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第27話
(5)
しおりを挟む和彦はTシャツを着込むと、濡れた髪を掻き上げてから大きく息を吐き出す。そして、ドアを開けたままのバスルームにちらりと視線を向けた。
バスタブの縁にあごをのせた千尋が、目が合った途端に笑いかけてくる。締まりのない顔だが、これが長嶺の男だと思うと、可愛いと感じられるから不思議だ。いや、単に和彦が、千尋に対して甘いだけかもしれない。
「先生、もっとゆっくり湯に浸かればいいのに」
「……お前がまとわりついてくるから、湯あたりしそうになるんだ」
「俺が介抱するけど?」
「そんなこと言って、何されるかわかったものじゃないから、遠慮する」
連休の間、どれだけ千尋に我慢を強いていたのか、和彦は今日、身をもって知った気がする。とにかく普段以上に、千尋のスキンシップが激しい。ベッドに移動して、さんざん快感を貪り合ったあとも、しばらく離してもらえなかったうえに、風呂まで一緒に入ることになったぐらいだ。
この様子だと、今夜は泊まっていくつもりだろう。長嶺の男たちの〈オンナ〉である和彦には、そのことで文句を言うつもりはないが、多少心配にもなってくるのだ。自分は、長嶺組の跡目を甘やかしすぎているのではないか、と。
「夕飯は外に食べに行くんだろ? まだ時間はあるから、お前はのんびり湯に浸かっていていいぞ。その間ぼくは――」
寝室の片付けをする、という言葉を寸前のところで呑み込む。首を傾げた千尋を一瞥して、逃げるように脱衣所を出た。
和彦は、情交の痕跡が生々しく残る寝室に入ると、シーツを剥ぎ取るだけではなく、汚れた床も手早く掃除する。千尋が場所を選ばず行為に及んだせいで、と責めるつもりはない。結局のところ、受け入れてしまった和彦も同罪なのだ。
寝室の空気を入れ替えるため、窓を開ける。入り込んできた風が、風呂上がりなのと、それ以外の理由で火照った体には気持ちいい。
すっかり見慣れたマンションから見渡せる街中の景色を眺めていると、ほんの数日前まで、自然に囲まれた別荘でのんびり過ごしていたことが、ずいぶん懐かしく感じられる。そのくせ、ともに過ごした三田村のぬくもりや感触などは、今でも鮮やかに思い返せるのだ。
千尋に甘えられた直後に、別の男のことを考えるのはさすがに気が咎める。我に返った和彦は、洗面室のランドリーバスケットにシーツを丸めて放り込んでから、ダイニングに向かおうとする。
ドアを開けたままにしておいた書斎の前を通りかかったとき、携帯電話の着信音が聞こえ、ドキリとして足を止める。特定の相手――里見との連絡にしか使っていない携帯電話の着信音だったからだ。
一瞬感じたのは、違和感だった。
里見は、和彦の置かれている状況がわからないからこそ、よく気をつかってくれる。電話をかけてくるにしても、事前にメールで、許可を求めてくるぐらいだ。その里見が、日曜日の午後に唐突に電話をかけてきたのだ。何事かあったのだろうかと、つい考えてしまう。
バスルームのほうの気配をうかがった和彦は、咄嗟に書斎に入ってドアを閉めていた。
慌ててデスクに歩み寄り、携帯電話を取り上げる。表示されているのは、見知らぬ番号だった。和彦の中で違和感はますます強くなり、それはもう、危機感と呼んでも間違いではないだろう。
電話に出たくないと痛烈に思ったが、電源を切ってしまうのも怖くて、結局和彦は、見えない力に従わされるように電話に出ていた。
いつもなら、和彦を安心させるように名を呼んでくれる里見だが、電話の向こうから聞こえてくるのは沈黙だった。微かに喉を上下させ、ようやく和彦は声を発する。
「もしもし……」
『――久しぶりだな、和彦』
淡々とした言葉が、スッと耳の奥に突き刺さる。感情というものを一切排した、冷たいというより無機質な声だった。
心が凍てつくような感覚に数瞬襲われたが、すぐにその反動のように、押し寄せてきた感情の渦に体の内と外を揺さぶられる。たまらず和彦はデスクに片手をつき、体を支えていた。
「兄、さん……」
どうしてこの電話の番号を、と問いかけようとしたが、考えられることは一つだ。胸を過ったのは、裏切られたという思いだった。
「……里見さんが……」
『あの人は、昔からお前に甘い。そして、今でもお前の保護者のつもりでいる。わたしや父さんが、何度尋ねても、頑としてお前の連絡先を教えてくれない。和彦くんの置かれた状況がわからない以上、こちらが下手に動けば、彼が危ない目に遭うかもしれない――と必死になって言っていたな』
「だったらどうして、この番号がわかったんだ」
『仕事で顔を合わせたときに、里見さんの携帯電話を盗み見た。アドレス帳に、意味ありげに〈K〉と登録されていたから、すぐにピンときた。適当な偽名をつけておけばいいものを、それができないのが、あの人の優しさ……甘さだろうな」
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