血と束縛と

北川とも

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第24話

(23)

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 息を呑んだ和彦は、桜の花に一瞬にして魅入られる。無意識のうちに賢吾の腕にきつくしがみついていた。
「この辺りは、今が満開の時期だ。だから連れてきた」
「わざわざ?」
 ほっと息を吐き出して和彦が問いかけると、賢吾も桜の木を見上げながら和らいだ表情となる。
「――花見がしたかったんだ。先生と二人きりで。もっとも先生のほうは、とっくに桜は見飽きたかもしれないけどな」
「そんなことは……ない。この何日かで見た桜は、全部印象が違うんだ」
「こんな辺ぴな場所に、人が桜を見にやってくるのは、理由がある。特別な桜があるんだ。その桜が人を呼び寄せるようになって、いつの間にか他の桜が植えられて、こんなふうになったらしい」
 話しながら歩いているうちに、鮮やかなピンク色の花をつけた桜の木が目に飛び込んでくる。他の木とは種類が違うのは、一目瞭然だった。
 古くて大きな木から伸びた枝は、満開の花をつけて重そうに垂れている。さほど植物に詳しくない和彦でも、すぐにこの名が口を突いて出た。
「……しだれ桜?」
「そうだ。樹齢は確か、軽く三百年は超えているはずだ。まあ、立派なもんだ。古いくせに、どの桜よりも艶やかな花を咲かせて、泰然としてる」
 淡々と語る賢吾の言葉に、ふと和彦の脳裏にある男の顔が浮かぶ。もしかすると賢吾も同じかもしれない。和彦は、桜ではなく、賢吾の横顔を見つめていた。視線に気づいたのか、前触れもなく賢吾がこちらを見て、ニヤリと笑う。
「なんだ先生、俺に見惚れているのか?」
「どうしてそんな恥ずかしいことを、口にできるんだ……」
「浮かれているんだ。着物姿の先生と二人、こうして立派な桜を眺められて。去年の今ごろとは違って、今年はそれなりに落ち着いた日々を過ごせていると、実感もしている。来年は――どうだろうな?」
 どう答えれば賢吾は満足なのだろうかと考えた次の瞬間、妙な照れを感じた和彦は、しがみついていた腕から手を離す。賢吾に背を向けて、足元に視線を落とす。地面には、まるで雪のように桜の花びらが積もっており、風が吹くたびにふわりと舞い上がる。
 屈み込み、地面の窪みに溜まった花びらをてのひらで掬い上げると、フッと息を吹きかける。ひらひらと宙を舞った花びらを再びてのひらで受け止めると、賢吾がハンカチを広げて差し出してきた。何事かと顔を上げると、意外なことを言われる。
「花びらを拾ってここに入れてくれ。土のついていないきれいなものを、たくさんな」
「……塩漬けにでもするのか?」
「先生が食いたいなら、作ってもらえ」
 他に使い道などあるのだろうかと思いながらも、言われた通り和彦は、桜の花びらを集めてハンカチにのせていく。花びらを集めるのは、さほど苦ではなかった。木の根の周囲に、散ったばかりの花びらが風に乗っては運ばれてくるのだ。
 ある程度の量の桜の花びらが集まると、賢吾は丁寧にハンカチで包む。何も言わず片腕を差し出されたので、和彦も黙ってその腕を取る。
 やってきた小道をゆっくりと引き返しながら、やはりどうしても、賢吾の手にあるハンカチをちらちらと見てしまう。和彦の興味をはぐらかすように、柔らかな口調で賢吾が言った。
「すぐ近くに宿を取ってある。もう少しだけ我慢してくれ」
「それはかまわないが、最初から一泊するつもりだったんだな」
「先生と二人、じっくりと花見の余韻に浸るのもいいと思ってな。小さな宿だから、あまり期待はするなよ」
 そんなことは気にしないと応じてから、和彦はもう一度、賢吾の手にあるハンカチを見遣る。賢吾の口ぶりから、『花見の余韻に浸る』ために必要なのだろうと見当をつけた。
 長嶺組組長という肩書きを持つ男は、意外にロマンチストだと思いながら。


 賢吾に意図があったのかどうかは知らないが、三階の部屋から眺められる景色は申し分がなかった。桜の木が並ぶ小道を見下ろせるのだ。
 外観からして古い旅館で、部屋も簡素としか言いようがないのだが、春の短い期間、この景色を眺められるのなら、余計なものは必要ないとも思える。
 提灯の明かりを受けて、闇の中にぼんやりと浮かび上がる満開の桜は、まさに幽玄と表現できる。さきほどは木を見上げていたが、こうして見下ろしてみると、また趣きが違う。
「桜の道だ……」
 ぽつりと呟いた和彦は手すりを掴み、腰窓から思いきり身を乗り出す。ふわりと風が吹き、風呂上がりでまだ濡れている髪を撫でる。
 つい最近、同じような行動を取ったことがあるなと思った次の瞬間、和彦の脳裏を過ぎったのは、守光と泊まった旅館での出来事だった。
 桜を眺めて、旅館に泊まる。取る行動が父子で似ているのか、それとも、賢吾が意識して張り合ったのか。

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