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第27話
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頬の熱さを誤魔化すようにてのひらで擦ってから、そっと中嶋をうかがい見る。グラスに口をつけている中嶋は、普通のハンサムな青年だ。表情によってはドキリとするような色気もあり、こういってはなんだが、ホストは天職だったのではないかとすら思える。
こんな青年が、南郷の下で物騒な仕事をこなしているのだ。そんなことをふっと考えた瞬間、和彦の口を突いて出たのは、自分でも驚くような質問だった。
「――……南郷さんから、性的な嫌がらせをされたことはないか?」
さすがの中嶋も驚いたらしく、不自然に動きを止めたあと、ぎこちなくグラスを置いて、テーブルに身を乗り出してきた。
「やっぱり何かあったんですか」
「ぼくが質問をしているんだ。ぼくが何かされたと言っているわけじゃない」
我ながら苦しい言い訳を、当然中嶋は信用していない。苦笑に近い表情を見せたあと、急に澄ました顔で語り始めた。
「前に確か、先生に話したことがありますよね。南郷さんは、長嶺会長に付き従っていることが多くて、あの人の動きを追えば、長嶺会長の動きもだいたい把握することができると。ところが最近は、ちょっと様子が変わってきていると、総和会の中でもっぱらの噂なんですよ。南郷さんと長嶺会長が別行動を取ることが増えてきた、と。第二遊撃隊をいよいよ大きくして、実行委員の一人として名を連ねるつもりじゃないかとも。総和会の人事について、先生はピンとこないでしょうが、これが実現したら、かなりすごいことなんですよ」
「……ぼくの質問と、君のその話と、どう繋がるんだ……?」
「隊にいるからこそ、感じることもあるんです。最近の南郷さんは、先生を追うために動いているんじゃないか――」
柔らかだが、ときおり怜悧さも覗く中嶋の視線を向けられ、なんとなく息苦しさを覚えた和彦は、焼きおにぎりをほぐしながら食べ始める。
「ぼくにはよくわからない。ただ、顔を合わせる機会は増えたかもしれない。……今夜は、完全に騙された。患者の治療をするつもりだったのに、連れて来られたのがカラオケボックスで、南郷さんがいた」
「それで、性的な嫌がらせをされたと」
「ぼくのことはいいっ」
ムキになって言い返したが、すぐに和彦は顔を伏せ、焼きおにぎりを口に運ぶ。
「……あの人は、不気味だ。何をしたいのか、よくわからない。まるで、長嶺組との間に揉め事を起こそうとしているようで……」
「ちょっと考えにくいですね。南郷さんは、長嶺会長の側近で、その長嶺会長が何より大事にしているのが、総和会と――長嶺組です。そして、長嶺組が今大事にしているのは、先生だ」
「買い被りだ。ぼくはあくまで、長嶺組長と、その跡目である千尋のオンナというだけだ」
「そのオンナの存在が、総和会にまで影響を及ぼしているんです。決して買い被りじゃないですよ」
中嶋がさりげなく、唐揚げを盛った皿を差し出してきたので、自分の皿に取り分ける。もそもそと唐揚げを齧っていた和彦だが、たまらずため息をついていた。
「個人的な問題が起こっている最中で、今は気持ちに余裕がないんだ。そこに、これ以上厄介なことを抱えると、さすがに限界だ」
「気分転換なら、いつでもおつき合いしますよ」
力なく笑った和彦だが、何げなく視線を周囲に向ける。学生らしいグループや、会社帰りと思しきスーツやワイシャツ姿の一団、女性たちだけで盛り上がっているテーブルもあり、とにかくにぎやかだ。そんな客たちの姿を眺めながら、自分や中嶋も、この場に上手く溶け込めているのだろうかと考えていた。
自分たちの存在が特別なのだというつもりはない。ただ、異質なのだ。いつの間にか異質であることを受け入れ、馴染んでいることに、いまさらながら不安のようなものを感じていた。
「先生?」
中嶋に呼ばれ、我に返った和彦は慌てて箸を動かす。
「たまには、こういう店で飲むのもいいなと思ってただけだ。普段は、一緒にいる男たちの安全を考えて、人の出入りが多い店を避けがちになるから」
「そのうち、先生を気軽に連れ回すことができなくなるかもしれませんね」
どういう意味かと問いかけようとしたとき、店の自動ドアが開き、二人の男性客が入ってきた光景を視界の隅に捉えていた。男性客が店員と短く言葉を交わしてから、こちらに歩み寄ってくる。ここで和彦はやっと、その男性客が見知った男たちであることに気づいた。長嶺組の組員たちだ。
「どうして――……」
「南郷さんが、長嶺組のほうに連絡を入れたんだと思います。騙す形で先生を連れ出して、そのうえ怒らせてしまったのに、何事もなかった顔はできなかったんじゃないでしょうか。……この店に長嶺組の方が来たということは、もしかして俺たち、隊の人間にしっかり尾行されていたみたいですね」
さらりとそんなことを言われ、和彦は思わず中嶋を睨みつける。口ぶりからして、中嶋は尾行に気づいていたと察したからだ。中嶋はペコリと頭を下げた。
「すみません。だけど、こちらの都合で先生を振り回して、不愉快な思いまでさせた挙げ句、危険な目には絶対遭わせるわけにはいきません。もし先生の身に何かあったとき、第二遊撃隊全体の責任問題になります」
「そこまでのリスクを、あの人はわかっていたはずだろっ。なのにどうして、今日みたいなことを――」
中嶋にぶつけるというより、声に出して自問自答をしたようなものだが、それでもはっきりと南郷の名を口に出すことはできなかった。長嶺組の男たちがテーブルの傍らに立ったからだ。
ここで自制心が働いたことで、和彦は嫌なことに気づかされる。自分は、南郷に試されているのだということに。
何もかもを打ち明けて、南郷がすべて悪いと断罪することは容易い。だが、和彦が撒き散らした言葉を受けて、長嶺組や総和会の男たちは問題解決のために動かざるをえないのだ。南郷を側に置いている守光も、知らぬ顔はできないだろう。
そして和彦は、守光のオンナだ。
新たに運ばれてきたレモンサワーをぐいっと飲んで、自分を囲む男たちに向けて言った。
「……ぼくの自棄酒に、少しつき合ってくれ」
こんな青年が、南郷の下で物騒な仕事をこなしているのだ。そんなことをふっと考えた瞬間、和彦の口を突いて出たのは、自分でも驚くような質問だった。
「――……南郷さんから、性的な嫌がらせをされたことはないか?」
さすがの中嶋も驚いたらしく、不自然に動きを止めたあと、ぎこちなくグラスを置いて、テーブルに身を乗り出してきた。
「やっぱり何かあったんですか」
「ぼくが質問をしているんだ。ぼくが何かされたと言っているわけじゃない」
我ながら苦しい言い訳を、当然中嶋は信用していない。苦笑に近い表情を見せたあと、急に澄ました顔で語り始めた。
「前に確か、先生に話したことがありますよね。南郷さんは、長嶺会長に付き従っていることが多くて、あの人の動きを追えば、長嶺会長の動きもだいたい把握することができると。ところが最近は、ちょっと様子が変わってきていると、総和会の中でもっぱらの噂なんですよ。南郷さんと長嶺会長が別行動を取ることが増えてきた、と。第二遊撃隊をいよいよ大きくして、実行委員の一人として名を連ねるつもりじゃないかとも。総和会の人事について、先生はピンとこないでしょうが、これが実現したら、かなりすごいことなんですよ」
「……ぼくの質問と、君のその話と、どう繋がるんだ……?」
「隊にいるからこそ、感じることもあるんです。最近の南郷さんは、先生を追うために動いているんじゃないか――」
柔らかだが、ときおり怜悧さも覗く中嶋の視線を向けられ、なんとなく息苦しさを覚えた和彦は、焼きおにぎりをほぐしながら食べ始める。
「ぼくにはよくわからない。ただ、顔を合わせる機会は増えたかもしれない。……今夜は、完全に騙された。患者の治療をするつもりだったのに、連れて来られたのがカラオケボックスで、南郷さんがいた」
「それで、性的な嫌がらせをされたと」
「ぼくのことはいいっ」
ムキになって言い返したが、すぐに和彦は顔を伏せ、焼きおにぎりを口に運ぶ。
「……あの人は、不気味だ。何をしたいのか、よくわからない。まるで、長嶺組との間に揉め事を起こそうとしているようで……」
「ちょっと考えにくいですね。南郷さんは、長嶺会長の側近で、その長嶺会長が何より大事にしているのが、総和会と――長嶺組です。そして、長嶺組が今大事にしているのは、先生だ」
「買い被りだ。ぼくはあくまで、長嶺組長と、その跡目である千尋のオンナというだけだ」
「そのオンナの存在が、総和会にまで影響を及ぼしているんです。決して買い被りじゃないですよ」
中嶋がさりげなく、唐揚げを盛った皿を差し出してきたので、自分の皿に取り分ける。もそもそと唐揚げを齧っていた和彦だが、たまらずため息をついていた。
「個人的な問題が起こっている最中で、今は気持ちに余裕がないんだ。そこに、これ以上厄介なことを抱えると、さすがに限界だ」
「気分転換なら、いつでもおつき合いしますよ」
力なく笑った和彦だが、何げなく視線を周囲に向ける。学生らしいグループや、会社帰りと思しきスーツやワイシャツ姿の一団、女性たちだけで盛り上がっているテーブルもあり、とにかくにぎやかだ。そんな客たちの姿を眺めながら、自分や中嶋も、この場に上手く溶け込めているのだろうかと考えていた。
自分たちの存在が特別なのだというつもりはない。ただ、異質なのだ。いつの間にか異質であることを受け入れ、馴染んでいることに、いまさらながら不安のようなものを感じていた。
「先生?」
中嶋に呼ばれ、我に返った和彦は慌てて箸を動かす。
「たまには、こういう店で飲むのもいいなと思ってただけだ。普段は、一緒にいる男たちの安全を考えて、人の出入りが多い店を避けがちになるから」
「そのうち、先生を気軽に連れ回すことができなくなるかもしれませんね」
どういう意味かと問いかけようとしたとき、店の自動ドアが開き、二人の男性客が入ってきた光景を視界の隅に捉えていた。男性客が店員と短く言葉を交わしてから、こちらに歩み寄ってくる。ここで和彦はやっと、その男性客が見知った男たちであることに気づいた。長嶺組の組員たちだ。
「どうして――……」
「南郷さんが、長嶺組のほうに連絡を入れたんだと思います。騙す形で先生を連れ出して、そのうえ怒らせてしまったのに、何事もなかった顔はできなかったんじゃないでしょうか。……この店に長嶺組の方が来たということは、もしかして俺たち、隊の人間にしっかり尾行されていたみたいですね」
さらりとそんなことを言われ、和彦は思わず中嶋を睨みつける。口ぶりからして、中嶋は尾行に気づいていたと察したからだ。中嶋はペコリと頭を下げた。
「すみません。だけど、こちらの都合で先生を振り回して、不愉快な思いまでさせた挙げ句、危険な目には絶対遭わせるわけにはいきません。もし先生の身に何かあったとき、第二遊撃隊全体の責任問題になります」
「そこまでのリスクを、あの人はわかっていたはずだろっ。なのにどうして、今日みたいなことを――」
中嶋にぶつけるというより、声に出して自問自答をしたようなものだが、それでもはっきりと南郷の名を口に出すことはできなかった。長嶺組の男たちがテーブルの傍らに立ったからだ。
ここで自制心が働いたことで、和彦は嫌なことに気づかされる。自分は、南郷に試されているのだということに。
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そして和彦は、守光のオンナだ。
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