血と束縛と

北川とも

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第27話

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 南郷のことがあり、じっくりと考える余裕がなかったが、それは言い訳にしか過ぎない。本当は、あえて避けていたのだ。
 英俊からの連絡に対して、どう対応すべきかという答えを出すことを。
 いくら疎遠になろうが、夢に出てくる佐伯家の光景はいつでも鮮明だ。物心ついたときから感じていた疎外感すら、生々しく心に蘇っている。
 もういい大人なのだから、実家と縁を切って生きていくことはできる。実際いままでも、似たようなものだったのだ。それが、こうして不安感に晒されるのは、現在、自分を大事にしてくれている男たちに何かしらの迷惑をかけるのではないかと危惧するからだ。世間からすれば、迷惑を被るのは佐伯家のほうだと、口を揃えて言うだろうが。
 やっぱり、あの家のことは考えたくない――。
 体を丸くした和彦は小さく呻き声を洩らしてから、再びサイドテーブルに手を伸ばす。携帯電話を取り上げると、救いを求めるように、誰よりも自分に優しい男に電話をかけていた。
『――こんな時間にどうかしたのか、先生』
 電話越しに聞こえてきたハスキーな声が、鼓膜に溶けていく。その心地よい感触にそっと吐息を洩らして、和彦は応じた。
「今、大丈夫か?」
『ああ、ちょうど部屋で一人で飲んでいたところだから、気にしないでくれ』
「よかった、と言っていいのかな。ぼくのつまらない話につき合わせる気満々なんだが」
『俺は、嬉しい。思いがけず、こうして先生の声を聞きながら、酒が飲めるんだから』
 自分も、長嶺の男たちのことは言えないと、和彦は笑みをこぼす。三田村から、欲しい返事をもぎ取ったのだ。
「……今日は、会長に呼ばれてちょっと遠出したから疲れたんだ。早めに寝たけど、夢見が悪くて、こんな変な時間に起きてしまった」
『先生が、総和会の用事で出かけたことは、組にも報告は入っていたが、そうか、会長と……』
 三田村の口調はあくまで優しいが、意識して感情を排しているようにも感じられる。
「ああ……。何かしら、聞いてはいるだろう。南郷さんのこと」
『組を騙す形で連れ出された先生の居場所が、一時掴めなくなって、騒動になりかけた。南郷本人から連絡が入らなかったら、もっと大事になっていたはずだ』
 さすがに、南郷が和彦の体に触れた件は、三田村には知らされていないらしい。三田村に余計な気苦労をかけないで済むことに安堵する反面、罪悪感が疼く。
「そのことで、南郷さんに対する処分を、ぼくと会長で相談して決めた。……総和会と長嶺組の問題にしないために、そうすることが最善の形だと、会長から説明された。もっともだと、ぼくも思う」
 だけど、と続けた言葉を、三田村が引き継ぐ。
『気持ちとして割り切れない部分がある、という口振りだ』
「不服だとか、そうはっきりとしたものじゃないんだ。ただ――」
 ここで和彦は、この寝室にはまだ盗聴器は仕掛けられているのだろうかと思い至り、布団に頭まで潜り込む。いつでも意識するのは、賢吾の存在だ。
「少し引っかかっている。穏便に済ませたいという気持ちは、確かにあるんだ。だけど、当事者のぼくに相談する前に、穏便に済ませるためのお膳立てが、会長と組長の間ですでにできていているようだった。ぼくは、上手く誘導されて頷いただけのようで――違うな。そうじゃない。こういうやり方で回っている世界だと知っているし、理解もしているんだ」
 そもそも、自分のことで揉めないでほしいと望んでいたのは、和彦だ。長嶺の男たちの行動は、組織同士の無用な対立を避けるためであるだろうが、和彦の望みも叶えてくれている。それでも釈然としないのは、きっと自分のわがままなのだろう。
「組長が何を考えているか、まったくわからない。南郷さんのことで、ぼくのことを迂闊だとか、隙がありすぎるとか、そんなふうに責められてもないんだ。……仕事の一つとして、南郷さんとのことを淡々と処理されたように感じる」
 ここまで話したところで三田村は、和彦自身ですら輪郭を掴みかねている気持ちを、しっかりと言葉で掬い上げてくれた。
『――先生は、組長の感情的な姿を見たかったんだな』
「えっ」
『俺の〈オンナ〉に何をしやがる、と言ってほしかったと、今の先生の言葉を聞いていたら、そんな心の声も聞こえてきた。……もしかして俺は、自分が思っているより酔っているのかもしれないから、そんなことと、笑ってくれてもいい』
 真っ暗な布団の中で、和彦はゆっくりと目を瞬く。三田村の指摘に、自分でも驚くほど納得していた。
「……そう、なんだろうな。ぼくは、自分でも呆れるほど、図太い神経をしているかもしれない。人を脅迫して、職場どころか、普通の生活まで奪った男に、そういうことを望むなんて」
『組長は本当は、激情家なんじゃないかと、感じるときがある。背負うものがあって、危険な立場に身を置いているから、常に感情を律しているが。先生に直接意見を求めなかったのは、組長なりに危惧したからじゃないか』
「危惧?」
『先生が怯えるほど責めることを』
 物騒な世界で、物騒な組織を背負って立つ男が、そんな生ぬるいことを危惧したりしないだろうと、和彦にもわかっている。だが、三田村の言葉に、胸に巣食う重苦しさがいくらか和らいでいた。
 三田村の優しさに、遠退きかけていた眠気が引き寄せられる。
 布団からやっと顔を出した和彦は、囁くような声でわがままを言ってみた。
「三田村、ぼくが寝るまで、何か話していてくれないか」
『それは……難題だな。先生に話して聞かせられるようなものは、俺には――』
「子守唄を歌ってくれてもいいぞ」
 和彦の冗談は通じたらしく、電話の向こうから抑えた笑い声が聞こえてくる。その声すら、耳に心地よかった。
「なんでも、いいんだ。あんたの声が聞けるなら……」
 数十秒ほど不自然な沈黙が続いたあと、ようやく三田村は話し始める。
 なんとも三田村らしいというべきか、組に入ったばかりの頃の苦労話を。

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