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第25話
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ちなみに、この店には現在、和彦を除いて三人の男がいる。秦と、和彦の護衛としてついている長嶺組の組員が二人だ。客もいないというのに、護衛の男たちは離れたテーブルにつき、和彦と同じように寿司を摘みながら、お茶を飲んでいる。秦はグレープフルーツジュースで、アルコールを飲んでいるのは、和彦だけだ。
賢吾が大げさに吹き込んだのかもしれないが、これではまるで、和彦の機嫌取りのためだけに、酒宴が設けられたようなものだ。
「……ぼくだけが飲んでいると、申し訳ないんだが……」
「大丈夫です。もうそろそろ、先生につき合える人が来るはずですよ」
えっ、と声を洩らした和彦に、気障ったらしく秦がウインクしてくる。
秦が誰を指して言ったのかは、十分ほどして判明した。
なんの前触れもなく店に入ってきた人物を見るなり、和彦より先に、護衛の組員が反応して立ち上がる。殺気立つことはなかったが、敵意に近い警戒心を露わにする。少し遅れて、和彦も立ち上がった。
黒のソリッドシャツにジーンズという、見慣れた格好をした鷹津が、ふてぶてしい表情でこちらを見て、ニヤリと笑う。蛇蝎の片割れに例えられる男らしい、嫌な笑い方だ。
「どうして……」
「――わたしが、声をかけたんですよ」
和彦が洩らした言葉に、秦が応じる。怪訝な顔をすると、座るよう促されたので、思わず従ってしまう。すると、当然のように鷹津が隣にドカッと腰を下ろし、和彦の肩に手をかけてきた。
「ようやく捕まえたぞ、佐伯」
鷹津の傲慢な物言いに、反発を覚えた和彦は睨みつける。ついでに、秦も。
「二人揃って、ぼくに対する嫌がらせか?」
鷹津は鼻先で笑い、秦はとんでもないといわんばかりに肩をすくめた。
「鷹津さんは、わたしの店の常連ですよ」
「ホストクラブのほうじゃないぞ。俺は、男に興味はない」
わざわざ念を押した鷹津を、和彦はもう一度睨みつける。嫌な男だ、と心の中で呟いたが、もしかすると声に出ていたかもしれない。和彦がどれだけ毒づこうが、鷹津の図太い神経に小さな傷すらつけられないだろう。
実際、鷹津は目の前で機嫌よさそうに笑っている。その理由に、嫌というほど和彦は心当たりがあった。
「……この男が来るとわかっていたら、ぼくは部屋から出なかった」
恨みがましく和彦が言うと、秦は困ったような顔をする。
「すみません。先生を誘ったあとで、鷹津さんから酒を飲ませろと連絡が入ったもので。先生の機嫌を直すなら、気心の知れた人がもう一人いてもいいかなと思ったんです」
和彦は冷めた視線を鷹津に投げかける。
「刑事のくせに、人にタカっているのか」
「失礼な奴だな。俺と秦は、持ちつ持たれつってやつだ。あれこれと目をつぶって、たまに情報を流してやっている代わりに、俺は美味い酒を飲ませてもらっている。――俺とお前の関係も、そうだろ」
鷹津に、意味ありげな手つきで頬をくすぐられる。その手を素っ気なく払い除けた和彦だが、頬が熱くなるのは抑えられなかった。
鷹津にまだ〈餌〉を与えていないことを、当然忘れてはいない。こうして顔を合わせた以上、何事もなく別れられるはずもなかった。それを裏付けるように、和彦の耳元に顔を寄せ、鷹津が囁いた。
「今日はきっちり、餌を食わせてもらうからな。時間がないというなら、ここのトイレに連れ込んでもかまわねーぞ」
「恥ずかしい男だなっ。ここで、そんなことを言わなくてもいいだろっ」
「なんだ。お前みたいな奴でも、体面なんてものを気にするのか。ろくでなしが勢揃いしているこの場で」
言い返そうとした和彦だが、明らかにおもしろがっている秦の視線を感じ、ため息で誤魔化した。どうしても鷹津が相手だと、遠慮なく言い合ってしまうのだ。
和彦にとって鷹津は、数少ない気遣いのいらない相手だし、〈番犬〉として、自分の都合で扱える。ただし、いつ鎖を引き千切るかわからない、狂犬だ。身構えつつも、餌を与える相手に噛み付くなということだけは、きっちりと躾けなければならない。
そういう気持ちを胸の内に抱きつつ鷹津と接しているというのに、秦は楽しげな口調で言った。
「――仲がいいですね、先生と鷹津さんは。まるで、悪友同士だ」
「目が腐っているんじゃないか、お前……」
呆れたように応じたのは、鷹津だ。一方の和彦も、苦々しく洩らした。
「冗談じゃない。こんな嫌な男と」
「そう言いながら、二人とも会話が弾んでいるじゃないですか」
秦が差し出したグラスを不機嫌そうな顔で鷹津が受け取り、手酌でビールを注ごうとする。
次の瞬間、異変は起こった。
賢吾が大げさに吹き込んだのかもしれないが、これではまるで、和彦の機嫌取りのためだけに、酒宴が設けられたようなものだ。
「……ぼくだけが飲んでいると、申し訳ないんだが……」
「大丈夫です。もうそろそろ、先生につき合える人が来るはずですよ」
えっ、と声を洩らした和彦に、気障ったらしく秦がウインクしてくる。
秦が誰を指して言ったのかは、十分ほどして判明した。
なんの前触れもなく店に入ってきた人物を見るなり、和彦より先に、護衛の組員が反応して立ち上がる。殺気立つことはなかったが、敵意に近い警戒心を露わにする。少し遅れて、和彦も立ち上がった。
黒のソリッドシャツにジーンズという、見慣れた格好をした鷹津が、ふてぶてしい表情でこちらを見て、ニヤリと笑う。蛇蝎の片割れに例えられる男らしい、嫌な笑い方だ。
「どうして……」
「――わたしが、声をかけたんですよ」
和彦が洩らした言葉に、秦が応じる。怪訝な顔をすると、座るよう促されたので、思わず従ってしまう。すると、当然のように鷹津が隣にドカッと腰を下ろし、和彦の肩に手をかけてきた。
「ようやく捕まえたぞ、佐伯」
鷹津の傲慢な物言いに、反発を覚えた和彦は睨みつける。ついでに、秦も。
「二人揃って、ぼくに対する嫌がらせか?」
鷹津は鼻先で笑い、秦はとんでもないといわんばかりに肩をすくめた。
「鷹津さんは、わたしの店の常連ですよ」
「ホストクラブのほうじゃないぞ。俺は、男に興味はない」
わざわざ念を押した鷹津を、和彦はもう一度睨みつける。嫌な男だ、と心の中で呟いたが、もしかすると声に出ていたかもしれない。和彦がどれだけ毒づこうが、鷹津の図太い神経に小さな傷すらつけられないだろう。
実際、鷹津は目の前で機嫌よさそうに笑っている。その理由に、嫌というほど和彦は心当たりがあった。
「……この男が来るとわかっていたら、ぼくは部屋から出なかった」
恨みがましく和彦が言うと、秦は困ったような顔をする。
「すみません。先生を誘ったあとで、鷹津さんから酒を飲ませろと連絡が入ったもので。先生の機嫌を直すなら、気心の知れた人がもう一人いてもいいかなと思ったんです」
和彦は冷めた視線を鷹津に投げかける。
「刑事のくせに、人にタカっているのか」
「失礼な奴だな。俺と秦は、持ちつ持たれつってやつだ。あれこれと目をつぶって、たまに情報を流してやっている代わりに、俺は美味い酒を飲ませてもらっている。――俺とお前の関係も、そうだろ」
鷹津に、意味ありげな手つきで頬をくすぐられる。その手を素っ気なく払い除けた和彦だが、頬が熱くなるのは抑えられなかった。
鷹津にまだ〈餌〉を与えていないことを、当然忘れてはいない。こうして顔を合わせた以上、何事もなく別れられるはずもなかった。それを裏付けるように、和彦の耳元に顔を寄せ、鷹津が囁いた。
「今日はきっちり、餌を食わせてもらうからな。時間がないというなら、ここのトイレに連れ込んでもかまわねーぞ」
「恥ずかしい男だなっ。ここで、そんなことを言わなくてもいいだろっ」
「なんだ。お前みたいな奴でも、体面なんてものを気にするのか。ろくでなしが勢揃いしているこの場で」
言い返そうとした和彦だが、明らかにおもしろがっている秦の視線を感じ、ため息で誤魔化した。どうしても鷹津が相手だと、遠慮なく言い合ってしまうのだ。
和彦にとって鷹津は、数少ない気遣いのいらない相手だし、〈番犬〉として、自分の都合で扱える。ただし、いつ鎖を引き千切るかわからない、狂犬だ。身構えつつも、餌を与える相手に噛み付くなということだけは、きっちりと躾けなければならない。
そういう気持ちを胸の内に抱きつつ鷹津と接しているというのに、秦は楽しげな口調で言った。
「――仲がいいですね、先生と鷹津さんは。まるで、悪友同士だ」
「目が腐っているんじゃないか、お前……」
呆れたように応じたのは、鷹津だ。一方の和彦も、苦々しく洩らした。
「冗談じゃない。こんな嫌な男と」
「そう言いながら、二人とも会話が弾んでいるじゃないですか」
秦が差し出したグラスを不機嫌そうな顔で鷹津が受け取り、手酌でビールを注ごうとする。
次の瞬間、異変は起こった。
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