でケリがつかなかったんだ。ぼくがいいと言ったところで、それで納得しない男たちがいた」
「大物たちの寵愛を受けるのも、大変そうですね」
「……君、おもしろがってるだろ」
返事のつもりか、中嶋はニヤリと笑う。それに和彦は、ため息で返した。
「変わり種の君はともかく、第二遊撃隊の中はどうだ? 気が立っている人間がいるんじゃないか。自分たちのリーダーが、よりによってぼくなんかに土下座したんだから」
「うちの隊は、南郷さんがすべて、というところですから。南郷さんが納得して頭を下げたのなら、自分たちが気分を害することすら、おこがましい――」
「なんだか……、狂信じみてるな」
「率直な意見ですね。南郷さんは、ただ会長の権力を傘に着て、総和会の中で地位を固めてきたわけじゃない。スマートさから程遠い外見と言動をしてますが、だからこそ、泥臭い生き方をしてきた人間には好かれる。いや、崇拝されると言ったほうがいいかな」
中嶋は言外に、自分は崇拝しているわけではないと言っているようだ。恵まれた外見を活かしてホストをしていた青年は、ヤクザになって借金を背負ったりと災難に見舞われはしたものの、早いうちに組の中で頭角を現し、推薦されて総和会に入った。そして、さらなる野心を満たすために、南郷が率いる第二遊撃隊に入ったのだ。
本人が口にしないだけで、さまざまな苦労はあっただろうが、それでも、少なくとも泥臭い生き方とは縁遠かったはずだ。つまり客観的に、そして冷静に、南郷を見られる男だ。
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