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第25話
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「繊細だな、先生。さぞかし、長嶺組長に大事にされているんだろう。花見会のときの様子を見れば、簡単に想像はつくがな」
「あなたの隊が面倒を見ることになった人の腹に、たった今手を突っ込んできたのは、ぼくです。そういう言い方はやめてください」
苛立ちを押し殺して冷ややかな声で応じるが、和彦のその反応は、南郷の神経をわずかでも傷つけることはできなかったようだ。返ってきたのは、低い笑い声だった。
「そうだった。どうも、育ちのよさそうなあんたの外見に惑わされる。あんたは、下手なヤクザが裸足で逃げ出す、性質の悪い〈オンナ〉だったな」
「――ぼくに皮肉を言うために、こんな時間に出向いてきたんですか」
「まさか。むしろ、あんたには礼を言いたい。前にも話したと思うが、第二遊撃隊っていうのは仕事上、どうしたって荒事が多くなる。荒事が多いと、怪我人も出る。そして、その怪我人が世話になるのが、先生だ」
果たして南郷から礼を言われたことがあっただろうかと、つい和彦は考えてしまう。南郷とはすでに何回も顔を合わせているが、この男から常に感じるのは、凶暴性と不気味さだ。そのうえ、上辺だけの礼儀正しさすらも、なぜか和彦相手には発揮せず、ひたすら無礼だ。
「総和会が抱えている医者は、ぼくだけじゃありませんから……」
「オヤジさんが特別気に入っている医者は、あんた一人だ」
南郷が言外に、和彦と守光の関係を匂わせる。疲れているせいもあって、和彦はいつもより感情の抑制が利かなかった。
敵意を込めて南郷を睨みつける。もしかすると嫌悪や恐怖という感情も混じっていたかもしれない。
少し前に守光から、南郷に慣れるよう言われた。総和会や守光という存在に慣れろというならまだわかるが、あえて南郷の名を挙げたのは不思議だ。守光の身近にいて、信頼されている男だからというのは、理由としては理解できる。しかし、なぜ南郷なのか――。
実の息子とさほど年齢の変わらない男を、隠し子ではないかと噂されながらも側に置き、可愛がっているのには、やはり相応の理由が必要だ。〈信頼〉という抽象的な言葉ではなく。
睨み続ける和彦の目を覗き込み、歯を剥くようにして南郷は笑った。
「あんたは、蔑むように人を見る目がよく似合うな。言われたことはないか?」
「……ないです」
「だとしたら、あんたがそんな目をするのは、俺だけだということか」
車のライトに強く照らし出された南郷の目は、凍えるほど冷たかった。この瞬間、和彦の舌が強張り、否定の言葉が出てこない。これでは肯定したも同然だと思い、反射的に和彦は顔を背けようとしたが、すかさず後頭部に手がかかり、後ろ髪を掴まれた。
「痛っ……」
和彦が声を洩らすと、ぐっと身を乗り出した南郷の顔が目の前に迫る。本能的な怯えから息を詰め、体を強張らせていた。それをいいことに、南郷が首筋に顔を寄せた。獣の息遣いが肌にかかり、一気に総毛立つ。
「相変わらずいい匂いだな。血の匂いがする」
和彦は本気で、このまま南郷に首筋に食らいつかれて殺されると思った。肌に突き刺さりそうな鋭い気配を感じ、抵抗しようという気力はあっという間に潰える。
南郷は明らかに、和彦の無抵抗ぶりを楽しんでいた。
「なんだ、逃げないのか、先生? 見た目によらず気が強いあんたなら、俺をひっぱたくぐらい平気ですると思ったんだが」
「……ヤクザを殴るのは、一回で懲りました……」
その一回の相手が誰であるか、南郷はすぐに察しがついたようだ。
「肝が据わってるな。あの長嶺組長を殴ったのか」
「南郷さんには……関係ありません」
「関係ない、か」
ぽつりと言われ、和彦は生きた心地がしなかった。次の瞬間には、激高した南郷にこちらが殴られるのではないかと思ったからだ。和彦の怯えを間近で感じ取ったらしい。南郷が耳元で笑い声を洩らした。
「オヤジさんの大事なオンナに、手を上げるわけないだろ。暴れるしか能のない俺でも、それぐらいの分別はある」
「だったら……、手を離してください」
「俺みたいな男に触られるのも汚らわしいか?」
「――ぼくみたいな男に触ると、汚れますよ」
このとき南郷がどんな表情をしたか、和彦はちらりとでも視線を向けて見ることはできなかった。南郷の挑発的な物言いに煽られて、自分でも驚くような発言をしてしまったと自覚があったからだ。
掴まれたままの後ろ髪を解放され、代わって髪の付け根をまさぐられる。そして、耳に唇を押し当てられた。身震いしたくなるような不快さが全身を駆け抜け、和彦は硬直する。思いがけない南郷の行動だった。
「この場で食っちまおうか。長嶺組長が大事にしているオンナを」
「あなたの隊が面倒を見ることになった人の腹に、たった今手を突っ込んできたのは、ぼくです。そういう言い方はやめてください」
苛立ちを押し殺して冷ややかな声で応じるが、和彦のその反応は、南郷の神経をわずかでも傷つけることはできなかったようだ。返ってきたのは、低い笑い声だった。
「そうだった。どうも、育ちのよさそうなあんたの外見に惑わされる。あんたは、下手なヤクザが裸足で逃げ出す、性質の悪い〈オンナ〉だったな」
「――ぼくに皮肉を言うために、こんな時間に出向いてきたんですか」
「まさか。むしろ、あんたには礼を言いたい。前にも話したと思うが、第二遊撃隊っていうのは仕事上、どうしたって荒事が多くなる。荒事が多いと、怪我人も出る。そして、その怪我人が世話になるのが、先生だ」
果たして南郷から礼を言われたことがあっただろうかと、つい和彦は考えてしまう。南郷とはすでに何回も顔を合わせているが、この男から常に感じるのは、凶暴性と不気味さだ。そのうえ、上辺だけの礼儀正しさすらも、なぜか和彦相手には発揮せず、ひたすら無礼だ。
「総和会が抱えている医者は、ぼくだけじゃありませんから……」
「オヤジさんが特別気に入っている医者は、あんた一人だ」
南郷が言外に、和彦と守光の関係を匂わせる。疲れているせいもあって、和彦はいつもより感情の抑制が利かなかった。
敵意を込めて南郷を睨みつける。もしかすると嫌悪や恐怖という感情も混じっていたかもしれない。
少し前に守光から、南郷に慣れるよう言われた。総和会や守光という存在に慣れろというならまだわかるが、あえて南郷の名を挙げたのは不思議だ。守光の身近にいて、信頼されている男だからというのは、理由としては理解できる。しかし、なぜ南郷なのか――。
実の息子とさほど年齢の変わらない男を、隠し子ではないかと噂されながらも側に置き、可愛がっているのには、やはり相応の理由が必要だ。〈信頼〉という抽象的な言葉ではなく。
睨み続ける和彦の目を覗き込み、歯を剥くようにして南郷は笑った。
「あんたは、蔑むように人を見る目がよく似合うな。言われたことはないか?」
「……ないです」
「だとしたら、あんたがそんな目をするのは、俺だけだということか」
車のライトに強く照らし出された南郷の目は、凍えるほど冷たかった。この瞬間、和彦の舌が強張り、否定の言葉が出てこない。これでは肯定したも同然だと思い、反射的に和彦は顔を背けようとしたが、すかさず後頭部に手がかかり、後ろ髪を掴まれた。
「痛っ……」
和彦が声を洩らすと、ぐっと身を乗り出した南郷の顔が目の前に迫る。本能的な怯えから息を詰め、体を強張らせていた。それをいいことに、南郷が首筋に顔を寄せた。獣の息遣いが肌にかかり、一気に総毛立つ。
「相変わらずいい匂いだな。血の匂いがする」
和彦は本気で、このまま南郷に首筋に食らいつかれて殺されると思った。肌に突き刺さりそうな鋭い気配を感じ、抵抗しようという気力はあっという間に潰える。
南郷は明らかに、和彦の無抵抗ぶりを楽しんでいた。
「なんだ、逃げないのか、先生? 見た目によらず気が強いあんたなら、俺をひっぱたくぐらい平気ですると思ったんだが」
「……ヤクザを殴るのは、一回で懲りました……」
その一回の相手が誰であるか、南郷はすぐに察しがついたようだ。
「肝が据わってるな。あの長嶺組長を殴ったのか」
「南郷さんには……関係ありません」
「関係ない、か」
ぽつりと言われ、和彦は生きた心地がしなかった。次の瞬間には、激高した南郷にこちらが殴られるのではないかと思ったからだ。和彦の怯えを間近で感じ取ったらしい。南郷が耳元で笑い声を洩らした。
「オヤジさんの大事なオンナに、手を上げるわけないだろ。暴れるしか能のない俺でも、それぐらいの分別はある」
「だったら……、手を離してください」
「俺みたいな男に触られるのも汚らわしいか?」
「――ぼくみたいな男に触ると、汚れますよ」
このとき南郷がどんな表情をしたか、和彦はちらりとでも視線を向けて見ることはできなかった。南郷の挑発的な物言いに煽られて、自分でも驚くような発言をしてしまったと自覚があったからだ。
掴まれたままの後ろ髪を解放され、代わって髪の付け根をまさぐられる。そして、耳に唇を押し当てられた。身震いしたくなるような不快さが全身を駆け抜け、和彦は硬直する。思いがけない南郷の行動だった。
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