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第24話
(21)
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「……春を楽しみたいのはわかったが、ぼくのこの格好は関係あるのか?」
「ずっと楽しみにしていたんだ。暖かくなったら、先生に着物を着せて連れ歩こうってな。――よく似合っている。惚れ惚れするような色男っぷりだ」
賢吾からの惜しみない賛辞を受け、改めて和彦は自分の格好を見下ろす。蓬色で揃えられた長着と羽織は、陽射しの下ではハッとするほど明るく目立ち、少し派手すぎではないかと和彦は臆したりもしたのだが、賢吾の感じ方は違うようだ。
「若くて、いかにも品のいい先生が身につけるんだ。それぐらいの色目でちょうどいい。俺の見立ては正しかったな」
「褒めてくれるのはありがたいが、着物を着ることになるなら、せめて事前に言ってほしかったな。こっちにも心の準備というものがあるんだ」
本宅に出向いた和彦は、賢吾と昼食をとったあと、何も言わずに客間に連れ込まれ、服を脱がされたのだ。そして今のこの姿だ。ちなみに賢吾は、堂々たるスーツ姿だ。慣れない着物で、着崩れが怖くてシートにもたれるのにも気をつかっている和彦としては、少々恨めしい。
「そのわりには、着物を着たときは楽しそうに見えたぞ。普段とは違う格好で出かけるのも、気分が変わっていいだろ?」
「それは、まあ……」
「それでいい。どうせ出かける相手は俺なんだ。着崩れしようが、慣れてない草履で足元が覚束なかろうが、面倒は見てやるから、肩から力を抜いて楽しめ」
賢吾の口調が、まるで子供を言い含めているようだな思った途端、和彦は顔を綻ばせてしまう。運転席と助手席に座る組員たちにも聞こえているはずだが、さすがというべきか、肩をピクリと揺らしもしない。賢吾の言葉に素直に反応を示しているのは、和彦だけだ。その和彦の反応に、賢吾が目元を和らげた。
「――機嫌は直ったか?」
そう問いかけてきながら賢吾は、今度は頬を撫でてくる。和彦はスッと笑みを消した。
「直るも何も、ぼくは最初から不機嫌じゃなかった。……刺青のことなら、あれは最初にぼくが隠し事をしたせいだから、あんたに対して怒るのは筋が違う」
「物わかりがいいな、先生は。むちゃくちゃな理屈を振りかざして、感情的に八つ当たりをする姿を、たまには見てみたいものだ」
「それであんたがぼくを嫌うというなら、やってもいい」
首の後ろに賢吾の手がかかり、ぐいっと引き寄せられる。耳元に息がかかったかと思うと、こんなことを囁かれた。
「そんなことで、俺が先生を嫌うはずがないだろう。大蛇の執着を甘く見るなよ」
耳朶に唇が触れた感触があり、驚いた和彦は思いきり体を引く。一方の賢吾は口元に薄い笑みを浮かべた。
「俺としては、あのことで先生に怖がられて、嫌われることを覚悟していたんだがな」
聞きようによっては、なんとも自惚れた発言だ。嫌われるということは、すでに和彦が賢吾を好いているという前提があるのだ。ただ、さすがに揚げ足を取る気にはなれなかった。それこそ、和彦が自惚れていることになりそうだ。
「……ぼくは、初めて会ったときからずっと、あんたが怖い」
「その怖い男の側に、逃げ出しもせずいてくれるということは、怖さ以上のものが俺にはあるということか?」
「長嶺の男がそういう言い方をするときは、たった一つの返事しか求めてないだろ。――絶対、言わないからな」
「かまわんさ。聞くまでもないからな」
傲慢さすら自分の魅力に変えてしまう男は、そう言って和彦の肩に腕を回してくる。力を込められたわけでもないのに、和彦は吸い寄せられるように賢吾との距離を詰め、肩にそっと頭をのせる。
オンナの従順さを愛でるように、長い指に髪の付け根をまさぐられ、感じた疼きに和彦は小さく身震いする。賢吾はもう何も言わず、吐息のような笑い声を洩らした。
ドライブということは、当然のように日帰りだと思っていた和彦だが、どうやら様子が違うと気づいたのは、こじんまりとしたレストランから出たときだった。
本宅を出発したときは鮮やかな青空だったが、今頭上に広がるのは、夕日に染まりつつあるオレンジ色の空だ。今から引き返すとなると、確実に辺りは暗くなるだろう。
「――着物を着て洋食を食うのも、シャレてるだろ」
隣に立った賢吾に促され、和彦は駐車場へと向かう。ドライブだからといってずっと車に乗っていたわけではなく、途中、古い町並みを歩いたり、そのついでに寺巡りなどもした。おかげで、草履を履いた足が少し痛い。それに気づいているのか、賢吾の歩調はいつになくゆっくりだ。
「ビーフシチューが美味しかった」
「一度、この店で食ってみたかったんだ。だが、強面の連中を引き連れて入るのも、気後れしてな。先生がいてくれて助かった」
「ずっと楽しみにしていたんだ。暖かくなったら、先生に着物を着せて連れ歩こうってな。――よく似合っている。惚れ惚れするような色男っぷりだ」
賢吾からの惜しみない賛辞を受け、改めて和彦は自分の格好を見下ろす。蓬色で揃えられた長着と羽織は、陽射しの下ではハッとするほど明るく目立ち、少し派手すぎではないかと和彦は臆したりもしたのだが、賢吾の感じ方は違うようだ。
「若くて、いかにも品のいい先生が身につけるんだ。それぐらいの色目でちょうどいい。俺の見立ては正しかったな」
「褒めてくれるのはありがたいが、着物を着ることになるなら、せめて事前に言ってほしかったな。こっちにも心の準備というものがあるんだ」
本宅に出向いた和彦は、賢吾と昼食をとったあと、何も言わずに客間に連れ込まれ、服を脱がされたのだ。そして今のこの姿だ。ちなみに賢吾は、堂々たるスーツ姿だ。慣れない着物で、着崩れが怖くてシートにもたれるのにも気をつかっている和彦としては、少々恨めしい。
「そのわりには、着物を着たときは楽しそうに見えたぞ。普段とは違う格好で出かけるのも、気分が変わっていいだろ?」
「それは、まあ……」
「それでいい。どうせ出かける相手は俺なんだ。着崩れしようが、慣れてない草履で足元が覚束なかろうが、面倒は見てやるから、肩から力を抜いて楽しめ」
賢吾の口調が、まるで子供を言い含めているようだな思った途端、和彦は顔を綻ばせてしまう。運転席と助手席に座る組員たちにも聞こえているはずだが、さすがというべきか、肩をピクリと揺らしもしない。賢吾の言葉に素直に反応を示しているのは、和彦だけだ。その和彦の反応に、賢吾が目元を和らげた。
「――機嫌は直ったか?」
そう問いかけてきながら賢吾は、今度は頬を撫でてくる。和彦はスッと笑みを消した。
「直るも何も、ぼくは最初から不機嫌じゃなかった。……刺青のことなら、あれは最初にぼくが隠し事をしたせいだから、あんたに対して怒るのは筋が違う」
「物わかりがいいな、先生は。むちゃくちゃな理屈を振りかざして、感情的に八つ当たりをする姿を、たまには見てみたいものだ」
「それであんたがぼくを嫌うというなら、やってもいい」
首の後ろに賢吾の手がかかり、ぐいっと引き寄せられる。耳元に息がかかったかと思うと、こんなことを囁かれた。
「そんなことで、俺が先生を嫌うはずがないだろう。大蛇の執着を甘く見るなよ」
耳朶に唇が触れた感触があり、驚いた和彦は思いきり体を引く。一方の賢吾は口元に薄い笑みを浮かべた。
「俺としては、あのことで先生に怖がられて、嫌われることを覚悟していたんだがな」
聞きようによっては、なんとも自惚れた発言だ。嫌われるということは、すでに和彦が賢吾を好いているという前提があるのだ。ただ、さすがに揚げ足を取る気にはなれなかった。それこそ、和彦が自惚れていることになりそうだ。
「……ぼくは、初めて会ったときからずっと、あんたが怖い」
「その怖い男の側に、逃げ出しもせずいてくれるということは、怖さ以上のものが俺にはあるということか?」
「長嶺の男がそういう言い方をするときは、たった一つの返事しか求めてないだろ。――絶対、言わないからな」
「かまわんさ。聞くまでもないからな」
傲慢さすら自分の魅力に変えてしまう男は、そう言って和彦の肩に腕を回してくる。力を込められたわけでもないのに、和彦は吸い寄せられるように賢吾との距離を詰め、肩にそっと頭をのせる。
オンナの従順さを愛でるように、長い指に髪の付け根をまさぐられ、感じた疼きに和彦は小さく身震いする。賢吾はもう何も言わず、吐息のような笑い声を洩らした。
ドライブということは、当然のように日帰りだと思っていた和彦だが、どうやら様子が違うと気づいたのは、こじんまりとしたレストランから出たときだった。
本宅を出発したときは鮮やかな青空だったが、今頭上に広がるのは、夕日に染まりつつあるオレンジ色の空だ。今から引き返すとなると、確実に辺りは暗くなるだろう。
「――着物を着て洋食を食うのも、シャレてるだろ」
隣に立った賢吾に促され、和彦は駐車場へと向かう。ドライブだからといってずっと車に乗っていたわけではなく、途中、古い町並みを歩いたり、そのついでに寺巡りなどもした。おかげで、草履を履いた足が少し痛い。それに気づいているのか、賢吾の歩調はいつになくゆっくりだ。
「ビーフシチューが美味しかった」
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