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第27話
(13)
しおりを挟む和彦が携帯電話への着信に気づいたのは、ジムでシャワーを浴び終えてからだった。
じっくりと丹念に全身の筋肉を動かし、健全な疲労感に満たされて、汗を洗い流してさっぱりとしたところだっただけに、一瞬、魔が差したように、億劫だなと思ってしまう。
着信は、護衛の組員からのものだ。普段であれば、和彦がジムを出るまで待っているのだが、こうして連絡してきたということは、そうするだけの事情があるということだ。その事情は、非常に限られていた。
賢吾からの一方的な呼び出しか、あるいは――。
和彦は服を着込んで手早く髪を乾かしてから、急いでジムを出る。駐車場に向かうと、組員が車の傍らに立って待ち構えていた。
「何かあったのか?」
和彦の問いかけに、組員は困惑気味の表情を浮かべる。ひとまず車に乗り込むと、他人の耳を気にする必要がなくなった組員は、すかさずこう切り出した。
「総和会から連絡が回ってきました――」
シートに身を預けようとしていた和彦は、半ば反射的に背筋を伸ばす。全身に行き渡っていた心地よい疲労感は、瞬時に緊張感へと変化していた。
「仕事か?」
「この患者を、先生に診てもらいたいと」
信号待ちで車を停めた間に、組員が車内灯をつけてからメモを差し出してくる。患者の名ではなく、和彦が施した処置について端的に記されているのだが、それで十分だ。ああ、と声を洩らして眉をひそめていた。
組員が言っている『この患者』とは、一か月以上前に半死半生となるほどの全身打撲を負った男だ。腹部の内出血がひどくて開腹手術を行った後、腸閉塞を起こしたりもしたが、それから容態も落ち着いたこともあり、別の医者のもとで養生生活を送っている――と総和会から説明を受けていた。
患者自身は、和彦の言いつけを守るし、治療にも協力的だったこともあったため、悪い印象は持っていない。ただ、この患者を診ているときに、和彦自身が思いがけない出来事に襲われ、どうしてもその記憶が蘇り、苦々しい感情に苛まれる。体に刻みつけられた生々しい感触とともに。
「……具体的に、どう調子がよくないのかという話は?」
「いえ。先生がジムを終えて出てきたら、指定した場所までお連れするよう言われただけです」
「患者は診てほしいが、ぼくがジムから出てくるのを待つ余裕はあるということか。……なんだか、変だな」
そう呟いた和彦だが、総和会からの依頼を拒否することはできない。
組員が運転する車でジム近くのコンビニに移動すると、数台の車が停まっている中に、独特の空気を放つワゴン車があった。何がどう違うとはっきりと言葉にできないが、ただ、近寄りがたいものがあるのだ。これは和彦が堅気の感覚を持っているがゆえに感じるのか、それとも、堅気ではなくなったからこそ感じるのか、自分でも判断はつかない。
ワゴン車の隣のスペースに、組員は車を停める。それを待っていたように、ワゴン車の後部座席のスライドドアが開いた。
和彦は、着替えなどを詰め込んだバッグを組員に託し、手ぶらで車を降りる。周囲に視線を向けることなく、素早くワゴン車の後部座席に乗り込んだ。
もう何度も繰り返してきた行動とはいえ、総和会の〈領域〉に我が身を置くと、やはり緊張する。いや、怖いのだ。
これなら、総和会の仕事を引き受け始めたばかりの頃のほうが、まだ気持ちとしては楽だったかもしれない。ヤクザらしくない中嶋が総和会側の運転手を務めていたということもあるし、何より和彦が、総和会という組織の存在を、リアルに肌では感じていなかった。だから、ある意味無防備でいられた。
しかし今、和彦にとって総和会は、長嶺組と同じぐらい近い存在となってしまった。
重苦しいため息をついた和彦は、ウィンドーの外を流れる景色を漫然と眺めていたが、そのうち、いつもと様子が違うことに気づき、シートから体を起こしていた。
治療を行うとき、人目を避けるような場所を選ぶことが多く、総和会の場合は特にそれが顕著なのだが、今車は、繁華街の中を移動している。しかも、通り抜けようとしているわけではなく、同じ道を何度も行き来しているのだ。尾行を警戒していることぐらい、さすがに和彦にもわかるが、どうしてこんな場所で、と疑問に感じる。
「あの――」
たまらず口を開きかけたとき、ひたすら右折を繰り返していた車が、ようやく左折する。そしてあるビルの前で停まった。ここで降りるよう言われ、わけがわからないまま和彦は指示に従う。
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