血と束縛と

北川とも

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第26話

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 車から降りた和彦は、警戒しながら南郷に歩み寄る。マンション前に花束を持って立っていて、和彦以外の人間を待っているとは考えにくい。知らん顔をして通りすぎるなど不可能だった。
 それに――、和彦よりも先に状況を把握したのだろう。鷹津までもが歩道脇に車を停めて降り、険のある視線を前方に向ける。目を凝らしてみてみると、街灯の明かりを避けるようにして車が一台停まっていた。
「大丈夫だ。あれは、うちの隊の人間だ。佐伯先生の見舞いに行くと言ったら、何を心配したんだか、ついてきたんだ」
 声を荒らげているわけでもないのに、南郷の声は夜の空気を震わせる。和彦はハッとして、再び南郷を見た。
「……見舞いって、なんのことですか……?」
「襲われたと聞いた」
「誰がそんなことを言ったのか知りませんが、ぼくはこの通り、なんともありません」
 和彦は、南郷が持っている花束を渡されたくない一心で、冷ややかに言い放つ。一方の南郷は、和彦の反応を楽しんでいるかのように口元を緩めた。
 夜ということもあり、人通りはほとんどないのだが、それでも、マンションを出入りする人間に、明らかに堅気ではない男と話している場面を見られたくない。
 和彦が半ば強引に会話を打ち切ろうとしたところで、嫌なタイミングで南郷が切り出した。
「――長嶺組の動きが慌ただしいという報告だけは、すぐに耳に入っていたんだ。だが、一体何が起こったのか、総和会になかなか情報が上がってこなかった。見舞いが遅くなったのは、そういう理由からだ」
「長嶺組と総和会の情報のやり取りについては、ぼくにはなんとも……。連絡役になっているのは、中嶋くんでは?」
「もちろん、長嶺組の本宅に中嶋を向かわせた。が、何も知らされず、聞いたところで答えをはぐらかされたようだ」
 それなのに南郷は、襲撃の件も、その場に和彦がいたという事実も把握している。どうやって知ったのか、と考えてまっさきに頭に浮かんだのは、秦の存在だ。秦と中嶋の関係を思えば、情報のやり取りが皆無とも考えにくい。
 しかし、和彦の心の内を読んだように、すかさず南郷に言われた。
「秦静馬という男の後ろ盾になっているのは、長嶺組だ。余計なことを言うなと釘を刺されれば、どんなおしゃべりな人間でも無口になる。頭の切れる男なら、なおさらだ。――かつてのホスト仲間とはいっても、中嶋も秦から聞きだすのは無理だったようだ」
 南郷がわずかに腰を屈め、和彦の顔を覗き込んでくる。
「まあ、総和会に首を突っ込まれたくない長嶺組なりに、配慮した結果だろう。だからといって、遊撃隊なんてものを率いている身としては、知らん顔もできないから、俺なりに手を回した。襲撃された店にあんたもいたと知って、オヤジさんも心配していた」
 守光の話題に和彦は、肩を揺らす。目の錯覚かもしれないが、南郷の唇の端が微かに動いた気がした。
「俺がこうして、似合わない花束を持ってきたんだ。受け取ってくれるだろ、先生」
「……これを渡すために、待っていたんですか?」
「俺みたいなのが、あんたのクリニックを訪ねても歓迎してくれるなら、そうしてもよかったが」
 無造作に突き出された花束を、仕方なく受け取る。黄色のチューリップを、白色の小花で彩っているごく普通の花束で、豪華で目立つことに美徳を見出す裏の世界の男にしては、この選択は珍しいともいえる。
 和彦が花束からちらりと視線を上げると、あっさりと南郷は告白した。
「前にあんたに誕生日プレゼントを渡したとき、ひどく迷惑がられたからな。俺は趣味が悪いんだと思って、花屋に任せた」
 なるほど、と心の中で呟いた和彦は、南郷に慇懃に頭を下げる。
「ありがとうございます。――失礼します」
 今度こそ会話を打ち切ろうとしたが、和彦を威圧するように南郷が距離を縮めてくる。本能的な怯えから身をすくめると、背後から肩を掴まれ引き寄せられた。いつの間にか和彦の傍らに立っていた鷹津が、無機質な目で南郷を見据える。南郷は、ニヤリと笑った。
「お宅とは、まだ寒かったときに、ここで会った記憶がある。……確か、警察の人間だったな」
「とぼけるな。俺が刑事どころか、所属も階級も、名前すらも調べ上げてるんだろ。総和会の人間なら、それぐらい容易いはずだ」
 鷹津は、表面上の落ち着きとは裏腹に、殺気立っていた。鷹津を〈嫌な男〉として表現することがほとんどの和彦だが、このときだけは、〈怖い男〉だと思った。いや、そもそも鷹津は最初から、そういう存在だったのだ。ただ、普段から怖い男たちに囲まれている和彦の感覚が、麻痺しているだけだ。
 スラックスのポケットに片手を突っ込んだ南郷が、芝居がかった仕種で肩をすくめる。
「そう、凄まんでくれ。――鷹津さん」

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