血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
637 / 1,268
第28話

(8)

しおりを挟む




 和彦の緊張が電話越しに伝わったのだろう。いつもなら他愛ない世間話から始める里見が、今日はまっさきにこう切り出した。
『何かあったのか?』
 さすがに鋭いなと、内心で苦笑を洩らした和彦は、携帯電話を一度顔から離す。軽く呼吸を整えてから、努めて落ち着いた声で答えた。
「――兄さんから、連絡があったんだ。ぼくの携帯に……」
 たったこれだけで、察しがよすぎるのか、それとも心当たりがあったのか、里見は事情が理解できたようだ。
『わたしのせいだな……』
「里見さん、ぼくの番号、〈K〉で登録してあるんだってね。甘い、と兄さんが言ってた」
『……迂闊と言ってくれていい。本当に、わたしのミスだ』
「それはいいんだ。もう。知られてしまったんなら仕方ない。里見さんもまさか、兄さんが携帯電話を盗み見るなんて思いもしなかったんだろ」
 里見の返事は、重いため息だった。和彦としては、英俊の行為にいまさら愚痴をこぼすつもりはなかった。結果として、こちらが行動を起こすきっかけとなったのだ。
 昼の休憩に入って静かなクリニックとは違い、電話越しに慌しい空気が伝わってくる。本来はゆっくり話せるよう、連絡は夜にすべきなのかもしれないが、和彦としては、里見と話し込み、決意が揺れるのが怖かった。
「兄さんと少し話した。相変わらずだったよ」
『彼は、身近な人間に対しては言葉を選ばない。わたしも、彼の上司だったときは、それなりに敬ってはもらっていたが、今はまあ……。彼なりの、親しさの表現かもしれない』
「優しいな、里見さんは」
 皮肉でもなんでもなく、本当にそう思った。少なくとも和彦は、実の兄に対して好意的な表現はできない。肉親と他人の違いと言ってしまえば、それまでかもしれないが。
「兄さんと電話で話して、キツイことを言われた。それで、いろいろ考えたんだ。一度兄さんと会って、こちらの希望をきちんと伝えるべきじゃないかって」
『希望?』
「……ぼくを、放っておいてほしい。佐伯家の事情に関わらない代わりに、ぼくも佐伯家の迷惑にならないよう、姿を隠しておく」
 里見が何か言いかけた気配がしたが、言葉となって発せられることはなかった。だが和彦には、里見が何を言おうとしたか、漠然とながら伝わってきた。
 それは難しい、と言いたかったはずだ。
 愛情のため、姿を消した息子を必死に捜そうとする家庭は多いだろうが、佐伯家は体面のために動く。だからこそ、冷静で容赦ない手を打ちそうで怖いのだ。長嶺組や総和会の事情に頭の先まで浸かってしまった現状に、佐伯家の見えない動向にまで神経を張り巡らせていたら、確実に和彦の神経は持たない。
 せめて、佐伯家が――英俊が何を考えているか、自分の実感を持って把握しておきたかった。
「里見さんをまた面倒に巻き込んで申し訳ないけど、頼みがあるんだ」
『君のことで面倒なんて思ったことはない。……頼みというのは、英俊くんと会えるよう、段取りをつけることかな』
「うん。直接連絡を取ればいいだろうと思うかもしれないけど、それは避けたいんだ。今、こうしてかけている携帯も、近いうちに解約する予定だ」
『そしてわたしは、君と連絡を取る手段を失う』
 軽い口調で里見に言われ、つられて和彦は笑みをこぼす。
「ずるいな、その言い方は」
『前に君に会ったときに言っただろ。大人はずるいんだと。――本当に、ずるいんだ』
 里見は口調は柔らかながら、妙な迫力があった。里見の知らない世界で和彦が生きているように、和彦の知らない世界で里見は生きているのだと実感させられる、〈重み〉ともいえるかもしれない。
「……ずるい大人の里見さんは、ぼくを騙すつもり?」
『わたしのずるさは、君を守るために発揮するつもりだ』
 これは殺し文句だなと、胸の鼓動の高鳴りを感じつつ、和彦は心の中で呟く。確かに昔、自分はこの人のことが好きでたまらなかったのだと、鮮やかな思い出が蘇ってもいた。だが、里見から庇護されていた昔とはもう違うのだ。
 今の和彦の周囲には、ずるいという言葉では収まらない、食えない男たちばかりで、その男たちが和彦を守っている。
 甘い感傷を押し殺した和彦は、努めて事務的に、英俊と会うための条件を提示する。里見も、和彦の変化を感じ取ったのだろう。メモを取る気配をさせながら、ただ話を聞いてくれた。

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

朝起きたら幼なじみと番になってた。

オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。 隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた 思いつきの書き殴り オメガバースの設定をお借りしてます

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

処理中です...