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第28話
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「まずは、どこかに入って昼メシを食おう。それから、先生の行きたいところに寄って――」
話しながら三田村がちらりとバックミラーを一瞥する。
「ぼくよりも、あんたのほうが落ち着かない感じだ」
和彦の指摘に、三田村は苦笑いした。
「俺と一緒にいて、先生の身に何かあったら大変だ。そういう意味では、緊張する。先生を守れるのは俺一人しかいない状況で気が抜けないのに、どうにかすると、すぐに気を抜きそうになる」
車で移動中の今ですら、三田村はピリピリしている。これでは部屋で二人きりとなったところで、寛ぐどころではないだろう。誰かがまだ見張っているのではないかと、常に気を張り詰めることになる。
余計なことをしてくれると、眉をひそめながら、ウィンドーの外を流れる景色に目を向ける。
少しの間考え込んだ和彦は、三田村にある提案をした。
和彦を軽く扱っているようだから、という誠実な理由で、三田村はホテルを使いたがらない。わざわざ逢瀬の部屋を借りてくれたのも、そのためだ。
だから今回は、あくまで緊急避難だ――。
窓に歩み寄った和彦は、首筋を流れ落ちる水滴をタオルで拭いながら、夕闇に包まれかけている街並みを見下ろす。闇が濃くなっていくに従い、街そのもののまばゆさは増していくのだろう。実際、渋滞した道路は車のライトで溢れ、どのビルも明かりがついている。
本当であればいまごろ、静かな住宅街の中にあるマンションの一室で、三田村とひっそりと過ごしているはずだったのだが、予定は狂ってしまった。
現在、二人がいるのはシティホテルの一室だ。南郷がつけたかもしれない尾行を引き連れて、特別な部屋に戻りたくなかったのだ。何より、三田村に余計な緊張を強いたくなかった。多くの人が滞在している場所であれば、自分たちに向けられる注意がそれだけ逸れる――という錯覚は得られる。
闇に覆われる寸前の、独特の色合いを帯びた街をもっと眺めていたい気もするが、三田村がシャワールームから出てきたため、カーテンを引く。
「三田村、ビールでいいか? なんなら、ルームサービスを頼んでおくか。いや、夜食を食べたくなったときにするか……」
冷蔵庫と電話の間を落ち着きなく行き来する和彦を見て、三田村が表情を和らげる。どうやら、ホテルに一泊するという選択は、間違っていなかったようだ。
「なんだか楽しそうだ、先生」
三田村の言葉に、照れ臭さと申し訳なさを同時に感じながら、和彦は答える。
「新鮮だと思って。あんたと、こうしてホテルに泊まるの。いつもの部屋だと、自分の部屋だというぐらい、すぐに寛げるけど、こういう場所だと勝手が違うからこそ、テンションが高くなるというか――」
「よかった。先生を怯えさせてしまったら、どうしようかと思ってたんだ」
「あんたが一緒にいてくれるのに、どうしてぼくが怯えるんだ」
三田村の笑みが深くなる。和彦もちらりと笑い返すと、ベッドに上がり、傍らをポンポンと叩く。和彦の意図を察した三田村も、ベッドに上がった。
二人並んで横になると、当然のように三田村が腕を伸ばし、遠慮なく和彦は頭をのせる。バスローブに包まれた体を寄せ合ってやっと、人心地がついた気がした。
タイミングをうかがうように沈黙が続いたが、ようやく三田村がこう切り出した。
「――……お兄さんに会うと聞いた」
和彦はわずかに身じろいでから、頷く。
「覚悟を決めた。会って話して、今後関わるつもりはないと、はっきりと言うつもりだ。もともと、家族としての関係は希薄だったんだ。なのに今になって、一方的な事情の変化に振り回されたくない」
「俺たちも、先生を振り回し続けているだけに、意見は言いにくいな……」
「でも、あんたたちは、ぼくを大事にしてくれている。ぼくもそれを、心地いいと思っている。だから、そういう言い方はしないでくれ」
話しながら和彦は、三田村の胸元を片手で撫でる。一方の三田村は、濡れた髪を優しく指で梳いてくれる。
「正直俺には、想像もできないんだ。先生の家は、代々官僚を輩出している名門で、両親も揃っていて、もちろん金にも不自由しない。先生自身、いい学校を出て、医者になっている。世間から見たら、親の期待を裏切らない息子の一人のはずだ。そんな先生が、佐伯家の中で……素っ気なく扱われている理由が」
「……珍しくもないだろ。長男は大事な跡取り。次男は、それ以外の存在。だからぼくは、兄さんと同じ道に進むことは許されなかった。ぼくと兄さんは、徹底的に違うんだ」
「それが今になって、先生を必要だと言い出した……」
「利用価値があるらしい。多分、そう判断したのは――父さんだ」
「先生の、父親……」
話しながら三田村がちらりとバックミラーを一瞥する。
「ぼくよりも、あんたのほうが落ち着かない感じだ」
和彦の指摘に、三田村は苦笑いした。
「俺と一緒にいて、先生の身に何かあったら大変だ。そういう意味では、緊張する。先生を守れるのは俺一人しかいない状況で気が抜けないのに、どうにかすると、すぐに気を抜きそうになる」
車で移動中の今ですら、三田村はピリピリしている。これでは部屋で二人きりとなったところで、寛ぐどころではないだろう。誰かがまだ見張っているのではないかと、常に気を張り詰めることになる。
余計なことをしてくれると、眉をひそめながら、ウィンドーの外を流れる景色に目を向ける。
少しの間考え込んだ和彦は、三田村にある提案をした。
和彦を軽く扱っているようだから、という誠実な理由で、三田村はホテルを使いたがらない。わざわざ逢瀬の部屋を借りてくれたのも、そのためだ。
だから今回は、あくまで緊急避難だ――。
窓に歩み寄った和彦は、首筋を流れ落ちる水滴をタオルで拭いながら、夕闇に包まれかけている街並みを見下ろす。闇が濃くなっていくに従い、街そのもののまばゆさは増していくのだろう。実際、渋滞した道路は車のライトで溢れ、どのビルも明かりがついている。
本当であればいまごろ、静かな住宅街の中にあるマンションの一室で、三田村とひっそりと過ごしているはずだったのだが、予定は狂ってしまった。
現在、二人がいるのはシティホテルの一室だ。南郷がつけたかもしれない尾行を引き連れて、特別な部屋に戻りたくなかったのだ。何より、三田村に余計な緊張を強いたくなかった。多くの人が滞在している場所であれば、自分たちに向けられる注意がそれだけ逸れる――という錯覚は得られる。
闇に覆われる寸前の、独特の色合いを帯びた街をもっと眺めていたい気もするが、三田村がシャワールームから出てきたため、カーテンを引く。
「三田村、ビールでいいか? なんなら、ルームサービスを頼んでおくか。いや、夜食を食べたくなったときにするか……」
冷蔵庫と電話の間を落ち着きなく行き来する和彦を見て、三田村が表情を和らげる。どうやら、ホテルに一泊するという選択は、間違っていなかったようだ。
「なんだか楽しそうだ、先生」
三田村の言葉に、照れ臭さと申し訳なさを同時に感じながら、和彦は答える。
「新鮮だと思って。あんたと、こうしてホテルに泊まるの。いつもの部屋だと、自分の部屋だというぐらい、すぐに寛げるけど、こういう場所だと勝手が違うからこそ、テンションが高くなるというか――」
「よかった。先生を怯えさせてしまったら、どうしようかと思ってたんだ」
「あんたが一緒にいてくれるのに、どうしてぼくが怯えるんだ」
三田村の笑みが深くなる。和彦もちらりと笑い返すと、ベッドに上がり、傍らをポンポンと叩く。和彦の意図を察した三田村も、ベッドに上がった。
二人並んで横になると、当然のように三田村が腕を伸ばし、遠慮なく和彦は頭をのせる。バスローブに包まれた体を寄せ合ってやっと、人心地がついた気がした。
タイミングをうかがうように沈黙が続いたが、ようやく三田村がこう切り出した。
「――……お兄さんに会うと聞いた」
和彦はわずかに身じろいでから、頷く。
「覚悟を決めた。会って話して、今後関わるつもりはないと、はっきりと言うつもりだ。もともと、家族としての関係は希薄だったんだ。なのに今になって、一方的な事情の変化に振り回されたくない」
「俺たちも、先生を振り回し続けているだけに、意見は言いにくいな……」
「でも、あんたたちは、ぼくを大事にしてくれている。ぼくもそれを、心地いいと思っている。だから、そういう言い方はしないでくれ」
話しながら和彦は、三田村の胸元を片手で撫でる。一方の三田村は、濡れた髪を優しく指で梳いてくれる。
「正直俺には、想像もできないんだ。先生の家は、代々官僚を輩出している名門で、両親も揃っていて、もちろん金にも不自由しない。先生自身、いい学校を出て、医者になっている。世間から見たら、親の期待を裏切らない息子の一人のはずだ。そんな先生が、佐伯家の中で……素っ気なく扱われている理由が」
「……珍しくもないだろ。長男は大事な跡取り。次男は、それ以外の存在。だからぼくは、兄さんと同じ道に進むことは許されなかった。ぼくと兄さんは、徹底的に違うんだ」
「それが今になって、先生を必要だと言い出した……」
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「先生の、父親……」
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