575 / 1,268
第26話
(3)
しおりを挟む
「聞くまでもないだろう。――返事は、ギリギリまで引っ張ればいい。オヤジの腹の内が、もしかすると読めるかもしれない」
それしか打てる手はないのかと、和彦は小さくため息をつく。すかさず賢吾に言われた。
「物騒な男に気に入られると、物騒なことに事欠かないな、先生」
「他人事だと思って……」
自棄酒というわけではないが、和彦はグラスのワインを飲み干す。
『物騒なこと』という話題の流れから、秦の店を襲撃した男たちのことを聞いてみたい衝動に駆られたが、守光の話題が出たことで、軽々しい好奇心は慎むべきだと思い直した。三日前の秦との電話でのやり取りがなければ、危うく口に出していたかもしれない。
自らが踏み込めない領域について、あれこれと思索する和彦とは対照的に、秘密すら踏み散らすような無粋ぶりで賢吾が切り出した。
「鷹津には、美味い餌を食わせてやったか?」
和彦は咄嗟に言葉が出なかった。激しい動揺と羞恥で一気に顔が熱くなったが、賢吾の向けてくる冴えた眼差しに首筋は冷たくなるという感覚を、同時に味わう。
賢吾は今日まで、怪我をした鷹津とどう過ごしたか、和彦に一切尋ねてはこなかった。二人の間に何があったかは想像するまでもなく、だからこそ賢吾は知る気がなかったのだろうと解釈していたが、どうやら違ったようだ。
和彦が逃げられない状況になるまで、虎視眈々と機会を狙っていたのだ。
「――……餌はやった」
「自分が切りつけられながらも、先生を守ったんだ。俺が思った通り、あいつは態度は悪いが、優秀な番犬だ」
「何日かは利き手が使いにくくて、不便だろうな」
「通って面倒を見るか?」
冗談めかした口調とは裏腹に、ヒヤリとするような感覚が和彦を襲う。賢吾が、鷹津のことを話す自分の反応を観察していると感じ取り、警戒していた。
「ぼくはそこまで甲斐甲斐しくない。……ただ、傷の具合を診る必要があるから、夜、クリニックに足を運んでもらうことになる」
慎重に言葉を選んで話した和彦は、賢吾の反応をうかがう。
「その顔は、俺の許可を求めているのか?」
「こそこそと呼んで、罪悪感を持ちたくない」
「男絡みの罪悪感に苛まれる先生を眺めるのは、俺は好きだぜ。だがまあ、好きにしろ。あれは、先生の犬だ」
和彦は安堵し、野菜のスープを口に運ぶ。その間も、賢吾の視線を感じていた。最初は気づかないふりをしていたが、顔を上げないふりを続けるのも限界で、たまらず上目遣いに賢吾を見る。
「……なんだ?」
「妙に艶めいているなと思ってな。鷹津の相手をたっぷりしたせいか、それとも――他に男絡みの罪悪感を抱えているのか……」
大蛇の慧眼は怖いと、いまさらながら思い知らされる。和彦の脳裏に浮かんだのは、当然南郷の顔だ。ただし、賢吾が言うような艶かしい気持ちは一切ない。
和彦は顔を強張らせ、吐き出すように答えた。
「今は言いたくない」
「俺相手に、堂々と隠し事をするという宣言か」
「口にしたくないんだ、……まだ。あんたは、ぼくの口を無理やり割らせることもできるから、今すぐどうしても聞きたいなら、そうすればいい」
賢吾は大仰に肩をすくめる。
「なんだ、先生。俺相手に駆け引きか」
「そういうつもりじゃ……。ただ、ぼくの中でまだ気持ちも状況も、整理できてないんだ。軽はずみなことを言って、何かが起きるのが怖い」
「――先生の気を引こうとして、ちょっかいをかける男がいたか?」
和彦は曖昧な表情を浮かべると、再び夜景へと視線を向ける。和彦のこの反応で十分だったのか、賢吾はそれ以上問い詰めてはこなかった。
ただし和彦にとっては、賢吾のこの反応こそが怖くてたまらないのだが――。
座椅子に座った和彦は、浴衣の上から自分の肩を揉む。夜景を眺めながら、美味しい夕食を味わっていたはずなのだが、途中から賢吾の反応が気になって仕方なく、デザートを食べ終えたときにはすっかり肩が凝っていた。
さらに、今夜は本宅に泊まれと言われれば、どうしても緊張してしまう。
食事の最中、自分が口にした言葉を思い返し、和彦は痛いほどの後悔を噛み締めていた。賢吾に対してあからさまな隠し事を匂わせたうえで、勢いとはいえ、挑発的なことを言ってしまったのだ。賢吾は、和彦を痛めつけるような真似はしないだろうが、無理やり口を割らせる手段は一つではない。
ため息をつこうとしたとき、廊下を歩いてくる足音が聞こえ、反射的に姿勢を正す。振り返ると同時に障子が開き、浴衣の上から茶羽織を肩にかけた賢吾が姿を現した。
「なんだ。茶ぐらい頼んで、寛いでいるのかと思ったのに、ただじっと座っていたのか」
座卓の上をちらりと見て、賢吾が口元を緩める。
それしか打てる手はないのかと、和彦は小さくため息をつく。すかさず賢吾に言われた。
「物騒な男に気に入られると、物騒なことに事欠かないな、先生」
「他人事だと思って……」
自棄酒というわけではないが、和彦はグラスのワインを飲み干す。
『物騒なこと』という話題の流れから、秦の店を襲撃した男たちのことを聞いてみたい衝動に駆られたが、守光の話題が出たことで、軽々しい好奇心は慎むべきだと思い直した。三日前の秦との電話でのやり取りがなければ、危うく口に出していたかもしれない。
自らが踏み込めない領域について、あれこれと思索する和彦とは対照的に、秘密すら踏み散らすような無粋ぶりで賢吾が切り出した。
「鷹津には、美味い餌を食わせてやったか?」
和彦は咄嗟に言葉が出なかった。激しい動揺と羞恥で一気に顔が熱くなったが、賢吾の向けてくる冴えた眼差しに首筋は冷たくなるという感覚を、同時に味わう。
賢吾は今日まで、怪我をした鷹津とどう過ごしたか、和彦に一切尋ねてはこなかった。二人の間に何があったかは想像するまでもなく、だからこそ賢吾は知る気がなかったのだろうと解釈していたが、どうやら違ったようだ。
和彦が逃げられない状況になるまで、虎視眈々と機会を狙っていたのだ。
「――……餌はやった」
「自分が切りつけられながらも、先生を守ったんだ。俺が思った通り、あいつは態度は悪いが、優秀な番犬だ」
「何日かは利き手が使いにくくて、不便だろうな」
「通って面倒を見るか?」
冗談めかした口調とは裏腹に、ヒヤリとするような感覚が和彦を襲う。賢吾が、鷹津のことを話す自分の反応を観察していると感じ取り、警戒していた。
「ぼくはそこまで甲斐甲斐しくない。……ただ、傷の具合を診る必要があるから、夜、クリニックに足を運んでもらうことになる」
慎重に言葉を選んで話した和彦は、賢吾の反応をうかがう。
「その顔は、俺の許可を求めているのか?」
「こそこそと呼んで、罪悪感を持ちたくない」
「男絡みの罪悪感に苛まれる先生を眺めるのは、俺は好きだぜ。だがまあ、好きにしろ。あれは、先生の犬だ」
和彦は安堵し、野菜のスープを口に運ぶ。その間も、賢吾の視線を感じていた。最初は気づかないふりをしていたが、顔を上げないふりを続けるのも限界で、たまらず上目遣いに賢吾を見る。
「……なんだ?」
「妙に艶めいているなと思ってな。鷹津の相手をたっぷりしたせいか、それとも――他に男絡みの罪悪感を抱えているのか……」
大蛇の慧眼は怖いと、いまさらながら思い知らされる。和彦の脳裏に浮かんだのは、当然南郷の顔だ。ただし、賢吾が言うような艶かしい気持ちは一切ない。
和彦は顔を強張らせ、吐き出すように答えた。
「今は言いたくない」
「俺相手に、堂々と隠し事をするという宣言か」
「口にしたくないんだ、……まだ。あんたは、ぼくの口を無理やり割らせることもできるから、今すぐどうしても聞きたいなら、そうすればいい」
賢吾は大仰に肩をすくめる。
「なんだ、先生。俺相手に駆け引きか」
「そういうつもりじゃ……。ただ、ぼくの中でまだ気持ちも状況も、整理できてないんだ。軽はずみなことを言って、何かが起きるのが怖い」
「――先生の気を引こうとして、ちょっかいをかける男がいたか?」
和彦は曖昧な表情を浮かべると、再び夜景へと視線を向ける。和彦のこの反応で十分だったのか、賢吾はそれ以上問い詰めてはこなかった。
ただし和彦にとっては、賢吾のこの反応こそが怖くてたまらないのだが――。
座椅子に座った和彦は、浴衣の上から自分の肩を揉む。夜景を眺めながら、美味しい夕食を味わっていたはずなのだが、途中から賢吾の反応が気になって仕方なく、デザートを食べ終えたときにはすっかり肩が凝っていた。
さらに、今夜は本宅に泊まれと言われれば、どうしても緊張してしまう。
食事の最中、自分が口にした言葉を思い返し、和彦は痛いほどの後悔を噛み締めていた。賢吾に対してあからさまな隠し事を匂わせたうえで、勢いとはいえ、挑発的なことを言ってしまったのだ。賢吾は、和彦を痛めつけるような真似はしないだろうが、無理やり口を割らせる手段は一つではない。
ため息をつこうとしたとき、廊下を歩いてくる足音が聞こえ、反射的に姿勢を正す。振り返ると同時に障子が開き、浴衣の上から茶羽織を肩にかけた賢吾が姿を現した。
「なんだ。茶ぐらい頼んで、寛いでいるのかと思ったのに、ただじっと座っていたのか」
座卓の上をちらりと見て、賢吾が口元を緩める。
35
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる