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第27話
(21)
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「ここでその酒を飲んで、あんたなら気に入ってくれるんじゃないかと思ってな。出してもらったんだ。その様子なら……」
「ええ、すごく美味しいです。普段は無難に、日本酒よりワインを選んでしまうんですが、どうやらぼくが、口に合う日本酒を知らなかっただけのようですね」
喉の奥がじんわりと熱くなり、和彦はそっと吐息を洩らす。猪口一杯でこれでは、すぐに酔ってしまいそうだ。
食事が進み、器の大半が空いた頃になって、ようやく守光がこう切り出した。
「南郷のことだが――」
和彦は反射的に背筋を伸ばした。
「あんたには迷惑をかけた」
守光が頭を下げたため、慌てて制止する。
「やめてくださいっ。会長が頭を下げられるなんてっ……」
「そういうわけにもいかん。これはケジメだ。〈あれ〉は、わしの子飼いの部下だ。今の地位を与えた責任がある」
激しくうろたえ、困惑した和彦だが、思いきって守光に問いかけた。
「……会長は、どこまでご存知なのですか?」
頭を上げた守光が一瞬見せた眼差しの鋭さに、息を呑む。しかし次の瞬間には、守光は穏やかな表情へと戻っていた。猪口を取り上げたので、和彦は酒を注ぐ。
「賢吾が把握している程度のことは」
「それは――……」
すべてを明け透けに打ち明けるかどうか、守光は自分を試しているのかもしれない。和彦は急にそんな不安に襲われる。同時に、耐え難いほどの羞恥にも。
「南郷は今、自宅で謹慎させている。第二遊撃隊も、総本部に詰めさせて、外での活動を禁止している。――処分が決まるまで」
「処分?」
「処分は今日、あんたと相談して決めるつもりだ」
和彦は絶句して、ただ守光の顔を凝視する。沈黙している間、耳に心地いい水音が室内に響き渡る。窓のすぐ下を川が流れているのだろう。
感情の乱れをようやく抑えて発した言葉は、微かに震えを帯びていた。
「……どうして、ぼくが……」
「あんたが外部の人間なら、なかったことにするのは容易だ。だが、そうじゃないだろう。あんたは、長嶺組にとっても、総和会にとっても大事な身内だ。そのあんたに南郷は無礼を働き、奴を引き立ててきたわしの顔に泥を塗った。あんたの気が済むよう、南郷を処断すべき――と、わしが判断した」
和彦は、長嶺の男たちの〈オンナ〉であって、ヤクザではない。こういうときにヤクザのやり方を求められても、どうすればいいのかわからないのだ。困惑して何も言えない和彦に、まるで悪戯でも提案するように守光が言う。
「指を詰めさせるかね? 南郷は、荒事が日常茶飯事という生き方をしてきて、体には派手な傷跡がいくつもあるが、指は揃っている。そんな男が初めて指を詰める原因が、総和会会長のオンナだというのも、なかなかおもしろかろう」
わずかな反感を覚えて、つい守光にきつい眼差しを向けてしまった和彦だが、すぐにそんな自分に気づいて視線を伏せる。
「ぼくは……治療する側の人間です。人の体に傷をつける行為は、望みません」
「血を見すぎて、血には飽いている、と澄ました顔で言えるようになったら、立派な悪女だがな、先生」
揶揄されたと感じ、カッと和彦の顔は熱くなる。辱めのような言葉を受けたくなくて、仕方なくこちらから水を向けた。
「……わからないんです。どうして南郷さんは、あんなことを? あの人なら、あなたに迷惑をかけないことをまず第一に考えるはずです。ぼくが沈黙を保つと過信していた――というタイプでもないでしょう。迂闊な行動というより、わざと騒動にするために行動したように感じます」
ちらりと視線を上げた和彦は、このとき、守光の表情の微かな変化を見逃さなかった。唇の端がほんのわずかに上がったのだ。笑んだようにも見えたが、それよりも、守光が内に飼っている狡知な生き物の気配を強烈に感じ、和彦は無意識に小さく身を震わせていた。
「さあ、わからんよ。ただ、わしが把握しているのは、賢吾が特別な〈オンナ〉に骨抜きになっていると知ってから、南郷が妙に浮き立った様子だということだ」
すべてを知ったような口調でそう言った守光に、和彦は怪訝な顔をするしかない。今の話をどう解釈すればいいのかと戸惑うが、和彦のこの反応を守光は予期していたようだ。
「今回の不始末は、あんたが納得のいく形でケリをつける。賢吾にはそれで納得させた。総和会と長嶺組をそれぞれ治める長嶺の男二人が、今直接顔を合わせては、つまらん勘繰りを生むだけだ。わしらが乗り出さねばならぬほど大事なのか、父と息子の関係が悪化しているのではないか、とな。だから、あんたと南郷の間でケリをつけねばならん」
「ええ、すごく美味しいです。普段は無難に、日本酒よりワインを選んでしまうんですが、どうやらぼくが、口に合う日本酒を知らなかっただけのようですね」
喉の奥がじんわりと熱くなり、和彦はそっと吐息を洩らす。猪口一杯でこれでは、すぐに酔ってしまいそうだ。
食事が進み、器の大半が空いた頃になって、ようやく守光がこう切り出した。
「南郷のことだが――」
和彦は反射的に背筋を伸ばした。
「あんたには迷惑をかけた」
守光が頭を下げたため、慌てて制止する。
「やめてくださいっ。会長が頭を下げられるなんてっ……」
「そういうわけにもいかん。これはケジメだ。〈あれ〉は、わしの子飼いの部下だ。今の地位を与えた責任がある」
激しくうろたえ、困惑した和彦だが、思いきって守光に問いかけた。
「……会長は、どこまでご存知なのですか?」
頭を上げた守光が一瞬見せた眼差しの鋭さに、息を呑む。しかし次の瞬間には、守光は穏やかな表情へと戻っていた。猪口を取り上げたので、和彦は酒を注ぐ。
「賢吾が把握している程度のことは」
「それは――……」
すべてを明け透けに打ち明けるかどうか、守光は自分を試しているのかもしれない。和彦は急にそんな不安に襲われる。同時に、耐え難いほどの羞恥にも。
「南郷は今、自宅で謹慎させている。第二遊撃隊も、総本部に詰めさせて、外での活動を禁止している。――処分が決まるまで」
「処分?」
「処分は今日、あんたと相談して決めるつもりだ」
和彦は絶句して、ただ守光の顔を凝視する。沈黙している間、耳に心地いい水音が室内に響き渡る。窓のすぐ下を川が流れているのだろう。
感情の乱れをようやく抑えて発した言葉は、微かに震えを帯びていた。
「……どうして、ぼくが……」
「あんたが外部の人間なら、なかったことにするのは容易だ。だが、そうじゃないだろう。あんたは、長嶺組にとっても、総和会にとっても大事な身内だ。そのあんたに南郷は無礼を働き、奴を引き立ててきたわしの顔に泥を塗った。あんたの気が済むよう、南郷を処断すべき――と、わしが判断した」
和彦は、長嶺の男たちの〈オンナ〉であって、ヤクザではない。こういうときにヤクザのやり方を求められても、どうすればいいのかわからないのだ。困惑して何も言えない和彦に、まるで悪戯でも提案するように守光が言う。
「指を詰めさせるかね? 南郷は、荒事が日常茶飯事という生き方をしてきて、体には派手な傷跡がいくつもあるが、指は揃っている。そんな男が初めて指を詰める原因が、総和会会長のオンナだというのも、なかなかおもしろかろう」
わずかな反感を覚えて、つい守光にきつい眼差しを向けてしまった和彦だが、すぐにそんな自分に気づいて視線を伏せる。
「ぼくは……治療する側の人間です。人の体に傷をつける行為は、望みません」
「血を見すぎて、血には飽いている、と澄ました顔で言えるようになったら、立派な悪女だがな、先生」
揶揄されたと感じ、カッと和彦の顔は熱くなる。辱めのような言葉を受けたくなくて、仕方なくこちらから水を向けた。
「……わからないんです。どうして南郷さんは、あんなことを? あの人なら、あなたに迷惑をかけないことをまず第一に考えるはずです。ぼくが沈黙を保つと過信していた――というタイプでもないでしょう。迂闊な行動というより、わざと騒動にするために行動したように感じます」
ちらりと視線を上げた和彦は、このとき、守光の表情の微かな変化を見逃さなかった。唇の端がほんのわずかに上がったのだ。笑んだようにも見えたが、それよりも、守光が内に飼っている狡知な生き物の気配を強烈に感じ、和彦は無意識に小さく身を震わせていた。
「さあ、わからんよ。ただ、わしが把握しているのは、賢吾が特別な〈オンナ〉に骨抜きになっていると知ってから、南郷が妙に浮き立った様子だということだ」
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「今回の不始末は、あんたが納得のいく形でケリをつける。賢吾にはそれで納得させた。総和会と長嶺組をそれぞれ治める長嶺の男二人が、今直接顔を合わせては、つまらん勘繰りを生むだけだ。わしらが乗り出さねばならぬほど大事なのか、父と息子の関係が悪化しているのではないか、とな。だから、あんたと南郷の間でケリをつけねばならん」
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