血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
567 / 1,268
第25話

(23)

しおりを挟む
 和彦の周囲を流れていた空気が一気に凍りつき、目の前に座っている秦が顔を強張らせる。そこまでを認識したときには、世界が一変した。
 寸前まで隣に座っていた鷹津がいつの間にか立ち上がり、体が震えるような怒声を発する。テーブルの上の食器を掴んだかと思うと、ホールの中央に向かって投げつける。同時に秦がテーブルを乗り越えながら、スーツのジャケットから何かを取り出す。ちらりと見えた銀色の冷たく輝く刃が、和彦の網膜にしっかりと焼きついた。
「佐伯っ、伏せてろっ」
 鷹津に怒鳴られて、ぐいっと頭を押さえつけられる。和彦はソファの上に倒れ込んだが、そのまま体が硬直し、動けなくなった。
 その間、鼓膜に突き刺さるようなガラスの割れる音と、重々しい衝撃音が響き、そこに男たちの罵声や、威嚇する声が入り乱れる。ずいぶん長い間続いていたような気がするが、もしかすると一分ほどのことだったかもしれない。とにかく和彦は、身動きどころか瞬きもできず、ただ、壁を凝視していた。
「――生きてるか」
 再び頭上から鷹津の声がする。ハッと我に返った和彦は、大きく息を吸い込む。すぐには身動きができないでいると、正面に回り込んできた秦に顔を覗き込まれた。店内がただならぬ状況にあったのは、秦のまだ強張った顔を見ればわかった。
「怪我はないですか、先生?」
 そう問いかけられて、手を差し出される。秦の手を取って体を起こそうとした和彦だが、男の怒声が聞こえて、大きく身を震わせ、怯える。秦がようやく微笑を浮かべ、耳元で囁いた。
「もう大丈夫ですよ。押さえましたから」
 和彦はぎこちなく体を起こし、背後を振り返る。凄惨ともいえる光景が、そこにはあった。
 ホールの床の上に見たこともない男たち三人が倒れていた。一人は完全に気絶しており、もう一人は腕を抱えてのたうち回ろうとして、護衛の組員に肩を踏みつけられている。残る一人は、うつ伏せの姿勢で必死に顔を上げ、何かを喚いている。起き上がれないのは、もう一人の組員が背に座り込み、しっかりと腕を捻り上げているからだ。
 食器や酒瓶の破片が床に散乱しており、さらには点々と血が落ちている。それを見てドキリとした和彦は慌てて、秦や組員たちの様子を確認したが、一見して無傷に見えた。
 そして、もう一人――。
 店内を見回すと、鷹津はカウンターに寄りかかり、おしぼりで右手を拭いていた。安堵しかけた和彦だが、おしぼりが真っ赤に染まっていくのを見て、反射的に立ち上がる。
「先生っ、まだじっとして――」
 和彦を引きとめようと秦が手を伸ばしたが、それをすり抜け、慌てて鷹津の元に駆け寄る。鷹津は忌々しげに唇を歪め、和彦を一瞥した。
「……酒を飲むつもりで来たのに、まだ一口も飲めてねーぞ」
「人にタカってまで飲むなということだろ」
 いつもの調子で応じた和彦だが、声はわずかに震えを帯びていた。状況が呑み込めないまま、まだ激しく動揺している。
 それでも、鷹津の怪我を放っておくことはできず、秦に頼んでタオルを持ってきてもらう。
 鷹津のシャツの袖を捲り上げる。腕から手首にかけて、十センチほどざっくりと裂けて、そこから出血していた。どうやらナイフで切りつけられたようだ。
 傷口にタオルを押し当てて、まずは止血する。
「一体、何が起こったんだ」
 和彦が尋ねると、鷹津は軽くあごをしゃくり、どこかに電話をかけている秦を示した。
「多分、秦を狙った〈客〉だ。ここにヤクザも刑事もいるってのに、まっさきにあいつに向かって突っ込んできた」
 それを聞いた和彦は、あっ、と声を洩らしていた。
「どうした?」
「いや……、この間――」
 秦の護衛を一時期務めたことのある長嶺組の組員が、何日か前に襲われたことを話す。本来、こういう情報を他言するのは賢吾の許可をもらうべきなのだろうが、秦を狙った男たちのせいで負傷した鷹津を目の前にして、そういう理屈も振りかざせない。
「秦を狙っている奴は、よほどの阿呆か、ヤクザ相手に張り合えると、本気で思っている人間だな。例えば――外国人。最近は、外国人とつるんで仕事をする、日本人のチンピラもいるしな」
 意味ありげに、鷹津が和彦を見る。和彦は傷口にタオルをぐっと押し付けて、首を横に振った。
「ぼくは何も知らない。それに、あんたにしても、探ったところで仕方ないだろ。いるはずのない刑事が、犯行現場にいたんだ。同僚を呼んで、捜査をするのか?」
「……そうだ。俺は今晩は、美味い餌を食いに来ただけだ。刑事としての俺は、ここにはいなかった」

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

処理中です...