血と束縛と

北川とも

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第26話

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「聞くまでもないだろう。――返事は、ギリギリまで引っ張ればいい。オヤジの腹の内が、もしかすると読めるかもしれない」
 それしか打てる手はないのかと、和彦は小さくため息をつく。すかさず賢吾に言われた。
「物騒な男に気に入られると、物騒なことに事欠かないな、先生」
「他人事だと思って……」
 自棄酒というわけではないが、和彦はグラスのワインを飲み干す。
『物騒なこと』という話題の流れから、秦の店を襲撃した男たちのことを聞いてみたい衝動に駆られたが、守光の話題が出たことで、軽々しい好奇心は慎むべきだと思い直した。三日前の秦との電話でのやり取りがなければ、危うく口に出していたかもしれない。
 自らが踏み込めない領域について、あれこれと思索する和彦とは対照的に、秘密すら踏み散らすような無粋ぶりで賢吾が切り出した。
「鷹津には、美味い餌を食わせてやったか?」
 和彦は咄嗟に言葉が出なかった。激しい動揺と羞恥で一気に顔が熱くなったが、賢吾の向けてくる冴えた眼差しに首筋は冷たくなるという感覚を、同時に味わう。
 賢吾は今日まで、怪我をした鷹津とどう過ごしたか、和彦に一切尋ねてはこなかった。二人の間に何があったかは想像するまでもなく、だからこそ賢吾は知る気がなかったのだろうと解釈していたが、どうやら違ったようだ。
 和彦が逃げられない状況になるまで、虎視眈々と機会を狙っていたのだ。
「――……餌はやった」
「自分が切りつけられながらも、先生を守ったんだ。俺が思った通り、あいつは態度は悪いが、優秀な番犬だ」
「何日かは利き手が使いにくくて、不便だろうな」
「通って面倒を見るか?」
 冗談めかした口調とは裏腹に、ヒヤリとするような感覚が和彦を襲う。賢吾が、鷹津のことを話す自分の反応を観察していると感じ取り、警戒していた。
「ぼくはそこまで甲斐甲斐しくない。……ただ、傷の具合を診る必要があるから、夜、クリニックに足を運んでもらうことになる」
 慎重に言葉を選んで話した和彦は、賢吾の反応をうかがう。
「その顔は、俺の許可を求めているのか?」
「こそこそと呼んで、罪悪感を持ちたくない」
「男絡みの罪悪感に苛まれる先生を眺めるのは、俺は好きだぜ。だがまあ、好きにしろ。あれは、先生の犬だ」
 和彦は安堵し、野菜のスープを口に運ぶ。その間も、賢吾の視線を感じていた。最初は気づかないふりをしていたが、顔を上げないふりを続けるのも限界で、たまらず上目遣いに賢吾を見る。
「……なんだ?」
「妙に艶めいているなと思ってな。鷹津の相手をたっぷりしたせいか、それとも――他に男絡みの罪悪感を抱えているのか……」
 大蛇の慧眼は怖いと、いまさらながら思い知らされる。和彦の脳裏に浮かんだのは、当然南郷の顔だ。ただし、賢吾が言うような艶かしい気持ちは一切ない。
 和彦は顔を強張らせ、吐き出すように答えた。
「今は言いたくない」
「俺相手に、堂々と隠し事をするという宣言か」
「口にしたくないんだ、……まだ。あんたは、ぼくの口を無理やり割らせることもできるから、今すぐどうしても聞きたいなら、そうすればいい」
 賢吾は大仰に肩をすくめる。
「なんだ、先生。俺相手に駆け引きか」
「そういうつもりじゃ……。ただ、ぼくの中でまだ気持ちも状況も、整理できてないんだ。軽はずみなことを言って、何かが起きるのが怖い」
「――先生の気を引こうとして、ちょっかいをかける男がいたか?」
 和彦は曖昧な表情を浮かべると、再び夜景へと視線を向ける。和彦のこの反応で十分だったのか、賢吾はそれ以上問い詰めてはこなかった。
 ただし和彦にとっては、賢吾のこの反応こそが怖くてたまらないのだが――。


 座椅子に座った和彦は、浴衣の上から自分の肩を揉む。夜景を眺めながら、美味しい夕食を味わっていたはずなのだが、途中から賢吾の反応が気になって仕方なく、デザートを食べ終えたときにはすっかり肩が凝っていた。
 さらに、今夜は本宅に泊まれと言われれば、どうしても緊張してしまう。
 食事の最中、自分が口にした言葉を思い返し、和彦は痛いほどの後悔を噛み締めていた。賢吾に対してあからさまな隠し事を匂わせたうえで、勢いとはいえ、挑発的なことを言ってしまったのだ。賢吾は、和彦を痛めつけるような真似はしないだろうが、無理やり口を割らせる手段は一つではない。
 ため息をつこうとしたとき、廊下を歩いてくる足音が聞こえ、反射的に姿勢を正す。振り返ると同時に障子が開き、浴衣の上から茶羽織を肩にかけた賢吾が姿を現した。
「なんだ。茶ぐらい頼んで、寛いでいるのかと思ったのに、ただじっと座っていたのか」
 座卓の上をちらりと見て、賢吾が口元を緩める。

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