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第27話
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カラオケボックスに来て、他にすることがあるとも思えないが、あえて和彦は素っ気なく応じる。勘の鋭い中嶋には、それだけで十分伝わったはずだ。
参ったな、と小さく洩らした中嶋は、乱雑に髪を掻き上げた。
「先生に関することは、すべて俺にも知らせてほしいと言ってはあるんですけど。――どうも、たびたび伝達に不備が起こるようで」
中嶋は苛立ちを込めた視線を若者に向ける。当の若者のほうは、こちらの会話に聞き耳を立てているような素振りも見せず、注意深く辺りを見回している。その様子は、よく訓練された犬のようだ。
客として出入りしている同年代の若者たちとの違いに、いまさらながら瞠目している和彦に、中嶋がそっと耳打ちをしてくる。
「彼に、何か失礼はありませんでしたか?」
若者を見つめる視線を、中嶋は勘違いしたらしい。和彦は慌てて首を横に振る。
「それはないんだっ。むしろ失礼だったのは――」
南郷のほうだ。そう言いたかったが、ぐっと言葉を呑み込む。迂闊なことを言って、若者から南郷に報告されても困る。こんなことで激怒する男だとも思えないが、何かあって中嶋の立場が悪くなるのは申し訳ない。
和彦は、遠慮がちに中嶋を見上げた。
「……咄嗟に君の名を出したんだが、そのことで南郷さんから叱責されるようなことはないか?」
「俺は一応、総和会での先生の世話係を任されている立場ですよ。先生が困って、俺を呼びつけるのは、行動として正しい。ここで長嶺組の方を呼ばれると、そちらのほうが面倒なことになったと思います」
ひとまず、その言葉に安堵しておく。
「そうか。よかった……。頭に血がのぼっていて、君に電話したあとで、急に不安になったんだ」
「先生に、そんな顔で心配されるのは、なかなか気分がいいですね。急いで駆けつけた甲斐がありますよ」
ここでやっと和彦は、小さく笑みを浮かべることができた。
中嶋に促されてビルを出ると、人の流れに乗るようにして歩き始める。和彦は念のため背後を振り返ろうとしたが、すかさず中嶋に言われた。
「うちの人間はついてきていません。ここからは、先生を守るのは俺の役目ですから」
和彦は大きくため息をつくと、前髪をくしゃくしゃと掻き乱す。いろいろと言いたいことはあるのだが、張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、一気に疲労感が押し寄せてきた。
「わがままを言っていいか……?」
「俺が叶えられる範囲でなら、なんでもどうぞ」
「――お腹が空いた。それと、あまり歩き回りたくない」
可愛いわがままですね、と笑いを含んだ声で洩らした中嶋が、少し考える素振りを見せる。和彦は慌てて付け加えた。
「君さえよかったら、どこでもいいんだっ。気取った店に入りたいというわけじゃなくて、むしろ、気楽な気分で過ごしたいというか――」
「なら、決まりですね。あそこに入りましょう」
そう言って中嶋が前方を指さす。指し示された先にあるのは、チェーン展開している居酒屋だ。和彦に異論はなく、大きく頷く。
中嶋とともににぎやかな店内に足を踏み入れると、さっそくテーブルにつく。和彦はメニューを開くと、飲み物といくつかの料理を選び、注文を中嶋に任せた。
「で、何があったんですか?」
店員がテーブルを離れると同時に、中嶋に問われる。和彦は意識しないまま眉をひそめ、どう答えるべきかと考える。その間に、まず飲み物が運ばれてくる。和彦はレモンサワーで、車の運転がある中嶋はジンジャーエールだ。居酒屋にいてアルコールが頼めないということに罪悪感が疼いたが、胸の内で吹き荒れる怒りの前では、あまりに儚い感情だ。
和彦は呷るようにレモンサワーを飲み、焼きおにぎりの皿が目の前に置かれたときには、グラスを空にしていた。いつにない和彦の勢いに、さすがの中嶋も目を丸くしつつも、すかさず飲み物を追加で注文してくれる。
「……先生がそんな飲み方をするなんて、よほどですね」
ふっと一息ついた和彦は、恨みがましい視線を中嶋に向ける。自分でも、今夜は絡み酒になりそうな気配を感じ取っていた。事情もわからないまま呼び出され、こうしてつき合わされる中嶋にとってはいい迷惑だろう。
和彦が口を開かないうちに、次々に料理が運ばれてきて、テーブルの上にところ狭しと並べられる。気をつかった中嶋があれこれと頼んでくれたのだ。
「何があったにせよ、顔を合わせたのは連休以来なんですから、先生の気が済むまでつき合いますよ」
中嶋の言葉に、知らず知らずのうちに和彦の顔は熱くなってくる。五月の連休中、総和会の別荘で三田村と中嶋の三人で過ごし、非常に穏やかで楽しい時間を過ごしたのだ。が、最後の夜は一転して、濃厚で淫靡な行為に耽り――。
参ったな、と小さく洩らした中嶋は、乱雑に髪を掻き上げた。
「先生に関することは、すべて俺にも知らせてほしいと言ってはあるんですけど。――どうも、たびたび伝達に不備が起こるようで」
中嶋は苛立ちを込めた視線を若者に向ける。当の若者のほうは、こちらの会話に聞き耳を立てているような素振りも見せず、注意深く辺りを見回している。その様子は、よく訓練された犬のようだ。
客として出入りしている同年代の若者たちとの違いに、いまさらながら瞠目している和彦に、中嶋がそっと耳打ちをしてくる。
「彼に、何か失礼はありませんでしたか?」
若者を見つめる視線を、中嶋は勘違いしたらしい。和彦は慌てて首を横に振る。
「それはないんだっ。むしろ失礼だったのは――」
南郷のほうだ。そう言いたかったが、ぐっと言葉を呑み込む。迂闊なことを言って、若者から南郷に報告されても困る。こんなことで激怒する男だとも思えないが、何かあって中嶋の立場が悪くなるのは申し訳ない。
和彦は、遠慮がちに中嶋を見上げた。
「……咄嗟に君の名を出したんだが、そのことで南郷さんから叱責されるようなことはないか?」
「俺は一応、総和会での先生の世話係を任されている立場ですよ。先生が困って、俺を呼びつけるのは、行動として正しい。ここで長嶺組の方を呼ばれると、そちらのほうが面倒なことになったと思います」
ひとまず、その言葉に安堵しておく。
「そうか。よかった……。頭に血がのぼっていて、君に電話したあとで、急に不安になったんだ」
「先生に、そんな顔で心配されるのは、なかなか気分がいいですね。急いで駆けつけた甲斐がありますよ」
ここでやっと和彦は、小さく笑みを浮かべることができた。
中嶋に促されてビルを出ると、人の流れに乗るようにして歩き始める。和彦は念のため背後を振り返ろうとしたが、すかさず中嶋に言われた。
「うちの人間はついてきていません。ここからは、先生を守るのは俺の役目ですから」
和彦は大きくため息をつくと、前髪をくしゃくしゃと掻き乱す。いろいろと言いたいことはあるのだが、張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、一気に疲労感が押し寄せてきた。
「わがままを言っていいか……?」
「俺が叶えられる範囲でなら、なんでもどうぞ」
「――お腹が空いた。それと、あまり歩き回りたくない」
可愛いわがままですね、と笑いを含んだ声で洩らした中嶋が、少し考える素振りを見せる。和彦は慌てて付け加えた。
「君さえよかったら、どこでもいいんだっ。気取った店に入りたいというわけじゃなくて、むしろ、気楽な気分で過ごしたいというか――」
「なら、決まりですね。あそこに入りましょう」
そう言って中嶋が前方を指さす。指し示された先にあるのは、チェーン展開している居酒屋だ。和彦に異論はなく、大きく頷く。
中嶋とともににぎやかな店内に足を踏み入れると、さっそくテーブルにつく。和彦はメニューを開くと、飲み物といくつかの料理を選び、注文を中嶋に任せた。
「で、何があったんですか?」
店員がテーブルを離れると同時に、中嶋に問われる。和彦は意識しないまま眉をひそめ、どう答えるべきかと考える。その間に、まず飲み物が運ばれてくる。和彦はレモンサワーで、車の運転がある中嶋はジンジャーエールだ。居酒屋にいてアルコールが頼めないということに罪悪感が疼いたが、胸の内で吹き荒れる怒りの前では、あまりに儚い感情だ。
和彦は呷るようにレモンサワーを飲み、焼きおにぎりの皿が目の前に置かれたときには、グラスを空にしていた。いつにない和彦の勢いに、さすがの中嶋も目を丸くしつつも、すかさず飲み物を追加で注文してくれる。
「……先生がそんな飲み方をするなんて、よほどですね」
ふっと一息ついた和彦は、恨みがましい視線を中嶋に向ける。自分でも、今夜は絡み酒になりそうな気配を感じ取っていた。事情もわからないまま呼び出され、こうしてつき合わされる中嶋にとってはいい迷惑だろう。
和彦が口を開かないうちに、次々に料理が運ばれてきて、テーブルの上にところ狭しと並べられる。気をつかった中嶋があれこれと頼んでくれたのだ。
「何があったにせよ、顔を合わせたのは連休以来なんですから、先生の気が済むまでつき合いますよ」
中嶋の言葉に、知らず知らずのうちに和彦の顔は熱くなってくる。五月の連休中、総和会の別荘で三田村と中嶋の三人で過ごし、非常に穏やかで楽しい時間を過ごしたのだ。が、最後の夜は一転して、濃厚で淫靡な行為に耽り――。
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