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第26話
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かつてペンションだったという建物は、そこかしこにその名残りがある。食器の数だけではなく、そもそも部屋数が多いし、風呂も大きい。立地的には、ほどよく隠れ家と呼べる場所にあり、総和会が人を集めるのに利用しているのも、こういったところが使い勝手がいいためだろう。
「……悪党の巣窟、か……」
さきほど三田村から聞いた言葉を、無意識に和彦も呟く。賢吾のことなので、三田村に話しながら、自虐とも皮肉ともとれる表情を浮かべていたかもしれない。
和彦に気づいた中嶋が、皿をテーブルに置いて声をかけてきた。
「先生、コーヒーを飲みませんか? コーヒー豆を買ってきたんですよ」
「だったら、ぼくが淹れる。君はその間に、自分の仕事をしてくれ」
脱いだジャケットをイスにかけると、さっそく和彦はキッチンに入り、コーヒーメーカーを使ってコーヒーを淹れる。
三田村の分はサーバーに残し、コーヒーを注いだ二つのカップを持ってダイニングに戻ると、中嶋は皿にお菓子を出しているところだった。
「準備がいいな」
「先生のお世話係ですからね、俺は。なんでも言ってください」
和彦は苦笑を洩らしてテーブルにつく。
「適当でいいよ。手を抜かれたなんて、誰かに告げ口するつもりはないから」
「さらりと怖いこと言わないでくださいよ、先生」
中嶋が隣に座り、同じタイミングでコーヒーを啜る。ほっと吐息を洩らした和彦は、高い天井を見上げた。
「なんだか、寂しいな。こんなに広い別荘を、三人で使うなんて」
「だからといって、総和会と長嶺組からぞろぞろと護衛を引き連れて、泊まる気にもなれないでしょう?」
「まあ……。贅沢を言ってるな。みんな気をつかってくれたことなのに」
「同じぐらい、思惑はあると思いますよ」
中嶋から意味ありげな流し目を寄越され、和彦は顔をしかめる。
「……何か、聞いているのか?」
「長嶺組長からは何も。さっき言ったとおり、別荘に滞在する間のお世話係を頼まれただけです。それと南郷さんからは、先生を楽しませてやれと言われて、送り出されました」
嫌な言い方だと、心の中で呟く。南郷の余計な報告で、こんな事態になったのかもしれないと、八つ当たりにも近い気持ちもあるのだ。
「先生としては、三田村さんと二人きりで過ごしたかったでしょうが、我慢してください。お邪魔しないよう、気を配りますから」
和彦は頬の辺りが熱くなるのを感じながら、つい弁解していた。
「さっき外に出たのは、別に君の存在を疎んじたからじゃないぞ。純粋に、外の空気が吸いたかったからだ」
「でも、なんだか深刻な様子で話していたようですけど――」
思いきり目を丸くした和彦をからかうでもなく、中嶋はキッチンのほうを指さす。
「気づきませんでしたか? ここのキッチンって、庭に面しているんですよ。少し窓を開けていたせいで、なんとなく会話が聞こえていました。もちろん、聞き耳を立てるような悪趣味なことはしていません」
「……聞く気はないけど、聞こえたんだな」
中嶋が悪びれたふうもなく頷く。つい苦い表情となった和彦だが、次の瞬間には重々しいため息をつき、テーブルに頬杖をついた。
「ヤクザに対して使う言葉としてどうかと思うが、三田村は誠実で優しいんだ」
「あくまで、先生に対してだけ、ですけどね」
茶々を入れる中嶋を軽く睨みつけて、もう一口コーヒーを飲む。
「さっき話していて、そういう三田村につけ込んで、振り回している自分が嫌になった。優しいあの男なら、自分が欲しい言葉を言ってくれるとわかったうえで、試すような質問もした」
「ホスト時代、客としょっちゅう、そんなやり取りをしていましたよ。お互い、わかったうえで。それは商売だからだろ、と言わないでくださいね。ホストと客と、お互いを引きとめておくために必要なやり取りです」
「普通の恋人同士だって、そういうことはあるだろう……」
「先生と三田村さんは、恋人同士じゃない。だからといって金銭が絡んでもいない。複雑な事情に雁字搦めになった中で結びついている関係だ。先生は奔放で性質が悪い〈オンナ〉で、一方の三田村さんは、組織にも先生にも忠実な〈犬〉。どうしたって、三田村さんのほうが分が悪い」
「だからなおさら……、自分が嫌になるんだ」
三田村と関係を持つということは、本来は重いことなのだ。しかし、関係を深めていくうちに、その切実さが和彦の中でどんどん薄れていたのかもしれない。ただ、三田村は違う。
和彦の身を鷹津が守ったということに対して、三田村は『嫌な気持ち』と表現したが、自惚れでもなんでもなく、それは嫉妬という感情だと和彦は考える。そうであってほしいという願望も込めて。
「……悪党の巣窟、か……」
さきほど三田村から聞いた言葉を、無意識に和彦も呟く。賢吾のことなので、三田村に話しながら、自虐とも皮肉ともとれる表情を浮かべていたかもしれない。
和彦に気づいた中嶋が、皿をテーブルに置いて声をかけてきた。
「先生、コーヒーを飲みませんか? コーヒー豆を買ってきたんですよ」
「だったら、ぼくが淹れる。君はその間に、自分の仕事をしてくれ」
脱いだジャケットをイスにかけると、さっそく和彦はキッチンに入り、コーヒーメーカーを使ってコーヒーを淹れる。
三田村の分はサーバーに残し、コーヒーを注いだ二つのカップを持ってダイニングに戻ると、中嶋は皿にお菓子を出しているところだった。
「準備がいいな」
「先生のお世話係ですからね、俺は。なんでも言ってください」
和彦は苦笑を洩らしてテーブルにつく。
「適当でいいよ。手を抜かれたなんて、誰かに告げ口するつもりはないから」
「さらりと怖いこと言わないでくださいよ、先生」
中嶋が隣に座り、同じタイミングでコーヒーを啜る。ほっと吐息を洩らした和彦は、高い天井を見上げた。
「なんだか、寂しいな。こんなに広い別荘を、三人で使うなんて」
「だからといって、総和会と長嶺組からぞろぞろと護衛を引き連れて、泊まる気にもなれないでしょう?」
「まあ……。贅沢を言ってるな。みんな気をつかってくれたことなのに」
「同じぐらい、思惑はあると思いますよ」
中嶋から意味ありげな流し目を寄越され、和彦は顔をしかめる。
「……何か、聞いているのか?」
「長嶺組長からは何も。さっき言ったとおり、別荘に滞在する間のお世話係を頼まれただけです。それと南郷さんからは、先生を楽しませてやれと言われて、送り出されました」
嫌な言い方だと、心の中で呟く。南郷の余計な報告で、こんな事態になったのかもしれないと、八つ当たりにも近い気持ちもあるのだ。
「先生としては、三田村さんと二人きりで過ごしたかったでしょうが、我慢してください。お邪魔しないよう、気を配りますから」
和彦は頬の辺りが熱くなるのを感じながら、つい弁解していた。
「さっき外に出たのは、別に君の存在を疎んじたからじゃないぞ。純粋に、外の空気が吸いたかったからだ」
「でも、なんだか深刻な様子で話していたようですけど――」
思いきり目を丸くした和彦をからかうでもなく、中嶋はキッチンのほうを指さす。
「気づきませんでしたか? ここのキッチンって、庭に面しているんですよ。少し窓を開けていたせいで、なんとなく会話が聞こえていました。もちろん、聞き耳を立てるような悪趣味なことはしていません」
「……聞く気はないけど、聞こえたんだな」
中嶋が悪びれたふうもなく頷く。つい苦い表情となった和彦だが、次の瞬間には重々しいため息をつき、テーブルに頬杖をついた。
「ヤクザに対して使う言葉としてどうかと思うが、三田村は誠実で優しいんだ」
「あくまで、先生に対してだけ、ですけどね」
茶々を入れる中嶋を軽く睨みつけて、もう一口コーヒーを飲む。
「さっき話していて、そういう三田村につけ込んで、振り回している自分が嫌になった。優しいあの男なら、自分が欲しい言葉を言ってくれるとわかったうえで、試すような質問もした」
「ホスト時代、客としょっちゅう、そんなやり取りをしていましたよ。お互い、わかったうえで。それは商売だからだろ、と言わないでくださいね。ホストと客と、お互いを引きとめておくために必要なやり取りです」
「普通の恋人同士だって、そういうことはあるだろう……」
「先生と三田村さんは、恋人同士じゃない。だからといって金銭が絡んでもいない。複雑な事情に雁字搦めになった中で結びついている関係だ。先生は奔放で性質が悪い〈オンナ〉で、一方の三田村さんは、組織にも先生にも忠実な〈犬〉。どうしたって、三田村さんのほうが分が悪い」
「だからなおさら……、自分が嫌になるんだ」
三田村と関係を持つということは、本来は重いことなのだ。しかし、関係を深めていくうちに、その切実さが和彦の中でどんどん薄れていたのかもしれない。ただ、三田村は違う。
和彦の身を鷹津が守ったということに対して、三田村は『嫌な気持ち』と表現したが、自惚れでもなんでもなく、それは嫉妬という感情だと和彦は考える。そうであってほしいという願望も込めて。
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