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第25話
(21)
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忘れてならないのは、同じ店で和彦は、秦に薬を飲まされて淫らな行為に及ばれたことがある。あの頃はまだ秦の正体も知らず、律儀に敬語を使って話していたのだ。
それが今では――。
自分の痴態も含めていろいろと脳裏に蘇り、危うく体温が上がりそうになった和彦は、慌てて頭から追い払う。
『予定では一か月ほど店を閉めることになるので、昨夜はお客様たちを招いて、派手に騒いだんです。そして今夜は、わたしも経営者という肩書きを忘れて、先生と楽しく飲みたいと思いまして』
「……今回も、中嶋くんは?」
和彦の問いかけをどう受け止めたのか、電話の向こうから微かに秦の笑い声が聞こえてくる。
『残念ながら、中嶋は今夜は仕事だそうです。――大丈夫。中嶋がいないからといって、先生に変なことはしませんよ』
「そんなことは心配していないっ」
『でしたら、おつき合いいただけますか?』
秦は、和彦が断るとは思っていない口ぶりだった。和彦の機嫌が悪いと聞かされながら、あえて電話をかけてきたぐらいだ。やはり賢吾から、気分転換させてやれとでも言われているのかもしれない。
「――つき合ってもいい」
そう和彦が答えると、また電話の向こうから、秦の笑い声が聞こえてきた。
『料理や酒を準備しておきますから、いつでもいらしてください。あっ、護衛の方の分も用意しておきますよ。中嶋が一緒じゃないので、護衛をつけないと夜遊びはできないでしょう、先生は』
気が利くなと呟いて、電話を切る。和彦は携帯電話を握ったまま、すぐには動き出さず、ぼんやりとしてしまう。
秦の優しい口調で問われると、言わなくていいことまで話してしまいそうで、隠し事をしているときに会うには、意外に厄介な相手だ。やはり断ればよかっただろうかと、ちらりと頭の片隅で考える。
しかし、秦はどこまでも気が利いていた。握っていた携帯電話が再び鳴り、和彦は反射的に電話に出る。今度は、いつも護衛を務めている組員からだった。
すぐに出発しますかと問われ、力なく笑ってしまう。
「三十分後に迎えに来てくれ」
そう答えて電話を切ると、今度こそ立ち上がった。
秦が経営するホストクラブは、すでに内装工事に向けての準備が始まっているらしく、店内装飾のほとんどが撤去されていた。昨夜、客を招いてパーティーを開いたという話だったので、その後に作業に取り掛かったのだとしたら、ずいぶん仕事が早い。
立ち働く従業員も客もいない静けさを誤魔化すように、店内には音楽が流れていた。おかげで沈黙を意識しなくていい和彦は、黙々と寿司を食べる。そんな和彦を、向かいの席についた秦は目を細めて眺めていた。
「体調が悪いのかと心配していたのですが、食欲はあるようなので、安心しました」
秦の言葉に、和彦はわずかに唇を歪める。
「……別に、体調はなんともない」
「機嫌が悪いだけ?」
「そういう言い方をされると、ぼくが子供みたいだろ。――仕事でいろいろあって、一人で頭を悩ませているだけだ」
「それだけ、背負うものが大きくなったということは、先生の存在感がこの世界で大きくなったということですよ」
秦はどこまで把握しているのだろうかと、ちらりとそんなことを考えて、苦々しく和彦は洩らした。
「一気に食欲が失せることを言わないでくれ」
「残念ですね。こういうときこそ中嶋がいれば、先生の気も紛れるでしょうに。あいつ相手なら、けっこう気楽に、なんでも話せるでしょう」
「それは……、どうだろう」
親しいつき合いでつい忘れてしまいそうになるが、中嶋は総和会の人間だ。しかも、南郷が率いる第二遊撃隊に属している。中嶋を信用していないわけではないが、野心家の一面を知っているだけに、慎重にならざるをえない。なんといっても中嶋は、長嶺組にも出入りしているのだ。
これ以上詮索するなという意味も込めて和彦は、露骨に話題を逸らした。
「――しかし、一か月も店を閉めて内装工事だなんて、景気がいいみたいだな」
和彦の意図を汲み取ったのだろう。秦は小さく笑みをこぼして、店内を見回す。
「景気が悪くても、よさそうに見せないといけないんですよ、こういう仕事は。この店の内装は気に入っていて、しばらく変えていなかったのですが、さすがにマンネリかと。それに、一店舗を閉めてでも、少し時間と人手が欲しかったんです」
「ぼくに説明してくれた、新しい事業の準備か?」
大仰に目を丸くした秦は、次の瞬間にはにこやかな表情となり、空いたグラスにワインを注いでくれた。
それが今では――。
自分の痴態も含めていろいろと脳裏に蘇り、危うく体温が上がりそうになった和彦は、慌てて頭から追い払う。
『予定では一か月ほど店を閉めることになるので、昨夜はお客様たちを招いて、派手に騒いだんです。そして今夜は、わたしも経営者という肩書きを忘れて、先生と楽しく飲みたいと思いまして』
「……今回も、中嶋くんは?」
和彦の問いかけをどう受け止めたのか、電話の向こうから微かに秦の笑い声が聞こえてくる。
『残念ながら、中嶋は今夜は仕事だそうです。――大丈夫。中嶋がいないからといって、先生に変なことはしませんよ』
「そんなことは心配していないっ」
『でしたら、おつき合いいただけますか?』
秦は、和彦が断るとは思っていない口ぶりだった。和彦の機嫌が悪いと聞かされながら、あえて電話をかけてきたぐらいだ。やはり賢吾から、気分転換させてやれとでも言われているのかもしれない。
「――つき合ってもいい」
そう和彦が答えると、また電話の向こうから、秦の笑い声が聞こえてきた。
『料理や酒を準備しておきますから、いつでもいらしてください。あっ、護衛の方の分も用意しておきますよ。中嶋が一緒じゃないので、護衛をつけないと夜遊びはできないでしょう、先生は』
気が利くなと呟いて、電話を切る。和彦は携帯電話を握ったまま、すぐには動き出さず、ぼんやりとしてしまう。
秦の優しい口調で問われると、言わなくていいことまで話してしまいそうで、隠し事をしているときに会うには、意外に厄介な相手だ。やはり断ればよかっただろうかと、ちらりと頭の片隅で考える。
しかし、秦はどこまでも気が利いていた。握っていた携帯電話が再び鳴り、和彦は反射的に電話に出る。今度は、いつも護衛を務めている組員からだった。
すぐに出発しますかと問われ、力なく笑ってしまう。
「三十分後に迎えに来てくれ」
そう答えて電話を切ると、今度こそ立ち上がった。
秦が経営するホストクラブは、すでに内装工事に向けての準備が始まっているらしく、店内装飾のほとんどが撤去されていた。昨夜、客を招いてパーティーを開いたという話だったので、その後に作業に取り掛かったのだとしたら、ずいぶん仕事が早い。
立ち働く従業員も客もいない静けさを誤魔化すように、店内には音楽が流れていた。おかげで沈黙を意識しなくていい和彦は、黙々と寿司を食べる。そんな和彦を、向かいの席についた秦は目を細めて眺めていた。
「体調が悪いのかと心配していたのですが、食欲はあるようなので、安心しました」
秦の言葉に、和彦はわずかに唇を歪める。
「……別に、体調はなんともない」
「機嫌が悪いだけ?」
「そういう言い方をされると、ぼくが子供みたいだろ。――仕事でいろいろあって、一人で頭を悩ませているだけだ」
「それだけ、背負うものが大きくなったということは、先生の存在感がこの世界で大きくなったということですよ」
秦はどこまで把握しているのだろうかと、ちらりとそんなことを考えて、苦々しく和彦は洩らした。
「一気に食欲が失せることを言わないでくれ」
「残念ですね。こういうときこそ中嶋がいれば、先生の気も紛れるでしょうに。あいつ相手なら、けっこう気楽に、なんでも話せるでしょう」
「それは……、どうだろう」
親しいつき合いでつい忘れてしまいそうになるが、中嶋は総和会の人間だ。しかも、南郷が率いる第二遊撃隊に属している。中嶋を信用していないわけではないが、野心家の一面を知っているだけに、慎重にならざるをえない。なんといっても中嶋は、長嶺組にも出入りしているのだ。
これ以上詮索するなという意味も込めて和彦は、露骨に話題を逸らした。
「――しかし、一か月も店を閉めて内装工事だなんて、景気がいいみたいだな」
和彦の意図を汲み取ったのだろう。秦は小さく笑みをこぼして、店内を見回す。
「景気が悪くても、よさそうに見せないといけないんですよ、こういう仕事は。この店の内装は気に入っていて、しばらく変えていなかったのですが、さすがにマンネリかと。それに、一店舗を閉めてでも、少し時間と人手が欲しかったんです」
「ぼくに説明してくれた、新しい事業の準備か?」
大仰に目を丸くした秦は、次の瞬間にはにこやかな表情となり、空いたグラスにワインを注いでくれた。
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