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第25話
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「じいちゃんが、晩飯だけ食わせて、俺たちをあっさり解放するわけがないじゃん」
「最初からお前も、そのつもりだったんだろ」
「悪巧みが好きなんだよ、長嶺の血筋は」
毒を食らわば、とまで言う気はないが、長嶺の男二人が揃っていて、自分が抗弁できるとも思えない。気が済むようにつき合うしかないだろう。
和彦はため息交じりに頷き、千尋に腕を引かれてダイニングに連れて行かれる。すでにテーブルには守光がついており、和彦がイスに腰掛けると同時にグラスを差し出された。
「ありがとうございます……」
ビールを注がれて礼を述べると、ふっと守光が笑みをこぼす。
「まだ、緊張するかね。千尋は、自分の家のように寛ぎすぎだが、あんたはもう少し、肩から力を抜かんと。――これから先、ここに泊まることも増えるだろうし」
和彦はわずかに肩を揺らす。守光の発言に食いついたのは千尋だった。
「何、なんかあるの?」
守光がちらりとこちらを見たので、和彦は苦笑を浮かべる。
総和会によって、和彦に新たなクリニックを開業させる計画があることを、守光が千尋に説明するのを傍らで聞きながら、和彦は二人のグラスにビールを注ぐ。自分ではまだ何も決めていないし、考えてもいないというのに、外堀が埋められていくようだった。
「当然、面倒なことは全部総和会で請け負う。あんたには表の顔として、最低限必要の手続きをしてもらい、ときどき業務に目を配ってくれるなら、あとは好きなようにしてほしい。あくまで、あんたの働きに対する、総和会としての誠意を見せたいだけだ」
話しながら守光がこちらを見る。目が合った瞬間、和彦は緊迫感に息を詰めていた。
本能的に、守光のこの提案は危険だと思った。今の和彦は、守光と関係を持つことで総和会と深く結びついている。そこにクリニックを任されることになれば、長嶺組と同等の結びつきを持つことになる。私生活とビジネスの両方で、二つの組織から干渉されるのだ。
これまで和彦は、当然のように長嶺組との関係に重きを置いていた。長嶺組の存在があったからこそ、総和会との関係が成り立っていたともいえる。
そのバランスが、大きく崩れそうだ――。
和彦が唇を動かしかけたとき、苦い表情で千尋が先に声を発した。
「急ぎすぎだよ、じいちゃん。先生、今のクリニックを開いて、やっと三か月経つかどうかなんだよ。それでなくても忙しいのに、次のクリニックの開業準備なんてさせたら、過労死する」
守光にとっても意外な発言だったのか、わずかに目を丸くしたあと、穏やかな紳士らしく顔を綻ばせた。
「年寄りは、自覚がないまませっかちになってしまうようだな」
「よく言うよ。自分のこと、本当は年寄りなんて思ってないだろ。だけど、せっかちなのは確かだね。じいちゃんはまだ、先生の性格がよくわかってないだろうけど、かなりマイペースだよ。急かしすぎたら、へそを曲げる」
「ほお、へそを曲げるのか」
おもしろがるような口調で守光が洩らし、こちらを見る。居心地が悪くて仕方ない和彦だが、余計なことを言うなと千尋を窘めるわけにもいかず、長嶺の男二人の視線に耐えるしかなかった。
寝返りを打った和彦は、薄闇の中、じっと目を凝らしていた。意識から追い払おうとしているのだが、総和会が後ろ盾となり、新たにクリニックを任されるかもしれないという話が頭から離れず、まったく眠れない。
それでなくてもここは、守光の家であり、倒錯した行為に及んだ客間なのだ。妖しい感覚が胸の奥で湧き起こりそうになる。
身じろぎ、襖のほうを見遣る。次の瞬間には、静かに襖が開き、〈誰か〉が入ってくるのではないかと想像してしまうのだ。
このままではいつまでも眠れないと、和彦は再び寝返りを打って数分も経たないうちに、襖が静かに開閉する気配がした。咄嗟に、意識しすぎた故の錯覚かとも思ったが、違う。畳の上を歩く抑えた足音が確かに近づいてくる。
全身の神経を研ぎ澄ませ、相手の動きを探る。そして、長嶺の男のどちらなのだろうかと、考えてもいた。
布団を捲られたとき、相手はもう気配を押し殺すようなことはしていなかった。まるで自分の存在を誇示するように、強引に同じ布団に入ってきて、和彦の体を抱き締めてくる。背に感じる高い体温で、侵入者の正体はわかった。
「――千尋、自分の布団で寝ろ」
和彦がひそっと抗議の声を上げると、熱い息遣いが耳元にかかった。
「嫌だ。前は、じいちゃんだったんだから、今夜は俺だ」
「最初からお前も、そのつもりだったんだろ」
「悪巧みが好きなんだよ、長嶺の血筋は」
毒を食らわば、とまで言う気はないが、長嶺の男二人が揃っていて、自分が抗弁できるとも思えない。気が済むようにつき合うしかないだろう。
和彦はため息交じりに頷き、千尋に腕を引かれてダイニングに連れて行かれる。すでにテーブルには守光がついており、和彦がイスに腰掛けると同時にグラスを差し出された。
「ありがとうございます……」
ビールを注がれて礼を述べると、ふっと守光が笑みをこぼす。
「まだ、緊張するかね。千尋は、自分の家のように寛ぎすぎだが、あんたはもう少し、肩から力を抜かんと。――これから先、ここに泊まることも増えるだろうし」
和彦はわずかに肩を揺らす。守光の発言に食いついたのは千尋だった。
「何、なんかあるの?」
守光がちらりとこちらを見たので、和彦は苦笑を浮かべる。
総和会によって、和彦に新たなクリニックを開業させる計画があることを、守光が千尋に説明するのを傍らで聞きながら、和彦は二人のグラスにビールを注ぐ。自分ではまだ何も決めていないし、考えてもいないというのに、外堀が埋められていくようだった。
「当然、面倒なことは全部総和会で請け負う。あんたには表の顔として、最低限必要の手続きをしてもらい、ときどき業務に目を配ってくれるなら、あとは好きなようにしてほしい。あくまで、あんたの働きに対する、総和会としての誠意を見せたいだけだ」
話しながら守光がこちらを見る。目が合った瞬間、和彦は緊迫感に息を詰めていた。
本能的に、守光のこの提案は危険だと思った。今の和彦は、守光と関係を持つことで総和会と深く結びついている。そこにクリニックを任されることになれば、長嶺組と同等の結びつきを持つことになる。私生活とビジネスの両方で、二つの組織から干渉されるのだ。
これまで和彦は、当然のように長嶺組との関係に重きを置いていた。長嶺組の存在があったからこそ、総和会との関係が成り立っていたともいえる。
そのバランスが、大きく崩れそうだ――。
和彦が唇を動かしかけたとき、苦い表情で千尋が先に声を発した。
「急ぎすぎだよ、じいちゃん。先生、今のクリニックを開いて、やっと三か月経つかどうかなんだよ。それでなくても忙しいのに、次のクリニックの開業準備なんてさせたら、過労死する」
守光にとっても意外な発言だったのか、わずかに目を丸くしたあと、穏やかな紳士らしく顔を綻ばせた。
「年寄りは、自覚がないまませっかちになってしまうようだな」
「よく言うよ。自分のこと、本当は年寄りなんて思ってないだろ。だけど、せっかちなのは確かだね。じいちゃんはまだ、先生の性格がよくわかってないだろうけど、かなりマイペースだよ。急かしすぎたら、へそを曲げる」
「ほお、へそを曲げるのか」
おもしろがるような口調で守光が洩らし、こちらを見る。居心地が悪くて仕方ない和彦だが、余計なことを言うなと千尋を窘めるわけにもいかず、長嶺の男二人の視線に耐えるしかなかった。
寝返りを打った和彦は、薄闇の中、じっと目を凝らしていた。意識から追い払おうとしているのだが、総和会が後ろ盾となり、新たにクリニックを任されるかもしれないという話が頭から離れず、まったく眠れない。
それでなくてもここは、守光の家であり、倒錯した行為に及んだ客間なのだ。妖しい感覚が胸の奥で湧き起こりそうになる。
身じろぎ、襖のほうを見遣る。次の瞬間には、静かに襖が開き、〈誰か〉が入ってくるのではないかと想像してしまうのだ。
このままではいつまでも眠れないと、和彦は再び寝返りを打って数分も経たないうちに、襖が静かに開閉する気配がした。咄嗟に、意識しすぎた故の錯覚かとも思ったが、違う。畳の上を歩く抑えた足音が確かに近づいてくる。
全身の神経を研ぎ澄ませ、相手の動きを探る。そして、長嶺の男のどちらなのだろうかと、考えてもいた。
布団を捲られたとき、相手はもう気配を押し殺すようなことはしていなかった。まるで自分の存在を誇示するように、強引に同じ布団に入ってきて、和彦の体を抱き締めてくる。背に感じる高い体温で、侵入者の正体はわかった。
「――千尋、自分の布団で寝ろ」
和彦がひそっと抗議の声を上げると、熱い息遣いが耳元にかかった。
「嫌だ。前は、じいちゃんだったんだから、今夜は俺だ」
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