血と束縛と

北川とも

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第24話

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 桜が開花を始めてから、あまりにさまざまなことがあり、物理的にも精神的にも忙しすぎた。ようやく金曜日かとほっと一息をついたところに、絶妙のタイミングで秦から連絡が入り、約束通りこうして夜桜見物をするに至ったというわけだ。
「心配といえば、今夜先生を夜遊びに誘うことを長嶺組長に報告したら、たっぷり息抜きをさせてほしいと頼まれましたよ。様子を気にかけてやってほしいとも。ああいう方なので、感情を表には出さないでしょうが、なんとなく、先生を心配しているように感じました」
 あくまで自然な調子で秦が切り出し、身に覚えがありすぎる和彦は苦い表情を浮かべ、そんな和彦を、中嶋は興味深そうに見つめてくる。
 この二人はどこまで知っているのだろうかと、左右に座る男たちの様子をうかがいつつ、仕方なく口を開く。
「……いろいろと、あったんだ」
 まさか、浮気を疑われて大変だったと正直に答えるわけにもいかない。大雑把すぎる表現をしてみたものの、当然のように二人が納得するはずもなかった。特に中嶋は、すでにアルコールが回り始めているのか、やけに楽しげな顔で切り出してきた。
「今週の日曜日、長嶺組の本宅に、妙な時間に彫り師が呼ばれた、という情報を耳にしたんですが――」
「ぼくは、何も彫られてないからなっ」
 思わずムキになって和彦が反応すると、数秒の間を置いて中嶋がくっくと声を洩らして笑う。これでは、何かあったと白状したも同然だ。そんな和彦に追い討ちをかけるように、秦までもがこう言った。
「先生は正直だ」
「二人して、ぼくをからかって楽しんでいるだろ……」
 自分で紙コップにワインを注ぐと、勢いよく飲む。どうせ明日はクリニックは休みだと思うと、多少ハメを外してみたくなった。賢吾にしても、息抜きをさせてほしいと秦に頼んだということは、こういうことを望んでいたはずだ。なんといっても秦と中嶋は、今いる世界での和彦の数少ない友人だ。
 多少、〈特殊〉な友人ではあるが――。
 紙コップを置こうとした和彦はここで、あることに気づいた。
「ところで、長嶺組の本宅に彫り師が呼ばれたなんて情報、どこから君の耳に入ったんだ?」
 和彦がぶつけた疑問を、中嶋は澄ました顔で受け流す。代わって答えたのは、秦だった。
「組を顧客に持つ彫り師は、仕事のことを口外したりしませんが、だからといって、その弟子やスタッフまでそうとは限りません。中嶋はいまだに、いろんな店や人間に顔が利きますからね。変わったことがあれば連絡が入るようになっているんです。何も腕っ節だけが、ヤクザとしての価値じゃないということです」
「だからといって……、別に彫り師の行動まで知る必要はないだろ」
「でも、そのおかげで、長嶺組の本宅で何かが起こった、という情報を掴めましたよ」
 中嶋がぐいっと顔を近づけてきて、和彦の目を覗き込む。一体何が起こったのか、探ろうとするかのように。和彦は露骨に顔を背けてみたが、中嶋は引かない。半ばおもしろがるように、さらに身を乗り出して、和彦に迫ってくる。
「おい、ぼくじゃなくて、桜を見ろっ。こんな街中でも、きれいに咲いているじゃないか」
「――花見会で見た桜はどうでした?」
 返事に詰まった和彦は、中嶋をどうにかしろと、非難を込めた眼差しを秦に向ける。秦は芝居がかった仕種で肩をすくめた。
「中嶋は、寂しいんですよ。ここ最近、先生は話題の人ですからね。しかも、ある意味で〈大物〉になった。そういう情報は耳に入るのに、肝心なことを先生から教えてもらえなくて」
 秦が何を指して〈大物〉という言葉を使ったのか、当然和彦は理解している。自嘲気味に唇を歪めたが、この表情は守光に対する非難に当たるのではないかと思い直し、すぐに苦い笑みへと変えた。
「……流され続けていたら、いつの間にかとんでもないことになっていた。しかもぼくは、それを受け入れてしまった。多分――、いや、絶対に引き返せないんだろうな」
「引き返したいんですか?」
 和彦の表情に感じるものがあったのか、中嶋が頬に触れてくる。一方の秦は、片手を握り締めてきた。和彦の気分転換のために、この二人を選択した賢吾の判断は、おそらく正しい。まるで柔らかな触手のように巧みに心に入り込み、優しく慰撫してくるのだ。
 この役目は、三田村ではダメなのだ。特別で大事な〈オトコ〉だからこそ、三田村に心配をかけまいと身構える部分があるが、この二人に対してはそれが必要ない。いくらでも、和彦の事情で振り回せる。友情めいた感情と利害で繋がっている利点は、こういうときに発揮されるべきなのだ。
 中嶋が、スッと外の桜を指さす。

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