血と束縛と

北川とも

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第27話

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 南郷に対して怒りはあるが、自ら罰を与えようと考えたことはなかった。守光が最善の手段へと導いてくれると、心のどこかで期待をしていた。しかし、これは――。
 和彦の返事次第では、二つの組織だけではなく、父子関係の不和すら生みかねないと、言外に仄めかされているようだった。守光は、和彦から欲しい返事をもぎ取ろうとしているのだ。この場にはいない賢吾も。
 ぐっと奥歯を噛み締めた和彦は、いまさらながら、自分がどれほど怖い男たちの〈オンナ〉であるのか、痛感していた。大事にしてくれてはいるが、一方で、自分たちが背負う組織のために、どこまでも傲慢で容赦なく振舞う。
 それでも和彦は身を委ねるしかないのだ。
「――……助言を、いただけないでしょうか。どうすれば、影響を最小限に抑えて、なおかつ、誰にも口出しをさせないほど、きちんとケリをつけられるのか。そんな方法があるのでしょうか?」
「簡単だ。南郷を跪かせるといい」
 事も無げに告げられ、静かな衝撃が胸に広がる。
「ひざま、ずかせる……?」
「あの男の土下座は、価値がある。――南郷が小さな組の組長代行を務めていた頃、その土下座で揉めに揉めてな。南郷は、親ともいえる組長の面子を潰した挙げ句、結局総和会が介入する話にまでなった。結果が、今の立場だ」
 その今の立場を守るために、南郷は和彦の要求を呑むか否か、試せというのだ。しかし守光には確信があるのだろう。南郷は、和彦に詫びるために跪くと。それで、すべてケリがつくと。
 頭が、考えることを放棄したがっていた。南郷にそこまでさせてしまうことで、どういう結果が生まれるのか、想像するのが怖かったのだ。不穏なものを感じながらも、しかし他に手段も思いつかない。
 和彦は、守光に頭を下げた。
「すべて、お任せします。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「あんたが頭を下げる必要はない。今回の件は、こちらの不始末だ。それを円満に解決するために、あんたの手を借りる。面倒だと思うかもしれんが、この世界で円滑に物事を進めるには、取り繕うべき形が必要なんだ」
「……そのことを、少しは理解しているつもりです」
 守光は満足げに頷いたあと、さらりと提案してきた。
「堅苦しい話はここまでだ。――湯の準備ができている。入ってきなさい」


 湯上がりで火照った体の熱を冷ます間もなく、部屋に戻る。すでに座卓の上は片付けられており、何事もなかったように整然とした佇まいを取り戻していた。そして、守光の姿もない。
 室内の変化はそれだけではなかった。食事の最中は閉まっていた襖が開いており、誘われるように和彦は歩み寄る。
 外から差し込む陽射しを嫌うように、雨戸すら閉められた部屋は、スタンド照明の控えめな明かりによってぼんやりと照らされている。この一室にだけ、夜が訪れたようだ。部屋の中央に敷かれた一組の布団がやけにはっきりと浮かび上がり、その錯覚をより強くする。
「――襖を閉めてくれるか」
 突然、守光の声がして、ビクリと肩を震わせる。ハッとして声のほうを見ると、浴衣に着替えた守光が、窓際に置かれた籐椅子に腰掛けていた。
 守光に言われるまま襖を閉めると、途端に室内の空気が艶かしさを帯びる。それにあえて気づかないふりをした和彦は、手招きされて守光の傍らに立った。
 外の様子が見えない窓に視線を向けながら、守光が話す。
「すぐ目の前を、水のきれいな川が流れているんだ。もう少し気温が高くなってくると、蛍が飛び始める。それを眺めながら美味い酒を飲むというのは、時間を忘れるほどいいものだ」
 ゆっくりと守光が立ち上がり、自然な動作で和彦の肩を抱いた。
「できることなら、その頃にまた、あんたにつき合ってもらいたいが、どうだろうな。わしだけでなく、あんたも忙しい身だ。予定が合うかどうか……」
 賢吾同様、和彦の予定などどうとでもできる男の言葉を、指摘するだけ野暮だろう。何度交わされたかわからない一連の会話の流れに、奇妙なことに和彦は安堵すら感じるようになっていた。
「誘っていただけるのでしたら、ぼくはいつでもご一緒します」
「賢吾の誘いを蹴ってでも?」
 笑いを含んだ口調での、守光の意地の悪い問いかけに、思わず苦笑を洩らしてしまう。すると、肩に回された守光の腕に力が込められる。察するものがあって守光のほうを見ると、距離の近さを意識する間もなく、唇を塞がれた。
 二度、三度と柔らかく唇を啄ばまれながら、さきほどまでの隣室での会話を懸命に頭から追い払い、守光への恐れをなんとか和らげようとする。差し出された生贄のように身を硬くして、守光の機嫌を損ねたくなかった。

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