血と束縛と

北川とも

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第25話

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 南郷ほどの男に頭を下げさせたことがいまさらながら怖くなる。今晩の食事中の話題は、決まったようなものだった。南郷との間にあったことを黙っているわけにもいかず、打ち明けることにしたのだ。賢吾に隠し事をするのが、和彦には何より怖い。
「先生?」
 賢吾に呼ばれ、伏せていた視線を上げた和彦は大仰に顔をしかめてみせる。
「ぼくが大変な状況だとわかっていて、わざわざ外に連れ出したのか」
「やつれた先生の顔を見たくてな」
 澄ました顔でさらりと言われ、和彦のほうが照れてしまう。誤魔化すようにぼそぼそと説明をした。
「……昼休みを挟んで、予約時間まで余裕があったから、様子を見に。感染症が心配で、本当は目が離せない状態なんだ。患者の容態は落ち着いていたし、夕方からは他の医者が付き添うことになったから、金曜日の診察まで、ぼくは顔を出さなくていいみたいだ」
「先生が文句を言わないのをいいことに、気安く仕事を頼みすぎだな、総和会の連中は」
「気安いかどうかはわからないが、美容外科医に対して、無茶な注文をしてくるのが困る。……あんたも、総和会も」
「そうだったか?」
 露骨にとぼける賢吾の脇腹を軽く小突くと、悪戯っぽい笑みで返される。つられるように和彦も、微笑を浮かべていた。
 先日、一緒に夜桜見物をして宿に一泊して以来、賢吾は機嫌がいい。もっと正確にいうなら、和彦に対して甘くなった気がする。そして和彦自身、そんな賢吾の側にいると心地いい。困ったことに。
「まあ、先生が働くおかげで、うちの組の稼ぎになる。今日はこれから、俺の靴を買いに行くんだが、先生にも何か買ってやる。なんでもいいぞ」
「いきなり言われても……」
「言わないなら、俺が勝手に選ぶからな」
「それは、いつもと同じじゃないか」
 ときには笑みをこぼし、他愛ない会話を交わしながら、賢吾と並んで歩く。こうしていると、相手が大きな組の組長であるということを忘れそうになるが、即座にヒヤリとするような緊迫感が蘇り、そこで賢吾が何者であるかを実感させられる。
「そろそろ、夏物の着物も仕立てるか」
 ゾクリとするような流し目を寄越し、賢吾が提案してくる。なぜか頬の辺りが熱くなっていくのを感じ、和彦はさりげなく視線を逸らす。
「着物に関しては、あんたに任せる。どうせ、自分好みのものを選ぶんだろ」
「俺は、誰よりも先生を知っているからな」
 ごく最近、里見の件で騒ぎになったせいもあり、和彦はどんな顔をすればいいのかわからず、性質が悪いことに賢吾は、そんな和彦の様子を楽しげに眺めている。
「……嫌な、男だ」
「大蛇だからな」
 人通りがあるというのに、平然と賢吾は頬を撫でてきた。驚いた和彦は、これ以上賢吾に大胆な行動に出られては敵わないと、足早に先を歩く。
「先生、そんなに急ぐと、転ぶぞ」
 背後から悠然とした声をかけられ、ますます和彦は歩調を速める。
 ふと、こちらを見ている人の姿を視界の隅に捉えた。ハッとして車道の向こうに目を向ける。ちょうどデパートの正面口があり、それでなくても人通りが多いうえに、待ち合わせをする人たちで混み合っている。
 その人たちの中に、見知った男の姿があった。鷹津だ。
「えっ……」
 和彦は小さく声を洩らし、目を凝らす。黒のソリッドシャツという格好は、ある種鷹津のトレードマークのようなものだ。その見覚えのある格好をした鷹津は、射るような視線でこちら――和彦を見ていた。
 確かに目が合ったと感じたとき、学生らしい一団が和彦のすぐ目の前を通り過ぎ、数秒の間、鷹津の姿が視界から消える。
「急に立ち止まってどうした」
 立ち尽くす和彦に、追いついた賢吾が声をかけてくる。
「いや、あそこに――」
 和彦が再び視線を向けた先には、すでに鷹津の姿はなかった。まるで幻が消えたかのように。
 本当に自分は鷹津を見たのだろうかと、急に不安になった和彦は緩く首を横に振る。
「デパートに少し寄ってもらっていいか? ワインを買って帰りたいんだ」
「ああ」
 賢吾の手がさりげなく肩にかかる。促されるように歩き出しながら、和彦はもう一度、鷹津が立っていた辺りを見る。
 目を開けたまま夢を見ていたようで、なんだか落ち着かない気分だった。

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