血と束縛と

北川とも

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第24話

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『まだ餌を与えていない番犬を、多少は労う気持ちがあるなら、そうだな――、腰にくるようないい声を、電話を通して聞かせてくれ』
 和彦は一分近い時間をかけて、鷹津の言葉の意味を理解する。激しくうろたえながら怒鳴りつけた。
「なっ……、何言い出すんだっ。できるか、そんな恥知らずなことっ」
『ほお、お前でも、恥知らずなんて上等な言葉を知ってるんだな』
 ためらいなく電話を切った和彦は、携帯電話を枕の下に突っ込む。
「何考えてるんだ、あの男っ……」
 すっかり眠気がどこかにいってしまい、少しの間未練がましくベッドの上を転がっていた和彦だが、諦めて起き上がる。
 部屋のカーテンを開けて回ると、着替えを抱えてシャワーを浴びに行く。
 熱めの湯を頭から浴びて、いくらか残っている酔いも、胸の奥の妖しいざわつきも勢いよく洗い流す。ただ、頭の片隅では考えてしまうのだ。鷹津に作っている借りを、早く返してしまわなければ、と。そこで、さきほど電話越しに言われた言葉が蘇り、和彦はまたうろたえてしまう。
 シャワーを浴び終えると、ダイニングで一息つきながらオレンジジュースを飲む。窓の外に目を向けると、部屋でおとなしくしているのがもったいなくなるような天気のよさだ。
 散歩も兼ねて、少し早めの昼食をとりに出かけようかと考えていると、電話が鳴る。一瞬、鷹津かと思ったが、あの男は固定電話にかけてくることはない。そうなると、電話の相手は限られていた。
「もしもし――」
『携帯にかけたのに、出なかったな。夜遊びのしすぎで、まだ寝ていたか?』
 妙なところで、蛇蝎にそれぞれ例えられる男二人の行動は似ている。忌々しいほど魅力的なバリトンを電話越しに聞き、意識しないまま和彦は苦笑に近い表情を浮かべる。
「シャワーを浴びていたんだ。夜遊びのしすぎ……は否定しないけど、秦と中嶋くんに、ぼくを誘えと言ったのは、あんたじゃないのか」
『夜遊びを自重した先生に、塞ぎ込まれたら困る。奔放さは、先生の魅力の一つだしな』
「……何か企んでるか?」
 和彦の問いかけに、賢吾は短く笑い声を洩らす。
『せっかくのいい天気だ。本宅で昼メシを食ってから、ドライブに出かけるぞ』
 強引な誘い方まで鷹津に似ているなと思ったが、決定的に違うのは、和彦は賢吾に対して弱い立場だということだ。それに――。
 和彦は窓の外に再び目を向ける。天気のよさと、ドライブという言葉に心惹かれていた。
「行っても、いい……」
『決まりだ。迎えの車をやるから、格好は適当でいいぞ。どうせ本宅で着替えることになるからな』
 えっ、と声を洩らしたときには、電話は切られていた。和彦は首を傾げつつ受話器を置く。賢吾が何か企んでいるのは確かだが、あれこれ推測するのは髪を乾かしながらでいいだろう。
 シャワーを浴びたこともあり、気分がすっきりした和彦は、軽い足取りで洗面所へと向かった。


 賢吾に許可を得てウィンドーを少し下ろすと、柔らかな風が車中に吹き込んでくる。
「春の匂いがする……」
 ぽつりと洩らしたのは、隣に座っている賢吾だ。和彦が目を丸くすると、ニヤリと笑いかけられた。
「なんだ。俺が言うと変か?」
「……変じゃないが、あんたがそういうことを言うと、意外な感じがするんだ」
「俺はよほど先生に、情緒の欠片もない男だと思われているんだな」
 そこまでひどいことは思っていないと、心の中で反論してみる。声に出したところで、どうせからかわれるのがオチなのだ。
「冬から春にかけては、組の行事ごとが多くて忙しいからな。なかなか穏やかな気持ちで、いい季節を堪能する機会に恵まれない。去年の春は、目を離せない人間がいて大変だったし」
 賢吾が誰のことを言っているかは明白だ。和彦は、じろりと賢吾を睨みつける。
 昨年の今ごろ、和彦はまだ混乱の中にあった。強引に裏の世界に引きずり込まれ、環境が一変したのだ。大蛇の化身のような男の〈オンナ〉になり、穏やかな季節を愛でる余裕もなく、気持ちが乱高下を繰り返していた。
「今年こそは、先生とゆっくりと春を楽しみたいと思ったんだ。きれいだが、曖昧で移ろいやすい季節だからこそ、しっかりと記憶に刻みつけておきたい」
 話しながら賢吾が手を伸ばし、髪を撫でてくる。本宅で顔を合わせたときからなんとなく感じていたが、今日の賢吾は機嫌がよかった。一週間ほど前、体に刺青を彫られる寸前だった和彦としては、いつこの機嫌が一変するかと怖くもあるのだが、それでも、不機嫌な顔をされるよりはよほどいい。
 気恥ずかしくなるほど一心に賢吾に見つめられ、眼差しに耐え切れなくなった和彦は、必死に話を続ける。

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