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第28話
(8)
しおりを挟む和彦の緊張が電話越しに伝わったのだろう。いつもなら他愛ない世間話から始める里見が、今日はまっさきにこう切り出した。
『何かあったのか?』
さすがに鋭いなと、内心で苦笑を洩らした和彦は、携帯電話を一度顔から離す。軽く呼吸を整えてから、努めて落ち着いた声で答えた。
「――兄さんから、連絡があったんだ。ぼくの携帯に……」
たったこれだけで、察しがよすぎるのか、それとも心当たりがあったのか、里見は事情が理解できたようだ。
『わたしのせいだな……』
「里見さん、ぼくの番号、〈K〉で登録してあるんだってね。甘い、と兄さんが言ってた」
『……迂闊と言ってくれていい。本当に、わたしのミスだ』
「それはいいんだ。もう。知られてしまったんなら仕方ない。里見さんもまさか、兄さんが携帯電話を盗み見るなんて思いもしなかったんだろ」
里見の返事は、重いため息だった。和彦としては、英俊の行為にいまさら愚痴をこぼすつもりはなかった。結果として、こちらが行動を起こすきっかけとなったのだ。
昼の休憩に入って静かなクリニックとは違い、電話越しに慌しい空気が伝わってくる。本来はゆっくり話せるよう、連絡は夜にすべきなのかもしれないが、和彦としては、里見と話し込み、決意が揺れるのが怖かった。
「兄さんと少し話した。相変わらずだったよ」
『彼は、身近な人間に対しては言葉を選ばない。わたしも、彼の上司だったときは、それなりに敬ってはもらっていたが、今はまあ……。彼なりの、親しさの表現かもしれない』
「優しいな、里見さんは」
皮肉でもなんでもなく、本当にそう思った。少なくとも和彦は、実の兄に対して好意的な表現はできない。肉親と他人の違いと言ってしまえば、それまでかもしれないが。
「兄さんと電話で話して、キツイことを言われた。それで、いろいろ考えたんだ。一度兄さんと会って、こちらの希望をきちんと伝えるべきじゃないかって」
『希望?』
「……ぼくを、放っておいてほしい。佐伯家の事情に関わらない代わりに、ぼくも佐伯家の迷惑にならないよう、姿を隠しておく」
里見が何か言いかけた気配がしたが、言葉となって発せられることはなかった。だが和彦には、里見が何を言おうとしたか、漠然とながら伝わってきた。
それは難しい、と言いたかったはずだ。
愛情のため、姿を消した息子を必死に捜そうとする家庭は多いだろうが、佐伯家は体面のために動く。だからこそ、冷静で容赦ない手を打ちそうで怖いのだ。長嶺組や総和会の事情に頭の先まで浸かってしまった現状に、佐伯家の見えない動向にまで神経を張り巡らせていたら、確実に和彦の神経は持たない。
せめて、佐伯家が――英俊が何を考えているか、自分の実感を持って把握しておきたかった。
「里見さんをまた面倒に巻き込んで申し訳ないけど、頼みがあるんだ」
『君のことで面倒なんて思ったことはない。……頼みというのは、英俊くんと会えるよう、段取りをつけることかな』
「うん。直接連絡を取ればいいだろうと思うかもしれないけど、それは避けたいんだ。今、こうしてかけている携帯も、近いうちに解約する予定だ」
『そしてわたしは、君と連絡を取る手段を失う』
軽い口調で里見に言われ、つられて和彦は笑みをこぼす。
「ずるいな、その言い方は」
『前に君に会ったときに言っただろ。大人はずるいんだと。――本当に、ずるいんだ』
里見は口調は柔らかながら、妙な迫力があった。里見の知らない世界で和彦が生きているように、和彦の知らない世界で里見は生きているのだと実感させられる、〈重み〉ともいえるかもしれない。
「……ずるい大人の里見さんは、ぼくを騙すつもり?」
『わたしのずるさは、君を守るために発揮するつもりだ』
これは殺し文句だなと、胸の鼓動の高鳴りを感じつつ、和彦は心の中で呟く。確かに昔、自分はこの人のことが好きでたまらなかったのだと、鮮やかな思い出が蘇ってもいた。だが、里見から庇護されていた昔とはもう違うのだ。
今の和彦の周囲には、ずるいという言葉では収まらない、食えない男たちばかりで、その男たちが和彦を守っている。
甘い感傷を押し殺した和彦は、努めて事務的に、英俊と会うための条件を提示する。里見も、和彦の変化を感じ取ったのだろう。メモを取る気配をさせながら、ただ話を聞いてくれた。
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