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第25話
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千尋が受付に向かい、和彦は少し離れた場所で待ちながら、監視カメラの数をなんとなく数えてしまう。それに、背の高い観葉植物や仕切りなど、ロビー全体を見渡せないような遮蔽物がいくつもあることにも気づいていた。エレベーターはロビーのある二階で一旦乗り換えるため、まっすぐ上階に上がることができないなど、何かあったときの被害が広がらないよう、注意を払った造りになっている。
もっとも、侵入者にとって最大の障害は、この場にいる男たちだろう。
場の雰囲気にあったスーツを着てはいても、やはり鋭い空気は隠し切れない。所在なく立っている和彦は、違う意味で目立っているようだ。
「先生、こっち」
千尋に手招きされ、助かったとばかりに足早に歩み寄る。再びエレベーターに乗り込み、今度は五階へと上がる。
受付から連絡があったのか、扉が開くと、二人を出迎えてくれた人物がいた。
「あっ……」
思わず和彦が声を洩らすと、愛想よく笑いかけてきた藤倉が慇懃に頭を下げる。エレベーターを降りた和彦は、複雑な心境になりながらも挨拶をした。
「……お久しぶりです、藤倉さん」
本当に、久しぶりだ。総和会内で、文書室筆頭という一風変わった肩書きを持つ藤倉は、主に事務処理を担当している。詳細な仕事の内容までは把握していないが、和彦が総和会に回すカルテや処方箋の管理は、藤倉が行っている。
この世界に引きずり込まれて間もない頃、『加入書』の件で手を煩わせてからのつき合いだが、クリニックを開業してから顔を合わせるのは初めてだ。
印象の薄い顔立ちと、折り目正しいビジネスマンのような物腰は変わっておらず、この男だけを見ていると、ここが総和会の総本部という物騒な場所だとは到底思えない。なんにしても、顔見知りに出迎えられ、和彦としては少しだけほっとする。
「じゃあ、藤倉さん、先生のこと頼みます」
背後からそう声をかけられ、慌てて和彦は振り返る。エレベーターに乗ったまま千尋が軽く手を上げ、次の瞬間にはゆっくりと扉が閉まっていく。
「おい、千尋――」
「心配いりませんよ、佐伯先生。千尋さんはちょっと委員会に顔を出すだけのようですから、その間、先生には目を通してもらいたいものがあるんです」
藤倉に恭しく手で示され、戸惑いつつも和彦は従う。案内されたのは応接室で、和彦がソファに腰掛けるのを待っていたようなタイミングでコーヒーが運ばれてくる。
藤倉は、テーブルの上に積み重ねたファイルに手をかけ、いきなり本題に入った。
「総和会で新たに購入する医療機器を選定するにあたり、先生の意見も聞かせていただきたいのです」
「ぼくの、ですか?」
驚いた和彦が目を丸くすると、返事の代わりのように藤倉が笑う。
「大半の医療機器は、破産した病院から引き取ったものなのですが、安いのはいいが、欲しいものが必ず手に入るわけではないんです。そこで、架空の実績を積ませたダミー会社を通して、メーカーから購入することになるわけです。もちろん、総和会だけで使用するわけではなく、総和会を支えている組に流します。先生が長嶺組での仕事で使った機器や機材の中にも、うちが用意したものがあるはずです」
流れるような口調で説明をしながら藤倉は、ファイルを開いて和彦に示す。医療機器名と金額などが記された表と、カタログをカラーコピーしたものが何枚も綴じられていた。これを参考にしろということらしい。
「……ぼくは、総和会に関わるようになって、まだそんなに経っていません。それなのに、決して安くはない医療機器を選ぶのに、意見なんてとても……。いままで、他の医師の方の意見を参考にされていたのなら、今回もその方に――」
「そう大げさに考えなくても大丈夫ですよ。それに、なんといっても先生は、開業されたばかりだ。医療機器についても、ご自分で足を運んで選ばれたんですよね。その経験をもとに、ちょっとした書類作りを手伝ってもらいたいだけですから」
「コンサルタントの方に手伝っていただきながらなので、とても胸を張れるようなものではないのですが……」
「先生が手術を手がけるとき、どういった機器であればいいか、どのメーカーのものが使いやすいか、それを教えていただければいいんです。わたしは書類仕事が専門なので、こればかりはお手上げで。普通の病院に出向いて、お医者さんに尋ねるわけにもいかないでしょう?」
ここまで言われては無碍にもできない。医者としてまだまだ勉強中の身ですが、と前置きして、和彦はファイルを手に取る。医療機器の値段そのものには、さほど驚きはない。クリニックを開業するために、さんざん目にしてきたものだ。それでも、高価であることに変わりはなく、思わずため息を洩らす。
もっとも、侵入者にとって最大の障害は、この場にいる男たちだろう。
場の雰囲気にあったスーツを着てはいても、やはり鋭い空気は隠し切れない。所在なく立っている和彦は、違う意味で目立っているようだ。
「先生、こっち」
千尋に手招きされ、助かったとばかりに足早に歩み寄る。再びエレベーターに乗り込み、今度は五階へと上がる。
受付から連絡があったのか、扉が開くと、二人を出迎えてくれた人物がいた。
「あっ……」
思わず和彦が声を洩らすと、愛想よく笑いかけてきた藤倉が慇懃に頭を下げる。エレベーターを降りた和彦は、複雑な心境になりながらも挨拶をした。
「……お久しぶりです、藤倉さん」
本当に、久しぶりだ。総和会内で、文書室筆頭という一風変わった肩書きを持つ藤倉は、主に事務処理を担当している。詳細な仕事の内容までは把握していないが、和彦が総和会に回すカルテや処方箋の管理は、藤倉が行っている。
この世界に引きずり込まれて間もない頃、『加入書』の件で手を煩わせてからのつき合いだが、クリニックを開業してから顔を合わせるのは初めてだ。
印象の薄い顔立ちと、折り目正しいビジネスマンのような物腰は変わっておらず、この男だけを見ていると、ここが総和会の総本部という物騒な場所だとは到底思えない。なんにしても、顔見知りに出迎えられ、和彦としては少しだけほっとする。
「じゃあ、藤倉さん、先生のこと頼みます」
背後からそう声をかけられ、慌てて和彦は振り返る。エレベーターに乗ったまま千尋が軽く手を上げ、次の瞬間にはゆっくりと扉が閉まっていく。
「おい、千尋――」
「心配いりませんよ、佐伯先生。千尋さんはちょっと委員会に顔を出すだけのようですから、その間、先生には目を通してもらいたいものがあるんです」
藤倉に恭しく手で示され、戸惑いつつも和彦は従う。案内されたのは応接室で、和彦がソファに腰掛けるのを待っていたようなタイミングでコーヒーが運ばれてくる。
藤倉は、テーブルの上に積み重ねたファイルに手をかけ、いきなり本題に入った。
「総和会で新たに購入する医療機器を選定するにあたり、先生の意見も聞かせていただきたいのです」
「ぼくの、ですか?」
驚いた和彦が目を丸くすると、返事の代わりのように藤倉が笑う。
「大半の医療機器は、破産した病院から引き取ったものなのですが、安いのはいいが、欲しいものが必ず手に入るわけではないんです。そこで、架空の実績を積ませたダミー会社を通して、メーカーから購入することになるわけです。もちろん、総和会だけで使用するわけではなく、総和会を支えている組に流します。先生が長嶺組での仕事で使った機器や機材の中にも、うちが用意したものがあるはずです」
流れるような口調で説明をしながら藤倉は、ファイルを開いて和彦に示す。医療機器名と金額などが記された表と、カタログをカラーコピーしたものが何枚も綴じられていた。これを参考にしろということらしい。
「……ぼくは、総和会に関わるようになって、まだそんなに経っていません。それなのに、決して安くはない医療機器を選ぶのに、意見なんてとても……。いままで、他の医師の方の意見を参考にされていたのなら、今回もその方に――」
「そう大げさに考えなくても大丈夫ですよ。それに、なんといっても先生は、開業されたばかりだ。医療機器についても、ご自分で足を運んで選ばれたんですよね。その経験をもとに、ちょっとした書類作りを手伝ってもらいたいだけですから」
「コンサルタントの方に手伝っていただきながらなので、とても胸を張れるようなものではないのですが……」
「先生が手術を手がけるとき、どういった機器であればいいか、どのメーカーのものが使いやすいか、それを教えていただければいいんです。わたしは書類仕事が専門なので、こればかりはお手上げで。普通の病院に出向いて、お医者さんに尋ねるわけにもいかないでしょう?」
ここまで言われては無碍にもできない。医者としてまだまだ勉強中の身ですが、と前置きして、和彦はファイルを手に取る。医療機器の値段そのものには、さほど驚きはない。クリニックを開業するために、さんざん目にしてきたものだ。それでも、高価であることに変わりはなく、思わずため息を洩らす。
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