血と束縛と

北川とも

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第26話

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 今回の別荘の滞在で、中嶋は世話係として本当にうってつけの人材だと、改めて感心する。一応、一人暮らし歴は長かったため、料理以外のことはソツなくこなせる和彦だが、三田村も中嶋も、器用さとマメさのレベルが違う。
「君と三田村が側にいると、ぼくは一人暮らしでなんの経験を積んできたのか、という気になる……」
 和彦の言葉に、中嶋は楽しげに声を上げて笑いながら、針に餌をつける。釣り竿を差し出されたので仕方なく受け取ると、無様な姿勢で湖に向けて仕掛けを投げた。
「――先生は、それでいいんですよ。てきぱきと患者を治療して、クリニックの切り盛りまでして、そのうえ家事まで完璧にこなされると、世話を焼く人間がつまらない。少しぐらい隙があるほうが、かえって周囲から愛されるものです」
 だったら自分は隙だらけだなと言いかけた和彦だが、それがとんでもなく自惚れた発言になることに気づく。寸前のところで別の言葉に言い換えた。
「周囲にいるのがデキる男ばかりで、たっぷり甘やかされてるよ」
 和彦の背後で中嶋が、クスッと笑い声を洩らした。もしかすると三田村も、唇を緩めるぐらいはしたかもしれないが、浮きの動きに集中する和彦には、そこまで確かめる余裕はなかった。


 開けた窓から入ってくる風があまりに心地よくて、スリッパを脱いだ和彦はベッドに転がる。そこで視界に飛び込んできたのは、ゆっくりと雲が流れていく青空と、緑豊かな山々だ。
 ぼんやりと眺めていると、日ごろの多忙さや、自分の厄介な立場すらも遠いことのように思えてくる。今こうしてのんびりできるのは、その多忙さや、厄介な立場があってこそのものなのだが。
 マンションの部屋の工事は進んでいるだろうかと、ふと気になった和彦は、寝返りを打った勢いで起き上がり、ナイトテーブルに置いた携帯電話に手を伸ばそうとする。このとき、部屋の前に立っている中嶋に気づいた。一方の中嶋も、驚いたように目を丸くしている。
「……すみません。ドアが開いていたので」
「風通しがよくなるから、開けておいたんだ。さすがに知らない人間がウロウロしているなら気をつかうが、そうじゃないしな」
 和彦がベッドに座り直すと、中嶋が部屋に入ってくる。
「上着を置いてくると言って二階に上がったのに、なかなか戻ってこないので、何かあったのかと様子を見にきただけなんです」
「ああ、いや――」
 和彦は窓のほうに目をやり、照れ臭さを笑って誤魔化す。
「あんまり気持ちいいから、横になってみたんだ。で、マンションの部屋はどうなっているか気になって、聞いてみようかと……」
 ここで二人の視線が、ナイトテーブルの上に注がれる。すかさず中嶋が疑問を口にした。
「携帯電話、二台持ち歩いているんですね。前からそうでした?」
「……持ち始めたのは、最近だ。別に、珍しくないだろ。ぼくが知る限り、組の人間は一人で何台も持っている」
「まあ、俺たちは、組織用にシノギ用、プライベート用とかいって、なんだかんだで携帯を使い分ける必要がありますから。でも先生の場合、どう使い分けているのか、興味がありますね」
 中嶋がさりげなく隣に腰掛け、興味津々といった様子で二台の携帯電話を見つめる。頭の中では、総和会の人間らしい計算も働かせているのだろう。長嶺組に出入りして、着々と独自のポジションを確立している中嶋にとって、和彦の情報は使える手札のはずだ。
 が、ここで中嶋を警戒するぐらいなら、そもそも和彦はこの、元ホストで野心家の青年と親しくなったりはしなかった。
 和彦は一台の携帯電話を取り上げる。
「この携帯電話は、たった一人の人間との連絡用に、組長が用意してくれたんだ」
「誰ですか?」
「――昔の男。お互い、切るに切れないしがらみがあって、最近になって連絡を取り合う必要ができたんだ」
 少し前に、長嶺組の本宅に彫り師が呼ばれた情報を掴んでいたという中嶋だが、そのきっかけとなったのが、和彦が今話している男の存在だとは、さすがに想像が及ばないだろう。もちろん和彦としても、余計な情報を与えるつもりはなかった。
 いろいろと尋ねたいところをぐっと呑み込んだ表情で、中嶋がこう洩らす。
「本当に、いろいろありますね、先生は」
「元ホストの君にそう言われると、なんだか複雑だ……」
「俺は結局、仕事でしたからね。色恋だなんだといっても。でも先生の場合、生き方、ってやつでしょう。厄介で物騒な男たちの事情に雁字搦めになって、大事にされて、逃げられなくて」
 ほろ苦い笑みを洩らしつつ、携帯電話を操作した和彦は、連休に入る前に届いた里見からのメールを読み返す。

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