血と束縛と

北川とも

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第25話

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 このあと藤倉は、何事もなかったように世間話を始めたが、和彦はそれどころではなかった。ほとんど上の空で相槌を打ちながら、内線が鳴るまでの時間を過ごしていた。
 ファイルが入った紙袋を手に応接室を出ると、スラックスのポケットに片手を突っ込んだ千尋が立っており、目が合うなり悪戯っぽく笑いかけてくる。
「ほんの何十分か会わなかっただけなのに、なんだか疲れた顔してるね、先生」
「お前は――」
 応接室でどんな会話が交わされたのか、知っているのか。そう問いかけたかったが、中にはまだ藤倉がいるため、寸前のところで口を閉じる。
 千尋に紙袋を取り上げられ、促されるままエレベーターホールへと向かう。
「お前のほうの仕事は、もう終わったのか」
「仕事といっても、委員会に出席してる長嶺の人間の後ろに控えているだけなんだけどね。それでも、実績も何もない若造が委員会に顔が出せるのは、やっぱり血統のおかげだ。とにかく今は、顔を売っておかないと」
「長嶺組の跡継ぎとして?」
 和彦の問いかけに、エレベーターのボタンを押そうとした千尋が一瞬動きを止める。すぐに、肩をすくめる。
「当然。総本部で、総和会会長の孫として振る舞ったら、それこそお客様扱いになる。長嶺組の跡目という立場だから、一端のヤクザとして見てもらえるんだ」
「……長嶺の男とはいっても、お前もいろいろ気をつかっているんだな」
「オヤジやじいちゃんの存在がでかいのは事実だし、俺はまだ、そのオマケ程度だからね。身の程をわきまえておかないと、跡目だなんだと言われても、簡単に弾き出される」
 そう話す千尋の口調からは、卑屈さは一切感じ取れない。自分の境遇が恵まれている反面、とてつもなく苛烈なものであることは、とっくに理解し、覚悟もしているのだ。いかにも育ちのいい、甘ったれな青年の姿を見せているのも、千尋なりの処世術なのかもしれない。
 エレベーターに乗り込むと、和彦がよく知る軽い口調で千尋が言った。
「――さて、次はじいちゃんのところ行こうか」
 えっ、と声を洩らした和彦は、まじまじと千尋を見つめる。和彦の戸惑いをどう捉えたのか、千尋はのん気に笑ってこう続けた。
「ここに来るとき、俺言っただろ。この間の手術の件で、総和会から先生に礼を言いたいって」
「……その礼を言うのは……」
「じいちゃん。俺と先生と一緒に晩飯を食う方便みたいなものだろうけど。まあ、どうせ総本部に寄ったついでだし――」
「お前、最初からそのつもりだったんだなっ」
 和彦が声を荒らげると、千尋が唇を尖らせる。寸前まで、血統だ、跡目だと、一端のヤクザらしいことを言っていたくせに、その表情はまるで拗ねた子供だ。しかも千尋の場合、子犬のような眼差しという、オプションつきだ。
「そういう顔をしても、無駄だからな」
「ふーん、だったら、俺とここで別れる?」
 表情を一変させ、にんまりと笑いかけてくるのが小憎たらしい。もちろん千尋を殴れるはずもなく、ささやかな報復として和彦は、千尋の頬を抓り上げる。ただし、二階に到着したエレベーターの扉が開いてしまったため、慌てて手を引く。
 先にエレベーターを降りた千尋が肩越しに振り返り、澄まし顔で問いかけてきた。
「行く?」
 結局、和彦の返事は一つしか用意されていないのだ。


 和彦の知らないところで計画は進められていたらしく、千尋とともに守光の居宅を訪ねると、すでにダイニングには夕食の準備が調っていた。
 総和会総本部を初めて訪問したあと、今度は総和会会長宅で夕食をとるという状況は、改めて考えてみるまでもなく、とてつもないことだ。その状況に、否応なく和彦は慣らされていくのだ。
 客間に足を踏み入れた和彦は、吸い寄せられるように床の間に視線を向ける。
 若武者の掛け軸はそこにはなく、華やかな花鳥画が掛かっていた。些細なことなのかもしれないが、そのことにひどく安堵する。この客間で若武者の姿を見ると、どうしても守光との濃密な行為が蘇ってしまいそうなのだ。
「先生、よかったら、俺のスウェットに着替える? スーツのままだと、窮屈だろ」
 客間を覗いて千尋が声をかけてくる。ここで和彦は、自分がまだアタッシェケースも紙袋も持ったままだったことに気づき、慌てて部屋の隅に置く。
「いや……、食事をするだけなのに、着替えるのも変だろ。それに、そんなに寛いだら失礼だ」
「えー、いいじゃん。風呂入るまで、ずっとその格好?」
 妙なことを言うのだな、と思った次の瞬間には、千尋の言葉の意味を理解する。和彦が顔をしかめるのとは対照的に、千尋は実に楽しげな顔をしていた。
「……つまり、今夜はここに泊まるということか」

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