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第27話
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いくらでもコピーができる動画が目の前で消去されたところで、確認することに意味はない。そう考えたことが顔に出たのだろう。南郷はこう続けた。
「まあ、俺を信用してくれとしか言えない。それに――長嶺組長のオンナに悪さをした証拠を、いつまでも手元に残しておいたところで、俺に益があると思うか?」
和彦はスマートフォンを南郷に返す。
「……二度と、こんなことをしないでください」
「騙して呼び出したことか。それとも、あんたの特別な場所に触れたことか――」
前触れもなく南郷に肩を抱き寄せられ、耳元に獣の息遣いがかかる。続いて、耳朶に鈍い痛みが走った。食われる、と本能的な怯えを感じた和彦は短く悲鳴を上げ、身を捩って南郷の腕の中から逃れた。
全身の血が沸騰しているようで、心臓が痛いほど強く鼓動を打っている。南郷の様子をうかがいながら慎重に立ち上がった和彦だが、眩暈に襲われて足元がふらついていた。
「大丈夫か、先生。顔が真っ青だ」
「こんなぼくを見られて、満足しましたか……?」
和彦が睨みつけると、悪びれたふうもなく南郷は大仰に肩をすくめる。
「必死に虚勢を張っているあんたの姿は、なかなかいい。こういうところでも、育ちが出るんだろうな。感情的になっていても、品がある」
「そんな……いいものじゃないです。怖いんです。この世界の男を怒らせるのは」
「オンナらしい配慮だ。何をされても、相手を怒らせないよう気遣わないといけねーなんて。つまり今晩のことも、長嶺組長には〈告げ口〉しないということか」
南郷が向けてきた冷笑を、和彦は見ないふりをする。挑発しようとしている意図が、露骨に透けて見えるのだ。和彦のささやかな反撃を、きっとこの男は、楽しげに受け流すはずだ。
なんとか大きく息を吐き出すと、ドアに向かおうとする。本当は駆け出したいところを、ぐっと気持ちを堪えて。
「――俺は、あんたのことが知りたかった」
ドアを開けようとしたところで、背後からそんな言葉が投げつけられる。動きを止めた時点で、和彦の負けだ。聞こえなかったふりもできず、仕方なく振り返る。
「さんざん調べたんじゃないですか」
「経歴については、いまさら俺が調べるまでもなく、資料は揃ってた。俺が言ってるのは、あんたの内面についてだ。そして、人間の本質が表れやすいのは、怒っているときだと俺は思っている」
「……ぼくを怒らせたくて、こんなことを?」
「そのつもりだったが、今日は怯えてばかりだったな、先生」
何を言われるよりも怒りを刺激され、和彦は勢いよくドアを開けて部屋を出る。目の前には、部屋まで案内してくれた若者が立っていた。どうやら、行き交う人たちの視線もものともせず、ずっとこうやって待機していたようだ。
明らかに機嫌が悪い和彦を目の前にしても、眉一つ動かすことなく若者は、エレベーターホールへと歩きながら、携帯電話を取り出す。
「一階で少しお待ちください。車を正面に回しますから――」
「いい。一人でタクシーで帰る」
「それはできません。第二遊撃隊が責任をもって、佐伯先生を長嶺組にお返しします」
一人になって気持ちを切り替えたいのだと言いたかったが、今日会ったばかりの若者に説明するのも億劫で、今度はこう提案した。
「――だったら、中嶋くんを呼ぶ。彼に運転手を頼む」
腕組みをしてイスに腰掛けた和彦を見るなり、中嶋は唇を緩めた。
「遅い、と言いたげな顔ですね、先生」
「……連絡して三十分で来てくれたんだから、むしろ早いほうだ」
よほど慌てて出てきたのか、ノーネクタイのうえに、ワイシャツのボタンも上から二つを留めていない中嶋だが、夜の繁華街で少々羽目を外した若いビジネスマンにしか見えない。こんな中嶋が、いかにも筋者な見た目の南郷率いる第二遊撃隊に所属しているのだ。
さきほどから和彦の傍らに立ち、辺りを静かに睥睨している若者も含めて、南郷は自分のスタイルにはこだわるものの、それ以外の者には自由に――あるいは、あえて筋者に見えないよう徹底させているのかもしれない。
若者が、低く抑えた声で中嶋に挨拶をする。それに応じたわずかな間だけ、普通の青年の顔の下から、中嶋の別の顔が覗き見えた気がする。和彦が思わず目を凝らした数瞬のあとに、中嶋はいつものように気安い雰囲気で話しかけてきた。
「びっくりしましたよ。突然先生から、迎えに来てほしいと連絡がきたときは。声を聞いたら、なんだか機嫌が悪そうだし。事情がわからないままここに来たら、外で隊の人間が待機しているし。さすがに何事かと思って事情を聞きましたが……、南郷さん、歌っているそうですね」
「……さあ、さっさと出てきたから、あの人が部屋で何をしているかまでは知らない」
「まあ、俺を信用してくれとしか言えない。それに――長嶺組長のオンナに悪さをした証拠を、いつまでも手元に残しておいたところで、俺に益があると思うか?」
和彦はスマートフォンを南郷に返す。
「……二度と、こんなことをしないでください」
「騙して呼び出したことか。それとも、あんたの特別な場所に触れたことか――」
前触れもなく南郷に肩を抱き寄せられ、耳元に獣の息遣いがかかる。続いて、耳朶に鈍い痛みが走った。食われる、と本能的な怯えを感じた和彦は短く悲鳴を上げ、身を捩って南郷の腕の中から逃れた。
全身の血が沸騰しているようで、心臓が痛いほど強く鼓動を打っている。南郷の様子をうかがいながら慎重に立ち上がった和彦だが、眩暈に襲われて足元がふらついていた。
「大丈夫か、先生。顔が真っ青だ」
「こんなぼくを見られて、満足しましたか……?」
和彦が睨みつけると、悪びれたふうもなく南郷は大仰に肩をすくめる。
「必死に虚勢を張っているあんたの姿は、なかなかいい。こういうところでも、育ちが出るんだろうな。感情的になっていても、品がある」
「そんな……いいものじゃないです。怖いんです。この世界の男を怒らせるのは」
「オンナらしい配慮だ。何をされても、相手を怒らせないよう気遣わないといけねーなんて。つまり今晩のことも、長嶺組長には〈告げ口〉しないということか」
南郷が向けてきた冷笑を、和彦は見ないふりをする。挑発しようとしている意図が、露骨に透けて見えるのだ。和彦のささやかな反撃を、きっとこの男は、楽しげに受け流すはずだ。
なんとか大きく息を吐き出すと、ドアに向かおうとする。本当は駆け出したいところを、ぐっと気持ちを堪えて。
「――俺は、あんたのことが知りたかった」
ドアを開けようとしたところで、背後からそんな言葉が投げつけられる。動きを止めた時点で、和彦の負けだ。聞こえなかったふりもできず、仕方なく振り返る。
「さんざん調べたんじゃないですか」
「経歴については、いまさら俺が調べるまでもなく、資料は揃ってた。俺が言ってるのは、あんたの内面についてだ。そして、人間の本質が表れやすいのは、怒っているときだと俺は思っている」
「……ぼくを怒らせたくて、こんなことを?」
「そのつもりだったが、今日は怯えてばかりだったな、先生」
何を言われるよりも怒りを刺激され、和彦は勢いよくドアを開けて部屋を出る。目の前には、部屋まで案内してくれた若者が立っていた。どうやら、行き交う人たちの視線もものともせず、ずっとこうやって待機していたようだ。
明らかに機嫌が悪い和彦を目の前にしても、眉一つ動かすことなく若者は、エレベーターホールへと歩きながら、携帯電話を取り出す。
「一階で少しお待ちください。車を正面に回しますから――」
「いい。一人でタクシーで帰る」
「それはできません。第二遊撃隊が責任をもって、佐伯先生を長嶺組にお返しします」
一人になって気持ちを切り替えたいのだと言いたかったが、今日会ったばかりの若者に説明するのも億劫で、今度はこう提案した。
「――だったら、中嶋くんを呼ぶ。彼に運転手を頼む」
腕組みをしてイスに腰掛けた和彦を見るなり、中嶋は唇を緩めた。
「遅い、と言いたげな顔ですね、先生」
「……連絡して三十分で来てくれたんだから、むしろ早いほうだ」
よほど慌てて出てきたのか、ノーネクタイのうえに、ワイシャツのボタンも上から二つを留めていない中嶋だが、夜の繁華街で少々羽目を外した若いビジネスマンにしか見えない。こんな中嶋が、いかにも筋者な見た目の南郷率いる第二遊撃隊に所属しているのだ。
さきほどから和彦の傍らに立ち、辺りを静かに睥睨している若者も含めて、南郷は自分のスタイルにはこだわるものの、それ以外の者には自由に――あるいは、あえて筋者に見えないよう徹底させているのかもしれない。
若者が、低く抑えた声で中嶋に挨拶をする。それに応じたわずかな間だけ、普通の青年の顔の下から、中嶋の別の顔が覗き見えた気がする。和彦が思わず目を凝らした数瞬のあとに、中嶋はいつものように気安い雰囲気で話しかけてきた。
「びっくりしましたよ。突然先生から、迎えに来てほしいと連絡がきたときは。声を聞いたら、なんだか機嫌が悪そうだし。事情がわからないままここに来たら、外で隊の人間が待機しているし。さすがに何事かと思って事情を聞きましたが……、南郷さん、歌っているそうですね」
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