血と束縛と

北川とも

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第27話

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 土曜日の午前中、自宅マンションで一人過ごしていた和彦は、突然の連絡を受け、急遽出かけることになった。こちらの予定も聞かず、自分につき合えと言うのは、口調の違いはあれど、長嶺の男に共通する特徴だ。
 後部座席のシートに身を預けた和彦は、ウィンドーの外を流れる景色を眺めつつ、守光からかかってきた電話でのやり取りを思い返す。
 美味い山魚を食べさせる店があるので、これから出てきなさいと、まず言われたのだ。面食らう和彦に、さらに守光は言葉を続けた。
 一昨日の南郷の無礼について、詫びがしたい、と。
 こう言われては、和彦には断る術はない。もとより、守光からの誘いを断られるはずもない。
 マンション前に停まっていた車に乗り込んだのだが、肝心の守光の姿はなかった。運転手を務めている男によると、守光は昨日からある旅館に宿泊しており、そこに和彦はこれから向かうのだ。
 一体何を言われるのだろうかと考えて、心がざわつく。
 和彦を騙して呼び出した南郷の行為は、総和会と長嶺組に何かしらの波紋を起こしたようだ。
 呼び出された当事者である和彦のもとには、情報がほとんどもたらされない中、唯一、中嶋から送られてきたメールのおかげで、自分の知らないところで事態が動いていることを知ったのだ。
 それまで和彦はずっと、長嶺組の男たちに気遣われていた。南郷のせいで、和彦が激怒したままだと思われているためだ。それは事実ではないが、自分の精神状態を詳細に語ることを和彦は避けていた。
 実は激怒どころか、南郷がもう一つの〈行為〉を明らかにすることを恐れていたとは、口が裂けても言えない。
 自ら動きようがない中で、守光が連絡をくれたことに身構えつつも、正直和彦は安堵していた。
 シートから身を乗り出して、ウィンドーに顔を近づける。道路の傍らを川が流れており、陽射しを反射してキラキラと輝いていた。しかし和彦が何より目を奪われたのは、川の向こうに広がる景色だった。
 山の傾斜を利用して芝桜が植えられているのだ。まだ盛りを過ぎていないらしく、白や濃いピンクの花が満開となっており、あまりの鮮やかさに思わずため息が洩れる。たまたま通りかかったのか、それともこれが目的で訪れたのか、車から降りて写真を撮っている人たちもいる。
 せっかくの機会なので、立ち寄ってもらって間近で見てみたかったが、和彦がちらりと運転席に視線を向けると、気配を察したように言われた。
「もう十分ほどで、旅館に到着します。昼食にちょうどいい時間です」
 つまり、余計な観光をする時間はないということだ。和彦は微苦笑を浮かべて、わかった、と応じる。
 守光が宿泊しているという旅館は、川の畔に建っていた。かつて、守光と旅行に出かけた先で、立派な旅館に宿泊したことがあるが、似た風情を持っていると感じた。建物そのものは比較にならないほどこじんまりとしているが、周囲の自然との調和を壊さない趣きがあり、隠れ家的な雰囲気も漂っている。
 促され、門をくぐったところで、川のせせらぎが聞こえてくることに気づく。髪を揺らす風はひんやりとしており、清澄だ。和彦は大きく深呼吸をしてから、玄関に足を踏み入れた。
 仲居ではなく、運転手を務めた男に案内され、三階へと上がる。ただし、一番奥まった部屋に入るのは、和彦一人だ。
 一声かけ、ゆっくりと引き戸を開ける。途端に、さきほど外でも感じた風に頬を撫でられた。窓が開いているのかと、風が吹いてくるほうに視線を向けようとしたが、その前に、賢吾によく似た太く艶のある声をかけられた。
「――よく来てくれた、先生」
 守光は、和服姿で寛いだ様子で座卓についていた。目が合うなり穏やかに笑いかけられるが、和彦の全身にはピリッとするような緊張感が駆け抜ける。
「誘っていただいて、ありがとうござ――」
「すまなかったな。クリニックが休みで寛いでいる中、強引に連れ出すようなことをして」
「……いえ。本音を言えば、ほっとしています」
 和彦の言外に含ませた意味を正確に読み取ったのだろう。守光は再び笑みを浮かべた。ただし今度は、怜悧で冴え冴えとした笑みだ。
 やはりこの人は怖い。和彦は心の中でそっと洩らすと、手招きされるまま座卓に歩み寄った。


 昼食として出された山魚料理は、見た目は素朴ながら、味は文句なく素晴らしかった。それに、すぐ近くの山で採ったという山菜も、和彦にはあまり馴染みがないものだったが、一口食べて気に入った。
 食事の合間に、勧められるまま日本酒も口にする。どことなく果実のような香りがする日本酒で、非常に飲みやすい。目を丸くして守光を見ると、こう言われた。

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